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予測される未来と自分の意思の開きを埋めようと尽くすことが生きる意味 |47キャラバン#私のまとめ

東日本大震災をきっかけに、食べものつきの情報誌「食べる通信」を創刊し、生産者と直接やり取りをしながら旬の食材を買えるプラットフォーム「ポケットマルシェ」を立ち上げた高橋博之さん。東日本大震災から10年の節目を迎える来年の3.11に向けて、改めて人間とは何かを問うために47都道府県を行脚する「REIWA47キャラバン」を開催している。
先日、高橋さんの車座座談会でご縁があって、ポケットマルシェのみなさんとREIWA47キャラバン(香川、愛媛、広島)に同行させていただいた。そこで見たものや感じたことを、前回までのnoteに香川編愛媛編広島編と3回にわたって綴った。今回はそれらのまとめとして、そもそもなぜ同行することになったのか、同行しての心境の変化などを綴っている。
(※高橋さんは毎週月〜土曜日の朝6〜8時にオンラインで車座座談会を開催している。農家や漁師、食農に関心のある消費者や学生などが10人ほど集い、食や農業、気候変動、生死、幸せなど、人間と自然が離れすぎてしまった現代社会やこれからの社会についていろんな話をする場となっている。高橋さんのTwitterにリプライかDMを送れば参加できるので興味のある方はぜひ。)

気候変動への絶望と自己否定

私は大学生になって以降、長期休みはいつも日本の地方や海外に行って、非日常の中で動き回っていた。でも今年の夏はコロナで早々にあきらめて、いい機会だから本や論文たくさん読んで勉強しよう、卒業後の進路もじっくり考えよう、ということで家にこもった。1人暮らしで家にこもると人と話すこともあまりないから、SNSやメディアで外の世界とつながっていた。

7月、外の世界からは災害の話がたくさん流れてきた。日本各地での記録的豪雨、決壊、氾濫、浸水、冠水、土砂崩れ。私はすごい怖かった。だってこんなの誰がどう見たって異常だ。

去年、台風19号で被災した長野県の千曲川流域に、ほんのちょっとだけどボランティアに行った。建物の壁、道路、りんごの木、目の高さまでにあるものは全部茶色くて、車が通るたびに土が舞った。りんご畑や民家の庭先にたまった泥をどかすのをやったけど、水を含んだ泥はすごく重くてすぐにバテた。土嚢袋も一瞬でいっぱいになった。ゴミの山もすごかった。元のような生活に戻るまでにかかる時間や労力を想像すると途方もなかった。

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こんな感じのことが日本全国のいろんなところで起こっている。そう思ったら気が滅入ってしまった。

災害とまではいかなくても長雨や日照不足もそう。苦しそうな農家さんの声をたくさん見た。バイト先の八百屋さんで見る野菜も、値段の上がりようがすさまじかったし、状態もあんまり良くなかった。8月になって、やっと雨が止んだかと思えば今度は高温と乾燥。また苦しそうな農家さんの声をたくさん見た。

毎日毎日、気候変動のことを考えずにはいられなかった。どうしようもない領域に足を踏み入れてしまった気がしていた。コロナはワクチンとかでいつか落ち着くんだろうけど、気候変動に終わりはあるのか、どこがゴールなのかずっと考えていた。パリ協定の目標が達成できて、+1.5℃とか+2℃で抑えられたとしても、今より良くなることはない。ということは、この豪雨とか高温とかを半永久的に受け入れなきゃいけない。実質排出量ゼロを保たないとその世界すらも維持されない。そんなの私には到底受け入れ難くて、絶望的な気持ちになっていた。

コロナで今年の二酸化炭素排出量が前年比8%削減になりそうとか(これを毎年維持できてパリ協定の目標達成できる水準)、平均気温の上昇幅はパンデミックがなかった場合と比べて0.01℃ほど下がるとか、いろいろ聞いた。でも、こんなに生活が変わったのにたったのそれだけ、というのが正直なところだった。コロナはチャンスで今こそ大転換するときなんだみたいなのも空虚だった。SDGsも持続可能な社会もそう。全部が虚しかった。

不安でいっぱいになるのも、絶望して立ち止まるのも、自分の知ってる狭い世界だけで考えてるからだって、じゃあ前向きに勉強がんばろうと思ってみるんだけど、知れば知るほど分からないことは増えて、どこにも正解はなくて。結局生きているだけで環境負荷だと思って、自分自身の存在も否定し始めて、また絶望する。ずっとそんなことを繰り返していた。

