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憧れと、現実と、自分の思いと

久しぶりにnoteでこちらのスタイルで文章を書いています。最近は写真付きで呟くことが多く。

なぜいきなりこちらで書こうかと思ったのか。

それは、今自分の中にあるモヤモヤをどうにかして言語化し、取り除きたいと思ったからです。

ここ数ヶ月、自分が幸せを感じられるような仕事も生活も出来ておらず、これから自分の人生どうしていけば良いのだろうと思うことが増えました。

でもその疑問について考えることすら面倒くさく、すぐに現実逃避という名のYoutube鑑賞。そうして毎日が過ぎていってしまっています。

思えば私は幼少期の物心がついた頃から、趣味は”現実逃避”だったな、とふと思いました。

まず私が覚えているのは空想。

こことは違う、現実では起こり得ないことも、空想の世界なら自分の発想で自由自在です。鹿になって森の中を探索したり、自分のスタイルを良くしたり、物語のような冒険をしたり…。

こうして、自分にとって都合のいい、ワクワクする空想(妄想?)をしょっちゅう頭の中で思い描いていました。

学校の先生の話が面白くない時なんかは頭が空想の世界に飛んでしまい、重要な話を聞きそびれる、なんてこともありました。

授業中真面目な顔してちゃんと話を聞いている風なのに、実は聞いていないこともよくあった、というような生徒でした。


あとは、読書。

もちろんお気に入りはファンタジーもの。現実の世界から私を連れ出してくれる本が好きでした。

小説やエッセイも成長に伴い読むようになりましたが、それすらも、私とは異なる、”他の誰かの人生物語”です。

その他人の人生のストーリーを読むことで、私は自分の人生の現実をひととき、忘れられます。


そして今。時代が変わり、本に依存していた私は、依存先をスマホにうつしました。(移した、というより、移っていたというのが正しい)

2年ほど前にYoutubeのアプリをダウンロードして以来、ここ最近はもっぱらYoutubeを見ることが私の趣味になっています。

Youtubeで他人の暮らし、人生を永遠と見てしまいます。それが私の今の癒しの時間です。それらを見ることで私の人生が変わるわけではないのに。。

そう、私は、私以外の誰かになりたかった。いや、今でもなりたいと思っているのだと思います。


現実逃避が趣味だなんて、そんなのカッコ悪くて人には言えません。

言い方を変えると、趣味はYoutube鑑賞。人に堂々と言えるような趣味ではないと感じてしまうのは、私だけでしょうか。


なんだか話が趣味の話にすり替わってきてしまったので、ここで話を戻すと、こうして今まで自分の好きでやっていたこと、やっていることを鑑みると、私って本当はこういう暮らしをしたいんだろうなぁというのが見えてきたのです。

でも、その自分の心が望む暮らしは、今の私が憧れる暮らしとはあまりにも違い過ぎて、なかなか受け入れられないと感じます。

そして、それが私の生きづらさの原因になっているんじゃないか、と気がつきました。

心がこうしたいと望んでいることに対して、そんなのカッコ悪い、そんな自分になりたくない、と頭でブレーキをかけてしまっているんです。

それは、生きづらくて当たり前だろうと。


私の心が本当は望んでいる暮らし、そして人生は、なんでもない穏やかな日々を大切にしながら生きること。

仕事や他の何かをバリバリ頑張ったりなんかしないで、ゆるゆると自分のペースで生きていきたい。

他人と比較せず、そんな自分を許せる自分でいたい。

そう思うんです。

でも、この現代社会を生きている私の頭は、他人の考えや生き方を完全に自分の人生と切り離して考えることが出来ません。

身近な友達が仕事に真摯に向き合い、猛烈な努力をしているのを見ると、それをしない私はなんてだめなんだろう、と感じてしまいます。

それとともに、人生そうあるべきだ、との思いに強く囚われてしまいます。

せっかく留学までして、海外で活躍している自分を思い描いていたので、余計に今の自分が望んでいることを受け入れられないのかもしれません。


それが本当に私がしたい暮らしなのかは、実際にやってみないことにはわからないのですが、今の私は、どうしたらそんな暮らしができるかわからないし、実行に移す勇気がありません。

瞬発的な行動力が自分の取り柄だと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようです。

人生の節目があるごとに、自分のことって自分が一番わかっていないと感じます。


こう在らなければ、こうあるべきだ、という足枷を外して、もっと軽やかに楽しく生きたいのに。

それがこんなにも難しい。


2021.07.16

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