「嬉し恥ずかし」ならぬ「書きた恥ずかし」
うれしはずかしって、なんかかわいい響きですよね。可愛いですよね。
それにかぶせるかのごとく、同じリズムで私の心の内を表現すると
「書きた恥ずかし」。
この感情とお付き合いしてかなりの時間が経ちます。
私は書きた恥ずかし人間なのです。
書きたいことや思っていること、表現したいことは山ほどある。自分の中だけにとどめておきたくはない。伝えたい。
でも・・・・・恥ずかしい。。
この気持ちが先行して、なかなか発信できずにいるのです。
何が恥ずかしいのかというと、
「そういう発信してるやつイタイで」
って、もう一人の自分が左上の方から常に言ってて、
それがとんでもなく恥ずかしいのです。
昔からちょっと自分を俯瞰してみているところがあって、(これはAB型あるあるらしいのですが、)周りからの目を意識させてくるもう一人の自分が、やんわりと行動を制してくるんですね。
そう、恋愛もそうでした。
小学生の頃から、好きな人がいるということを誰にも打ち明けることができませんでした。お笑い担当だったので、
「誰かを好きになるとか、そんな乙女なキャラとちゃうやん!」
ともう一人の自分が囁き続けることで、普段の社交性はどこへやら。初彼氏ができるまで相当の時間を要してこじらせていました。(現在結婚し、子を産んだということは奇跡のようです笑)
FacebookやInstagram、Twitterが流行ってからだいぶ経ちますが、この子たちとのお付き合いの仕方が分からず、「書きた恥ずかし」の私が、こじらせているのです。
「書きたいなら書く、恥ずかしいなら書かない。好きにしろ!!!」
という声が方々から聞こえてきて、背中めっちゃ痛いんですけど、そういうことじゃないんです。矛盾した感情があるから苦しいんですよね笑。
ただでさえ「書きた恥ずかし」なのに、そこに輪をかけて「情報漏洩心配性」という私も顔を出してきます。
「場所が特定されるような発信あぶないよね?」
「子供の顔出しとか絶対NG!」
(どこのアイドルやねんっていうアンテナの高さ笑)
さらなるやらない理由=書かない理由が増えていくのですが、それでも
「・・・書きたい。」
その気持ちは消えぬのです。
答えは何もないのですが、今は書くことが自分にもたらしてくれることを考えたり、聞いたりしながら、ゆっくりとリハビリ中です。
もともと文章を書いたり、伝えたり、言葉で表現することが好きでした。
表現することを生業にもしていたので、仕事をしていたときは、会社の中や仕事を通してその欲求はある意味満たされていたのかもしれません。
妊娠・出産を経て、穏やかな時間を過ごすなかで、他の手段で満たしていた(気になっていた)その欲求が、本当の意味で満たしたい!と顔をだしているのです。
いや、ほんまに勝手にしなさいよという話なのですが笑、どんな分野でもこじらせって、複雑ですよね。
私は少しずつでもいいからその一歩を踏み出したいと思っています。その一つのきっかけはこのnote.です。
まず1ヶ月続けてみよう。
自分が誰なのかなんて分からないから好き勝手書こう。
見直しもせず投稿しちゃおう。
「まじ興味ないしー」って思われてるかもしれないけど、やることをゴールにしよう。
なんてことを思いながら、「書きた恥ずかし」を卒業できる日を夢見て、構成もオチも考えず、見直しもせず、評価を気にせず、迷わず、今日もnote.を綴ります。
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すごいとりとめもないnote.にも関わらず、いいねを押してくださった方。ありがとうございます。「書きた恥ずかし」の髪の毛1本くらい、消えて行きました笑 全身が消えるのはいつの日か。
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