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「特別な悩みを持っている自分」にアイデンティティを持ってしまうと、抜け出せなくなる

自分に向けて書き殴る。(というかこの記事に限らず、このnote全て自分に向けて書いているといってもいいが。)

自分の悩みが、あたかも特別で解決できないものにしてしまっている。「そんな特別な悩みを持っている自分」「誰にも理解されない自分」に酔い始めてしまう。

身も蓋もないことを言うが、自分と似たような悩みや苦しみを抱えている人間は日本中探せばたくさんいて、その人たちだけを集めてその中に自分も入れば、そういった悩みを抱えた中の人間のうちの1人にすぎない。

それを、なんだか「人からは決して理解されない、特別な悩みを持つ自分」と自己陶酔し、あたかも自分を特別な存在と思いたいから潜在的に解決しては困ると思っている節がある。

なぜ自分がありふれた存在だと困るのか

自分がそんなありふれた存在であっては困るのだ。もっと周りから理解されずに、「誰とも被らないような、特別な存在でなければならない」という強迫概念があり、悩みを作り出す。「誰からも理解されない、自己開示もできずにそこまで親しくもなれない、辛い思いをしてきた訳ありな悩める自分」に酔い続けていなくてはならない。

周りの人と同じになることが、なぜこんなにも怖いのか。ただの普通の人間になることがそんなに怖いんだろうか。確かに個性がないとか、凡人とか、ありきたりとか、普通とか、そういうことを言われるのに恐れている。

私は別に頭も良くない。美女でもない、金持ちでもないのに、なぜこの期に及んで誰かと差別化を図ることに、病的に執着しているのだろう。

なぜそこまで周りと被ったり、同じ考えでいることに恐れを抱いているのだろう。

多分、世間一般的な正当法というか、いわゆる普通のやり方でうまくいってしまっては私にとっては都合が悪いのであろう。辛い思いをしてきた自分、人とは違う自分、そういう自分でないといけない、となぜか思い込んでいる。それなのに「人から変だと思われてはいけない」というわけのわからない矛盾に苦しんでいる。

もう同じところでぐるぐるしていたくない。自分にとって、拡大していく可能性のあることはやっていきたい。