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改めまして……、コミュニティに詳しいライターの浜田綾です。

ライターの浜田綾です。

今日からコミュニティに詳しい、コミュニティ好きのライター・編集者として活動します。

「ふーん、そうなんだ。で?」と思った人も、
「あれ?なんか違ってない?」と思った人も、

少し長いけど、ここに到るまでの話をさせてください。


ライターになったその日から、専門性を探す旅だった。

私はもともと10年間会社の事務員で、確かに文章はよく書いていました。でも、ライターが書く文章とはまた別で、組織がうまく回るために文字を使ってコミュニケーションすることが多かったのです。2年前まで勤めていた会社ではパートでしたが、すごく評価していただいていたし、不満は何もありませんでした。ただ、私にとって働くことは生きること。仕事はどんな形であれ一生していたい。だったらその仕事は楽しく、長くできるものがいい。その当時いた会社の中では評価されても、一歩外に出て市場にさらされれば、私は10年事務職やってた人でしかないことは理解していました。

だからこそ下の子が3歳くらいになり少し手が離れた時点で、自分だからこそできる仕事をやってみたいと思い動き始めました。ポイントはあくまで「自分だからこそできる仕事」ですから、会社にいながらスキルアップすることも考えました。実は経理の勉強をしていた時期もあるんですよ。もっとも私には向いておらず、全く勉強は進みませんでしたが。私は数字数学が大の苦手で、家計簿もつけたことがない女ですからそりゃそうなんですけどね。

まぁ、そうやっていろいろ模索している時に、可能性の一つとして趣味で書いていたブログにハマりました。ブログはこれまで4つくらい運営していたし、遡れば作文を書くことはが好きな子供でしたから。もっと上手になりたいと思って入ったブログのオンラインサロンをきっかけにライターになり、書くことを仕事にしようと思いフリーランスになりました。ただね、始まりがこんな調子なものですから、ライターになったらなったで、そこからは専門性を探す旅でした。文字を書くって誰でもできることですから、仕事にするなら、やはり何か専門性があったほうがいいんです。なんでもOKだと、深い内容の文章が書けないし、何より単価が上がらない。でも最初は、そのことすらよくわかっていませんでした。


経験則に基づいたSEOライティングをする。

最初にお声がけいただいた仕事は、SEOライティングが中心でした。それはいいんです。ただ、専門家でない人が取材なしで書くSEOライティングは、私は嫌でした。専門外のことでも取材させてもらえるならいいけど、大抵「インターネットでリサーチを」と言われるわけです。それってネットで書く記事をネットで調べろと言うてるわけで、私は受け入れられませんでした。勝手に取材する手もありますが、そうなるとどう考えても納期に間に合わないしお金も合わないんです。人がどうするかはさておき、ライターのキャリアという視点で考えるなら、取材なしで専門外のSEOライティングを続けることはサスティナブルでないと思う。専門性が育たないから単価も上がらないですもん。

というわけで当初の私の仕事は、

結婚、出産、育児、インテリア(趣味で多少詳しい)に関するSEOライティングが中心でした。ただ、どれも「経験したことがある」レベルで、すごく何かに特化して好きだ〜じゃないんですよね。育児でも例えばキャラ弁が死ぬほど得意だとか、異様に絵本に詳しいとかね。狭く深く語れる何かは持ってなくて、それは結局専門性の欠如だよなということは自覚していました。

どこにあるんだ私の専門性……
専門性……
senmonsei……
せんもんせい……

専門性を探す旅は続きます。


取材して代理で記事を書くように。

転機となったのは、建設業のメディアを運営されている方の仕事を受けたこと。その方も取材なきSEOライティングによる記事が検索上位を占めていたことに憂いを感じていたようです。その方に電話取材をして記事を作る。専門知識は取材して、私は書く専門家として仕事をする。餅は餅屋方式です。このやり方が私には合っていたようで、他にも士業の方や不動産業の方からお仕事をいただくようになりました。ここから書く記事の幅が広がり、単価も上がりました。取材して書くとか出版業界なら当たり前ですよね。というか「取材なしで書くのかよ!」とツッコミ入りそうですが、ぶっちゃけWEBの世界ではまだあることだと思います。


コラムを書きたいなら、なおさら専門性が必要だ。

もう一つ転機となったのは、ある起業家の方との出会いです。私の場合、元がブロガーですから、主語が自分のコラムとかエッセイを書くことが好きだったんです。実現はしませんでしたが、コラムニストとしてお仕事を受けるかもしれない話もありました。その起業家さんからもらったアドバイスがすごく的確で今思えば本当にありがたかった。「浜田さんの書くnoteはすごくいいけど、家族の話と過去の話を書いているだけだと、いつかネタが枯渇しませんか?コラムニストというのは、本業があって、その傍らで書くものでは?」と。

その頃の私は、ただnoteを更新していただけで何にも考えてなかったけど、おっしゃる通りなのです。日常のことか過去のことを書いても結局は普通なんですよ。まぁ一般人の日常ですからね。もちろん日常を上手に切り取って発信する方がいるのも知ってます。はあちゅうさんとか、まさにそう。天才的です。ただ、私の場合は、毎日の自分の日常をずっと話したいわけじゃない。言いたくて仕方がないことがあったら、書いて吐き出すけど特に何もないならないで別に言いたいことはないんです。

例えば飲み会の席で、誰かがめっちゃ喋っていたら私は喜んで聞き手になって盛り上げます。逆に誰も喋らないなら、沈黙に耐えられなくて自分で率先して喋っている。これを無意識にやるタイプだから、発信も同じなんです。素晴らしい話をしている人がいれば、喜んでそれを届けたい。主語が自分じゃなくてもいいんです。でもどうしても言いたいことがあれば、すごい熱量で自分で書く。それが私だなと。そうすると専業でエッセイストを目指すのとは違うわけで、やっぱり何かの仕事の傍らで書くスタイルになる。だからまた探すわけです、専門性を。

どこにあるんだ私の専門性!

