”ただの寄っかかり合い”と、”お互い受け止め支え合っている”関係の違い

人は、何事も独りで溜め込み過ぎるのは良くないです。

どんなに我慢強い人間であっても、どんなに聞き上手で例え受け止めることが専門のカウンセラーのような職業の人であっても、自分の心の中に溜め込み過ぎると、何か歯車おかしくなっていきます。

人に話す”また”言葉に出す”ということは、とても大事。
ただ言葉に出すことで、そこで考えが少し形が変わり、自分で言葉にしたものを自分の目や耳で聞いてまた再び自分の中に入ることで、あらゆる進展をみたりもします。

一度出す”ということは、とても大事。

自分で紙に書き出してみたりまとめてみたりするのも良いですが、溜め込んでいて苦しい…そんな時に、何か様子を察してくれたり、事情を気にしてくれたり、ぽつりぽつりと零れた時に耳を傾けてくれたり、共感してくれたり、その上で一緒にいてくれたり一緒に祈っていてくれたりする人がいたら、すごく大きいですよね。

これは、どんなに自分は受け止め役だ、そんな吐き出すようなことできないよ、と感じているようなタイプの人でも、同じ。

それでいて、そういう人とは、普段からも、近況報告をしたり応援し合ったり、時には同じ方向を向いて、同志になったり…そういう関係でも在れるものです。
寧ろ、そういう関係だからこそ、苦しい時に受け止め合える。

人生の中で、例え1人2人でも、そういう人間関係が持てたら、素晴らしいことですね。


でも、中には、お互いのどちらかもしくは両方が、「…あれ?」と思ってしまう関係もある。なぜか、どちらかもしくは両方が、負担になってしまうのです。
ここからは…、ある意味ではとても、微妙なお話かもしれません。

本当に上手に受け止めてもらえている人は、逆に「自分が受け止めてあげている」と思ってしまっている傾向があるのです。
…ここ、重要ポイントが2つあります。
ひとつは、「自分が受け止めてもらっている側なんだけどそのクッションがあまりにその人にとって柔らかくて大きかったり、相手が受け止めている感を出さないものだから、逆に”自分が相手を受け止めてる、もしくはそのことのが多い”と思ってしまっている」という点。
もうひとつは、「あなたのために受け止めてあげてるんだよ」というスタンスである、という点。

そして、そういう立場の人は、自分が受け止めるべき場面になっても、きちんと相手や相手の抱えているものを受け止めることができず、どこかズラしたり避けたりしてしまう傾向もあります。

また、こういうタイプの人は、
苦しい時には寄っかかって来るけれど、あなたが苦しい時には、連絡をくれません。自分が常に「受け止めてもらう」側の人間だからですね(本人にはその自覚がない場合が多いのですが)。
「受け止めてあげる/あげてる」という感情の強い場合はあなたが苦しい時にも何か話しかけてはくれるかもしれません。ただ、この場合(後述しますが)あなたが苦しい状況を知っていながら実質気にせずに逆に自分の苦境ばかりを吐いてきたり、あなたの事情を聴いても共感を示してくれず自分や他の何かと比較したり否定したり、という対応をされてしまう可能性が高いので、心の準備がないと、苦しい時にそんなものを受けると逆にぽきんと折れてしまいかねません。


きちんとお互い受け止め合うことができている人達は、「自分も受け止めてもらっている」という自覚がしっかりとあり相手に対して感謝があるので(寧ろ「自分は受け止めていることあまりないのに…」と思う場合すら多いかも)、「自分がいつも相手を受け止めている」という思いもなければ、増してや「相手のために私が受け止めてあげている」というようなことがなく、寧ろ逆で、「いつも受け止めてもらってるし、私もあなたが辛い時は受け止めさせて頂きたい」というような感覚なのです。

↑これ、最初に書いたような、「うまく受け止め合い支えあえている人間関係」の共通点だと思います。
そして、お互いに持ちつ持たれつの関係なのかそうでないのかの、判別方法。自分がどっちかといえばどう感じているか…で判るからね。


そして、「受け止め合う」「支え合う」ということについて大事なことをもうひとつ。
もちろん存在自体を受け止め合う(受け容れ合う)のは、お互いが常にお互いをどう感じているか、なのですが。
ピンポイントで「相手の苦しい時相手を受け止める」…要するに、事情を察し、耳を傾け…ということですね。これはね、

お互い全く同時のタイミングにはできない

ものなのです。
ピンポイントにおいてはひとりが「受け止めている時」は、もうひとりが「受け止められている時」です。極端な言い方をすれば、ごくごく一時的に、一方がカウンセラー役、一方がクライエント役になっているのです。
うまく行かない関係って、ここがうまく行っていない場合が多い。
「自分が今受け止めているんだから相手だって今受け止めてくれるはずだ」「相手が受け止めてくれてるんだから自分だって受け止めたいのに相手は何も言って来ない(自分が事情を引き出せない)」←まぁ後者はあまりないか…

できるわけありません。
「ああそうなんだね…いや、実は自分も今こういう状態でね…」という感じで同じように苦しい状況を引き合いに出して慰め合うような場合はあるけれど、それは、”受け止める手段のひとつ”なので、お互いが受け止め役になっているわけではありません。
もちろん、それで自分の状態を引き合いに出して話すことで、その人も「ああ、話せた」と気が楽になることもあるし、その1分後に今まで感情を受け止めてもらっていた方が「え~そうなの、知らなかった…え、で、どんな状態なの?うん…うん…」と、受け止め役が交代することもありますよ。これはとてももちつもたれつがうまく行っている関係ですね。


ただ!微妙な点ですが、この時にただ単に、
「実は~でね。辛くてね…」
「えー私もそうなんだよ。ほんとに辛いの、ねえ聞いて、こうこうこうでね…」
「ああ、私の方はこうこうこうなんだよだから大変でしょ…」

…と、なるのは、多くの場合、相手のことは内心受け止めていません。自分の辛さをとにかく相手に吐き出したい、というだけ。
これは、持ちつ持たれつではなく、ただ単に、
寄っかかり合い

この場合、お互いが相手に「聞いて貰えている、受け止めてもらえている」感覚を感じられないので、下手をするとお互いに「私は聞いてあげてる」と思い込んでしまっているかもしれません。
いずれにしても、お互いが話すことによってお互いの心の重荷はとれません。

たまに、ただ単に喚き散らしてつまり一人で(お互いに)言葉に出しているということ自体によって、気が晴れる場合もあるかもしれませんが。でもその場合は、「持ちつ持たれつ」の関係でも、「寄っかかり合い」の関係でもないような気がしますね(笑)


また、「受け止める受け止める」と言ってくれているのに、あなたの特定の一面や事情に対して突然耳や目がぱたんと閉じてしまうような感じを受けたり、何故か(言葉とは裏腹の場合もある)否定されているような感じや憎しみの波動を感じたり、「なんかどーでも良さげだなこいつ、なーんか上辺だけだな」と心の奥底が叫んでいるような場合は、相手はあなたの事情を「受け止める力がない/もしくは自分が受け止めてもらいたいがためだけに言葉だけ」の可能性が高いです。少なくとも「受け止めてあげる、あげてる」スタンスの可能性が高い。そういう場合は相手の「受け止めるから出して出して」という言葉や雰囲気に従って出し過ぎるのは、少し注意した方が良いかもしれません。

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