そんなんだから卒業後のこともまともに考えられなかった。私は農業に関わる仕事がしたかった。でも、自然に一番近いところにいる一次産業は、この受け入れ難い絶望的な未来と、最前線で向き合うことになる。毎年毎年、絶望することになるかもしれないと思ったら、しんどかった。かといって、自然から遠い仕事は吸収源を持たないから排出する一方だ。自分が生きるために何かを作って売る行為が、結局は自分や自分のいる地球という場所を破壊する行為にもなってしまう。そしたら今よりももっと自分が生きることを否定してしまいそうだ。

そんな感じで行き詰まっていたところに、高橋さんが気候危機に関して車座座談会を開催してるのを知った。高橋さんのことは初めて知ったときからすごく尊敬していて、言葉からはいつもエネルギーをもらえるから、なんかヒントとか前に進む力得られるかなと思って参加した。でも気候変動で自己否定してる話は壮大な悩みすぎて少し恥ずかしい気もして、将来に悩んでるからきた、とだけ話した。そしたら、人生は旅、目的の方が自分を見つけてくれる、考えるんじゃなくて感じるって言葉をもらった。やっぱ家こもるのやめてどこか出かけようかなと思っていたら、キャラバンに誘ってくださって、行くことにした。

ちょっとでもマシな明日のために生きる

濃すぎるキャラバンの4日間の詳細は前回までのnoteに譲るけれど、お会いした農家さんたちはみんなほんとにすてきだった。

退路を断って燃焼度の高い人生を選んだ谷さん。

つま先立ちしない自分でお客さんと家族になる二宮さん。
地域の環境をまもるために自らがやってみせる首藤さんと進藤さん。

コロナや気候変動への適応に苦心しながらも、明るく柔らかく前に進む久和田さんご夫婦。

みんなそれぞれに悩んだり迷ったりして、それでも前に前に進んでいた。あたりまえかもしれないけれど、大人も悩むんだなあとなんだかホッとしたし、すごく勇気づけられた。そして、それは高橋さんも一緒だった。

高橋さんの車座や講演を間近で見ていて、私は不思議でしょうがなかった。この人なんでこんなに一生懸命に生きているんだろうって。特に気候変動に関しては、がんばっても今以上に良くはならなくて、悪くなるのをちょっとマシにすることしかできない。今も未来も受け入れられずに投げやりになっていた私には、その姿は狂気的ですらあった。

高橋さんは、気候変動は正直で真面目な人ほどつらくなるという。グレタさんも、言い方がきついとか大人への敬意がないとか批判はいっぱいあるのもわかるけど、なんでこないかもしれない未来のために学校で勉強しなきゃいけないんだって思うのは、極めて真っ当だと。みんな都合の悪いことは見ないフリをしている。でも、見ないフリして、みんなが行きたがるところへ行って、みんながしたがることをしたってしょうがない。だから、中村哲さんのように「誰もが行きたがらないところへ行き、誰もがしたがらないことをする」んだと。

でも、残念ながら、正直者が勝つとは限らない、って何度も言われた。それでも、後に続く人たちのためにも、正直者がバカを見る世界はつくっちゃいけない。ほら見たことかって言われるから、負けちゃいけない。やらなくちゃいけないんだって。

使命感。この人を突き動かしているものは、これだった。4日間近くにいて感じないときはなかった。憤りや悲しみや苦しみ、いろんなものも抱えながらも、強烈な使命感から、泥臭い毎日を積み重ねていた。生きている感じがすごくして、まぶしかった。

私もそうありたい。キャラバンが終わる頃には自然とそんなふうに思っていた。絶望を理由に見ないフリをしかけていた私も、高橋さんの生き様に鼓舞されて、今日よりも良くはならない明日とちゃんと向き合って、受け入れる気にやっとなれた。

「予測される未来と自分の意思との間に開きがあるなら、それを埋めようと力を尽くすことが、人間が生きることの意味なんだと俺は思う。共にがんばっていこう。」

と高橋さん。自分自身の存在を否定せずに、ちょっとでもマシな明日のために、私はちゃんと「生きたい」と思う。

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私のやりたいこと

キャラバンに同行させてもらってから1ヶ月。気候変動のことは大学の講義でもよく出てくるし、毎日のように考えているけど、もう絶望することはなくなった。というか絶望の中に落ちて行きそうになったときにはキャラバンを思い出してちゃんと前が向けるようになった。

