harryfaoki@作編曲

作編曲家、Harry's Music代表

音楽家は夢を見る

無名の作曲家が、家を買い、自宅にスタジオを作り、音楽で儲け、余生をしぶとく生き抜く、期待と希望のマガジン。定収入の無い音楽家が、Audiostockなどで定収入を構築し、音楽のみで家を買い、田舎に引っ越し、さらにそこでも音楽で生き抜く、売れない作曲家の希望と期待の現在進行形マガジンです。

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草刈りハリーですの巻

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Audiostock収益解析(2022年3月〜5月)

こなさん、みんばんわ!(古いっ!)いやいや、古いというか誰ももう分からない。すみません。何だかんだで春が過ぎ、気がつけばもう夏間近に来ています!もう今年も半年も経っています。なんてことでしょう!この間、Noteには何も書いてませんでした!マガジン購読社の皆様、期待に沿えずすみません。色々書きたいことは山のようにあるわけですが、頭の整理が追いつかず、書けませんでした!言い訳はありません。上のピアノの画像は、Bostonというメーカーのピアノです。スタンウェイズ&サンズ系のニュー

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Audiostock収益解析(2021年12月〜1月)

 長い冬も終わりに近づき、春は間も無くやって来ます。桜の季節はすぐそこまで来てますよ。皆様、ご機嫌いかがですか?作編曲のharryfaokiです。  2022年もあっという間に2ヶ月が過ぎてしまいました。この間、新年になったと思っていたのですが、月日が経つのはあっという間です。コロナ禍が、ここ最近の世界の潮流の大きなイベントでしたが、ロシアの侵略戦争に全てを持っていかれましたね。まさか、この21世紀に恥ずかしげも無く侵略戦争だとか、本当にやめてほしいです。空いた口が塞がりま

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2021年暮れのご挨拶

2021年もいよいよ暮れてまいりました。大晦日です。2021年は皆様にとって良い年でしたでしょうか?それとも残念な年となってしまいましたでしょうか?皆其々いろいろあると存じます。 こんにちは。作編曲のharryfaokiです。 今年もコロナの話題で世界は右往左往してしまいました。行きたいところへ、何も気にせず行ける事が、当たり前だった時代は過去のものとなったのでしょうか?早く前みたいな、行きたいところへ気にせずに行けるようになれたら良いですね。 今年あった大きなこととい

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僕が音楽を始めたきっかけ

作編曲家の私のこれまでの音楽との馴れ初めのまとめ。なぜ音楽を始めるようになったのとか、諸々の詰め合わせ徒然マガジンです。

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僕が音楽を始めたきっかけ(1)

これが最初のNoteになります。最初に何を書こうか考えていた時に、もう随分と生きてきたので、この辺で一旦自分の人生のまとめに入ろうかと思います。 暇つぶし的にどうぞ。 僕の人生は音楽に関することで、随分とうまってきました。逆に音楽と関係ないことも、いろいろやってきましたが、最終的にはやはり切っても切れない関係なのが音楽です。 僕と音楽との馴れ初めを紹介しつつ、ゆるく書いていきますね。 これ中学3年の卒業文集の一ページ。中学3年の時にはシーケンシャルサーキット社のプロフ

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僕が音楽を始めたきっかけ(2)

YMOでシンセ熱に火がついた僕ですが、それが音楽の道へと突き進む原動力となったのは間違いありません。(ちょうどYMOが40周年でキーボードマガジンが特集組んでて、ちょっとタイムリー?) では、その前は音楽には興味があったのかといえば、まったくないわけでもないですが、普通でしたね。でも、小学校のリコーダーには全く興味がなく。通知表は常に3(5段階)でした。唯一、はまっていた遊びが、アニソンを歌うことでした。家にあった、レコードプレイヤー(めっちゃちゃっちいやつ)で、雑誌につい

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僕が音楽を始めたきっかけ(3)

YamahaのMK-100 !! といってわかる人はどのくらいいるだろうか?1983年にでたポータサウンドです。(シンセちゃうやん!)その通り。 その経緯を少し。 小学6年のクリスマスに親からシンセを買ってもらうために茨城から上京して、秋葉原のラオックス楽器館(現在は閉店)に来たのでした。店内に入ると、そこには一階はキーボード、シンセで埋め尽くされ、2〜6階くらいまでありとあらゆる楽器たちで埋め尽くされていました。2階はシンセで、当時の僕の憧れのシンセRoland SH

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僕が音楽を始めたきっかけ(4)

14歳の立志式の文集の中で、冨田勲先生の名前が出てきました。その時、こんな音楽家になりたいと思った唯一の人物です。僕はYMOとシンセサイザーによって大きく音楽に目覚めたのですが、なぜ、YMOでなく冨田だったのか。 <冨田勲の音楽との出会い> 冨田先生の音楽との出会いは、実は小学校6年の時である。小学校の担任の先生(小谷野先生)が実は大の冨田ファンだったのです。小谷野先生は給食の時間に自分のレコードを家から持ってきて、放送室から冨田サウンドを全教室に流していたのです。特に、

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