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人は愛のエネルギーを食べて生きている 口にしているものから 愛を感じて 満たされる いのちは愛でできている 食べ物はいのちでできているものと そうでないものがある ひとはいろんな形で愛を表現して生きている だけど その表現から愛を受け取れないでいることもある 愛を見つけられずに彷徨っている だから ひとは口からそれを受け取ろうとする 愛が欠けているように感じると 愛を見失っているようにふるまうと それに応じた形で埋めようとする 今は食べ物のすが
双極性障害。 今はそう呼ぶようになったそうだ。 誰だったか芸能人がカミングアウトしたとか。 今の時代は心の問題について皆が打ち明けやすくなったのかな? わたしが子どもの時はカウンセリングを受けに行くなんてとっても敷居が高いこと、秘め事のような問題だったように感じた。 「イエローピーポーが来る」なんて茶化しもあった。 精神疾患の人を黄色い救急車が迎えに来るのだと。 そんな嘘のような言葉が怖かったのは、その言葉の裏にある「レッテル」が正体なんだと思う。 社会からのはみ出
この地球の すべての生あるものに 生まれたときから約束された「ギフト」ってなーんだ? それは「死」だよ 肉体の死。 草木も花も 虫も 動物たちも 人間にも 平等に訪れるもの なのに 人間だけが そこから目を背けるように生きている そんなこと今初めて聞いたとばかりに 兆しを感じて ふと自分に差した死の影を見て 慄き 慌てふためく 動物も 植物も 皆 理を受け入れて逆らうことなく生きて 新たないのちを紡いで 死んでゆく 人間はどうにかして抗えな
どうして追いかけながら逃げているのかな おかげで近づいているのか遠ざかっているのか なにか 少しは変わったのだろうか 誰かを見る 直接 会うこともあれば 本越し 画面越しに 文字や言葉を通して出会うこともある その瞳に 相手の姿を捉える 心に 相手の姿を映す その時 小さな礫が ヒビを入れてしまう あっという間に 相手の姿を映した鏡 そのままの姿を奪ってしまう 小さな でも 重い重い 礫 罪を抱えたような 礫 心の中に 石が転がっている 躓きの石 石