自分のやりたいこともかなりはっきりしてきた。私はもともと国際協力に興味があって大学に入り、食農からアプローチしようと農学部に進み、途上国での生産じゃなくて先進国の消費の仕方を変えることで搾取や貧困、環境問題に取り組みたいと思っていた。生産の背景を知ることで消費の仕方を変え、お互いがフェアでしあわせな関係になるようにしたい。そう思って勉強してきた。それがもっと鮮明になった。

私は気候変動を本当に解決しようと思ったら、かなり時代を遡らないと厳しいと思っている。何かを生産する際に再生産可能な資源を用いない限り、温室効果ガスも含む廃棄物が自然に戻って循環する形でない限り、自然からの搾取と廃棄物の蓄積は進む。そうならないのはおそらく植物・動物・微生物の世界だけだ。

最初はみんなそういう世界にいた。農村で生活必需品である食料を生産していた。でも胃袋が求める以上に生産できるようになると、農村で発生した余剰人口が、生活をより便利にするものを、その原料が手に入りやすい場所で生産するようになり、そこに都市が成立した。生活必需品をつくる農村と、生活を便利にするものをつくる都市。両者は分離していたけれど相互依存の関係にあった。

このままだったらよかったのかもしれないけど、人間は労働力として、自然は土地として商品化され、市場経済が成立してしまった。農村からの余剰人口で都市はどんどん膨らみ、工業化が進んだ。工業製品による生産性の向上で、農村ではさらに余剰人口が発生し、それがまた都市の工業化を進めた。

市場経済では、最終生産物もそれを生産するのに必要な原料や労働力も、全てが商品として存在する。生産は生産手段の消費を意味し、最終生産物の消費は労働力の生産を意味する。生産と消費が永遠に繰り返されるかに見える。でも実際は、人間も自然もだんだんすり減っていく。ものを作っているようで、同時になにかを壊している。生活を便利にするものが増えるのと同時に、廃棄物もどんどん増える。

だから、気候変動を本当に解決しようと思ったら、市場経済が成立する前の農耕社会くらいまで戻らないと難しい気がしている。ただ、現代の多くの人はそれを望まないから、おそらくそうはならない。今の便利な生活を捨てて農耕に戻るのは現実的じゃない。

でも、今はさすがに市場経済が行き過ぎしまっている。気候変動をはじめとする自然環境問題は、自然がすり減って廃棄物が蓄積していることの表れだし、心身ともに病んだ末の過労や自殺といった社会問題は、労働力としての人間がすり減ってしまったことの表れだ。これ以上行き過ぎた世界を想像するのはなかなかに恐ろしい。完璧に解決はできないとしても、そうならないように、一回立ち止まって、もうちょっとバランスをとって、均衡点を探る必要がある。きれいごとや理想論かもしれないけれど、私のやりたいことはこれだ。

生活必需品であって自然からつくられる食べものは、そのための手段、つまり、市場経済のもたらした生産と消費というサイクルを考え直し、商品化によって捨象された人間と自然の大切なものに気づき、都市と地方の相互依存関係を取り戻すための手段になる。

高橋さんをはじめとするポケマルがやっているのはまさにそういうことだと思っている。株式会社として市場経済に組み込まれながら、行き過ぎた市場経済に抗うというのは、ものすごい挑戦だなと思う。私はどんなふうに挑戦していこうか、まだそれははっきりしていないけれど、心にまっすぐした揺るがないものを得たので、あとはもうそれに向かってひたすら進んで生きたい。

学びや気づきはもちろん、元気や励まし、ほんとにたくさんのものをくださった、各地の農家のみなさん、ポケマルのみなさん、そして高橋さんに、精一杯の感謝と愛を綴って、4回にわたるキャラバンレポートを締めたいと思う。すてきな4日間をありがとうございました。

各種リンク

▼「REIWA47キャラバン」について

▼これまでのキャラバンの様子はこちら

▼私の書いた香川編・愛媛編・広島編もよかったら!

▼内容結構かぶっているけど、車座に参加してからキャラバンに行くまでの間に気候変動について綴ったnoteも。


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