で、さっき書いたような個人や法人の方に取材して記事にする仕事が増えてきて、取材して書くことをもっと大事にしたいと考えるようになりました。だったら編集や出版のことをもっと勉強したいなと思い飛び込んだのが箕輪編集室。


ここからは、

箕輪編集室で電子書籍を作る
→運営チームに入る
→前田デザイン室の運営もやる
→マエボン作る
→NASU本作る

で、今年の3月くらいまでに到ります。詳しくは、よかったらこのnoteを読んでみてください。


このnoteで、

・コミュニティ運営はやめる
・ライター、編集者の道1本でやってみる

そんなことを決断した経緯を長々と書き、この方向で歩んで半年以上が経過しました。この判断で、正解だったと思うことと間違いだったと感じていることがあります。



コミュニティ運営を離れて正解だったことと間違いだったこと。


まずは正解だったこと。
それはコミュニティの運営チームから離れたこと。コミュニティマネージャーの役割は好きですし、勝手にできることです。事務職でもともとやってた能力を転用しているだけなので。だけど、動きの早いオンラインサロンだからこそ、運営チームもある程度変わった方がいいと私は思う。私がずーっと強力な愛でコミュニティを守るより、愛を持ってコミュニティを守りたいと思ってくれる人の数が増える方が、そのコミュニティは幸福なはず。だからこの判断には自信があります。

では間違っていたことはというと。
運営は離れても「コミュニティの人」という立場は手放すべきではなかった。全ては私の思い込み、思い上がりでした。私がコミュニティ運営をやめようと思ったきっかけは『マエボン』を作ったことです。とにかく大変だったけど、とにかく楽しすぎたから。極論を言えば、一生マエボンを作っていてもいいくらい。ただこれは仕事じゃないから、これを仕事にしたくなったんです。そう考えた時、次の戦略として考えたのは、ライター・編集者としてもっと上を目指すことでした。もちろんライターとしてスキルアップは必要なので、その部分においては正解です。ただそれゆえ、コミュニティ運営に関することは、極力しないつもりでした。ライターとしてもっと認知されたい。スキルアップしたい。だったらもっと出版業界のど真ん中に行けるようなアプローチをした方がいいのでは?と。自分の年齢や住まいを考えれば考えるほど焦る。だからこそ一個のことに集中するべきだと。今思えば、これは完全なる「THEライター」への憧れです。

その結果どうだったかと言えば、幸い少しづつ成果は出ていました。新しいお仕事も増えたし、中には本の仕事も。セミナーもやるようになった。それでも自分が目指す姿には程遠く、歯がゆい毎日でした。成長を加速させるには、私はコミュニティと切り離さない方がいいのでは?離れれば離れるほどそう感じるようになりました。あくまで一つの指標ですが、「コミュニティの人」を意識的に切り離した頃から、私のツイッターのフォロワーは見事に増えなくなりました。私が書いたり、編集したりした記事が多少バズっても変わらなかった。いや、もっと過剰にそれをやり続けば変わったのだろうけど、現状は変えられていません。つまり現時点ではいちライター、いち編集者としての浜田綾ではパワーが全く足らんのです。それが事実で事実は正解。


そんな中セミナーをやったり、イベントにお呼ばれすることになったとき、自分を客観的に見るようになり、私を形容するタグがわかってきたんです。

私はライター、編集者で

キャリア0からライターになって
コミュニティを使い倒している
お母さん

この3つなんですよ。これ言えば私の概要がすぐ説明できるから。ここまでまた気づいてしまった。私にとってどうやらコミュニティのタグは大きくて、どうやらコミュニティを切り離そうとしたこの半年の方針は間違っていた気がする。

そこに加えて同席していたこの取材です。

まだ記事は公開されていませんが、これは私にも言える内容だったから取材に同席しているときからグサグサ刺さった。私のこの半年は、まさにTHEへの憧れで、ライティングをめっちゃ極めたい、編集者として修行したいの気持ちからだったのだと。その行為自体はだめじゃないけど、自分の本質ではない。思えば私は職を変えたのも、仕事をいただくルートで一番多いのもコミュニティがきっかけ。私がコミュニティを楽しんで活用しているからこそなんですよね。ここを切り離すことは、自分の武器を捨てるようなもの。それにやっと気がつきました。

「灯台下暗し」という言葉がありますが、ずーっと探していた私の専門性は、ずっと私のそばにありました。やっと見つけた専門性。というか目の前にあったのに「違う、これじゃない。これじゃあ本物になれない」と気づこうともしなかった。


そうとわかったら方向転換です。
今日から胸を張って、私はコミュニティに詳しいライター、編集者として活動します。実はコミュニティの人としてのイベントやお仕事も決まっていますので、それはまた時期がきたらおいおいお話します。


改めまして、ライター・編集者の浜田綾です。
コミュニティに詳しい、コミュニティ好きのライター・編集者として活動します。どうぞ宜しくお願いします。



写真:前田高志


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