声なき涙を
12月4日という日は、私を悲しい気持ちにさせる。
アフガニスタンで支援活動をされていた中村哲医師は、3年前の12月4日に殺害された。
その衝撃は、今もなお私の心を揺さぶる。
ドイツのあるドキュメンタリー番組を思い出す。
それは、ニュース番組の次に始まったもので、たまたま目にしたものだった。
小学校低学年くらいの女の子が、一人で鏡の前でお化粧をしている場面から始まる。
頭にヒジャブを被っているので、イスラム教徒だろう。
場所はアフガニスタン。
女の子は、その小さな唇に真っ赤な口紅を引きながら、こんな風に話し始めた。
「私は今日、歳を取った男の人に売られるの。
家族が貧乏だから、仕方ないの。」
私はその一言に、頭を殴られた気分になった。
その女の子は、結婚という形を取り、70歳くらいの男性に売られて行く。
彼女は、自分が売られていくのにも関わらず、自分でお化粧をして、綺麗に着飾り、その準備をしているという事実に唖然としてしまう。
自分がもし同じ立場だったら、こんな風に毅然とした態度でいられるだろうか。
続いて、結婚式の様子が放送された。
それは、彼女の実家での小さな儀式だった。
形だけの結婚式。
それが終わると女の子は、男性ともう一人の女性に左右を挟まれ、実家を後にした。
それは、花嫁を支えるというよりは、むしろ逃げ出すのを防ぐためのようにも見えた。
彼女は最後に少しだけ、実家の玄関から出る時に小さな抵抗をした。
声も出さず「行きたくない」ことを表明するために、玄関先で足を止めたのだ。
彼女にできたことは、たったそれだけ。
まだ家族の元にいたいことも、売られたくないという気持ちを言葉にすることすらせず、彼女は両サイドから腕を掴まれ、そして黙って売られて行った。
彼女はもう実家に戻ってくることもなく、2度と家族に会う事もないそうだ。
こうして彼女は800ユーロの代わりに、その日に会ったばかりの、自分の祖父ほどの歳の「新郎」と結婚した。
彼女の小さな唇を思い出す。
その赤い口紅は、言葉を発する事なくとも、痛みに震える彼女の心から滲み出てきたように、まるで真っ赤な血のように見えたのだ。
女の子が「お嫁に行く」様子が放送された後、他の家庭の同じ境遇の女の子が次々と映し出された。
みな、自分が売られて行くことを知っている。
涙を流す子、膝を抱えて言葉も出さずに俯いている子もいる。
そして、家庭に残るきょうだい達も、とても暗い表情をしている。
あの子は売られていく。私でなくて良かった。
あの子が売られて行くお陰で、私達は食べることができる。
その言葉を語る瞳は、悲しみが漂っている。
貧しくとも、一緒に育ってきた家、一緒に遊んだ庭や街。
そこでの思い出を次々に話しながら、売られていく子も、それを見送る子も、どちらも泣いている。
最後に、彼女達を売る事を決めた父親がインタビューを受けていた。
父親も泣いていた。
しかし、他に方法がないと言う。
他の道があるならば、そうしたい。
でもその道がない場合、どうやって他の子供達を食べさせていけばいいのか、とインタビュアーに縋りつくように聞いている。
父親の涙は、彼女たちへの愛を物語っていた。
ドキュメンタリーの中に出てきた誰もが、幸せではない。
貧困のために、家族が引き裂かれてしまう。
なんと残酷なことだろう。
800ユーロは、数か月のうちになくなってしまうだろう。
しかし、彼女達はもう2度と戻ってくることはないのだ。
彼女達に与えられるべき青春はなく、教育が与えられるケースもほとんどないという。
800ユーロの代償は、あまりにも大き過ぎる。
同じ歳くらいの姪っ子を思い浮かべる。
まだまだ我がままいっぱいの姪っ子は、まるで天使のように笑い、愛に満たされている。
両親や兄弟姉妹、祖父母にも甘えたい放題だ。
私にも、たっぷり甘えてくる。
それこそが子供らしい姿だと思うのだ。
一方では、姪っ子と同じ歳の女の子が、静かに鏡の前でお化粧をし、毅然とした態度で運命を受け入れている。
どうして同じ歳の彼女達が、このような苦しみを味わねばならないのか。
運命とは、なぜこんなにも不公平なのか。
彼女達はなぜ、言葉を発する事すらできずに、その運命を受け入れなければならないのか。
彼女達は、いつになれば、また笑顔を取り戻す事ができるのだろうか。
心が、ざわざわする。
目を閉じて天を仰ぎ、神様、彼女達を救ってくださいと祈る。
鏡の前で無表情で口紅を引く、あの小さな花嫁のどんよりとした瞳が、私の記憶から離れずにずっと残っているのだ。
天国におられる中村哲医師は、どんな言葉をかけて下さるだろう。
どうか、彼女達を救ってあげてください。
心も身体も、これ以上苦しまないように、どうか救ってください。
中村哲医師が、干ばつで乾いた大地に用水路を作られたように、彼女達の心にも水を与えてあげてください。
そして、彼女を失った家族の傷も、どうか癒してあげてください。
今日は、アドベントの二つ目の蝋燭に火を灯す。
蝋燭の炎を前にし、中村哲医師のご冥福を祈ると共に、もう一つ祈りたいことがある。
どうか、どうか、声も出さずに泣く小さな花嫁が、一人でも減りますように。
写真は、Courrier Japon/ bbc.comより