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無意識の同調圧力 vs 有意識の高い抽象度

情報受け入れのフィルターを分類

「B層」と聞いてピンとくるだろうか?

そのワードが生まれた背景は「郵政民営化」の時で、興味があれば調べて頂きたいのですが、この度の「消費増税という改革への世間の反応」を例にとって説明すると、

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「A層」 IQ高め 消費増税によって「実際に」どうなって、自分がどのような恩恵を受けるのか、長期的に見えている立場で、消費増税に肯定的。

「B層」 IQ低め 「日本の借金が1,000兆円以上で、国民一人当たり900万円でヤバいってテレビで言ってた」などの理由により消費増税に肯定的。

「C層」 IQ高め 消費増税によって起こりえる脅威を、様々な角度から熟知したうえで、自分の意見として判断している。消費増税に否定的。

「D層」 IQ低め 失業などの理由により、消費増税の負担に怯えている人々。消費増税に否定的。

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「IQ低め」や「怯えている」など、文面が良くありませんが、調べるとホントにこんな感じ。

あなたは、どの層に属しているだろうか?

「B層(またはD層)だけど、IQ低くないぞ!」と感じた方は、IQ度外視で、「情報の受け入れ状況」で考えてください。

B層と自己診断した方は、「抽象度」を上げていただき、人生をカラフルにしていただきたい。

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抽象度を上げるとは

さて、コーチングを実践するうえで、重要なワード「抽象度」が出ました。

抽象度を簡単に説明すると、物事を高く広い視野で捉え考えるかという度合いのこと。

例として、犬の「ポチ」を見て「ポチだ」と捉えると抽象度が低く、「犬だ」→「哺乳類だ」→「生物だ」と捉えていくと抽象度が上がったということ。

「ポチ」は、その犬一匹しか対象ではないが、「生物」だと、犬も、ライオンも、魚も、植物も対象で、視点が高く広いということになります。

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抽象度が上がるとどうなるのか?

まず人生の役に立つのは、何でもかんでもカッチンカッチン怒らなくなるということです。

電車内で赤ちゃんが泣き叫んでたら、「赤ちゃんが泣いてうるさい」という事態に反応して、「チッ!うるせーなー」と腹を立てる人もいるでしょう。

では、もしあなたがその子の親なら、泣き叫ぶことによる周囲への迷惑を配慮して、どこに行くにも「公共の乗り物には乗らない」という判断をするだろうか?

「もし、自分がその子の親だったら」と考えることも、一段上の抽象度ですし、人をいじめる様な奴も、相手の立場に立てていないわけです。

赤ちゃんが泣くことは誰でも仕方のないことであることなど、子供でも知っていることですし、かわいい赤ちゃんが微笑ましいと捉えたら、怒りとは対照的な反応をすることでしょう。

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車の運転中に渋滞に巻き込まれて、「チッ!ちゃっちゃと動けよバカヤロー」と怒っている方も「なぜ」を考えましょう。

先頭車が信号で停まったり、坂道で速度が変化したことによる原因で渋滞すると考えれば、本当は先頭車が信号変わったのにスマホ見てて、後続車に迷惑が掛かったのが原因だったとしても、それは見えないし、わからないから仕方のないことと判断して、イライラする必要がないのです。

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つまり抽象度が上がると、何かが起こって、それについて自分で考えを持って、そのうえで反応や行動できるのです。

何かが起こって反応的に捉えて、石と石をカチッとこするように着火することはなくなります。

どうでしょう?豊かなマインドに変化していませんか?

そして、ビジネス、コミュニティ、報道など、自分だけの問題ではない場合にも、抽象度の高さは有効です。

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同調という洗脳に対峙する抽象度

ビジネスの組織において、ホントに怖いのは「何も考えないと悪いほうにも同調してしまう」ということ。これは本当に怖い。

集団で不正をして大問題になった組織を調べると、キツいノルマや、それに対するプレッシャーにより、恐怖的に重圧をかけて、その臨場感により主体的な考えを奪い取り、仕事のやり方に関しては「正しくやれ」と言いつつ、やり方よりも「結果」で評価することで、

「これくらいなら大丈夫だろう。組織や自分の評価のためだ」という芽がでることにより、「みんなもやってるし」という同調理論で、自分も手を染めてしまう。

それが自分の考えだと思ってしまうという、恐ろしい環境が作られている場合があります。

恐怖で考えを奪い、組織に利益が出たら褒めるを繰り返すなんて、まさに洗脳ですね。

平成初期に起こってしまった「山一証券」の自主廃業事件を調べ考えると、最近だけの話ではないので、震えあがります。令和に残してはいけません!

その当事者の社員の中には、「組織のためだと思ったし、悪いと思ってない」と証言している方もいます。

苫米地博士著書の、「明治維新という名の洗脳」を読むと、明治時代や江戸末期まで遡り、「自主的な考えをさせないように多く搾取する」という状態だったのだと恐ろしくなります。

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最近の芸人の闇営業問題も、事務所を通さず営業してはいけないと知りつつも、先輩の芸人が「そんなん当たり前にやっとるで~」とか言われて、目の当りにしたら、「あっそうなんですね~」と先輩も後輩も悪気もなく(正に悪気もなく!)やる訳です。

事務所の体制が悪いとか、反社会勢力でなければ誰にも迷惑かかってないとかありますが、深く考えずに同調したことにより、悪気もない芸人たちにとって、考えもしないところからギロチンが落ちてきたのは記憶に新しいところです。

もちろんこの記事は、闇営業を批判するとかではなく、同調は怖いということです。

お笑いはとても大好きです。

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コミュニテイに関しては、多くを語りたくなったので、ブログがビジネス寄りになることを防止するためにも、次回に回します。

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報道だってTV、新聞の伝え方で正しいのか?そのまま受け入れているだけではないか?

圧倒的多数の人が、伝わったことをそのまま受け入れることにより、情報発信者は有利になります。

伝える側もプロですから、大変巧妙に自分たちの利益になるように導けるわけですので、「世論」として情報発信者側主体の舵を握れます。

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それが「B層」という圧倒的多数です。

自分の人生が「B層」になっていないか?自分の選択により豊かな人生か?

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考えてみたら、小学生の時から「整列!」と先生に言われて、反応的にビシッと整列をしていなかっただろうか?

「ビシッと起立して等間隔に並ぶ必要はあるのか?」と自分で疑問を持ち、「そこまでビシッと並ぶ必要はないけど、クラスの協調性が乱れるからビシッとしよう」と自分で選択して行動する人に教育することが望ましいのではないだろうか?

教育からして「B層量産型」なのではないだろうか?

幸い、時代が多様性を含んできていますし、情報収集手段も多彩になっているので、抽象度を上げることに注力して、自らに入ってくる情報や、自らの現状に対して、クエスチョンマークを持つことにより、主体的なゴールを設定→行動しましょう。

クエスチョンマークは、常に持ち続けて、ゴールをより高く広く更新しながら、社会性のある豊かな世界を創っていきましょう。

three S coachingブログより転載

three S coaching HP

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