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人を愛するということ

「ごめんね。」

貴方と出会った時はとてもワクワクして、もっと貴方が知りたくて、ドキドキして、そんな感じを味わいたくて、傍に行きたくて。

「でも、一緒にいられなくなってごめんね。」

私は貴方とずっと一緒にいたかったんだ。この世界のルールに乗ろうとするよりも、純粋に一緒に心地よく過ごしていたかったんだ。

地球の恋愛は、どうしてこんなに息苦しいのだろう。
本当に人を愛する事が、限りなく困難な状況下で、恋愛と呼ばれるものを体験することになっている。

「本当に好きになったら何もかも捨てられるのが愛なのよ。」と友人は言った。

本当の愛に巡りあった時に、捨てるものなんてあるんだろうか。

捨てるものがあるとするなら、それは自分のエゴだけではないのか。自分が愛でいる事を妨げるものだけを捨てればいい。

でも、私はまた目の前の貴方に謝っている。

ごめんね。一緒にいられなくてごめんね。
でもね。私はね。貴方が大切だから、離れることにしたんだ。

貴方が思っている幸せのカタチと私が思い描く幸せのカタチが違うから、私ではない誰かと一緒にいた方が幸せだと思うから。

貴方と同じ幸せのカタチを探している人はきっと世界には沢山いると思うから。

でもね、私は貴方を愛してたんだ。別れを告げられた貴方は、そうは感じていないと思うけれども。

何度も同じような理由で恋人を失い、私と同じカタチの幸せを思い描く人はこの世の中に存在しないのではないかとさえ思った。

「一人じゃ生きていけないのよ。」と先輩が言った。

一人で生きていきたいとは思っていない。でも、二人でいるのに孤独を感じる人と一緒にいる事の方が私には耐えられそうになかった。

一番傍にいる人から受けるほんのちょっとずつの欠乏感を感じ続ける方が私には対処が難しいと思えた。

その欠乏感を根本的に埋めることが出来なければ、それは恒常的に他から補わないといけないものになってしまうから。

水漏れしているのに配管を直せないため、必要な量よりも多くの水を使い続けなければならない状況を、私は自分の幸せとは思えなかった。(社会への経済的な貢献はあるけれど。)

私は同じ幸せのカタチを持っている人と、私達が思う愛をこの世界に残していきたいと思う。

私の姉が言った。「はなちゃん、それはミクロの世界だよ。ほんとに小さな針にある、とても小さな穴に糸を通そうとしているようにしか見えない。」

私は自分のパートナーの理想として、自分も自立していて、相手も自立していて、そして相互にお互いを補いあえる、そういう関係を築ける相手がいいと言っただけだった。

誰に教わった訳でもない。

ずっとそう思ってきた。

私はずっと待っている。

その貴方が再び会いに来てくれることを。

長い旅路を終え、再び私のもとへ現れるまで。

永遠のような時が流れたとしても、私はいつまでもいつまでも。


誰もが、それぞれが思う本当の愛に巡り合える世界になりますように。

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