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戦闘機乗りと、美容師と。(後編)

クリエイティブ道場!

みなさん、こんにちは航空自衛隊出身の闘うヘア&メイクアップアーティスト原田忠のクリエイティブ道場へようこそ!
このクリエイティブ道場はクリエイティブを深く掘り下げ、”美の創造“を探求し、クリエイティブを通じ誰もが美しく輝ける世界を実現してしまおうではないかと、そんな大それたことをテーマに展開していきます。クリエイティブに関わる技術、コト、モノ、人を通じ定期的に動画を発信して美の創造と革新挑んでいきたいとおもっております。
有事の際、ヘアやメイク、ファッションは後回しになってしまいます。東日本大震災のときにいやというほど無力感を感じたわけです。でも美容の文化や美の力は最後の最後に有事を平時にもどし、心を満たせる力があると信じています。
直接的に人の命を救える仕事ではないですが、美容のクリエイティブな活動が
だれかの心にポジティブに働きかけ、少しでも心の癒しや救い、日々の活力になれば嬉しく思います。

クリエイティブな活動が徐々に元に戻る日を信じて、うちに秘めたるクリエイティブ魂の火を絶やさないためにも、微力ではありますが何かのお役に立てればという思いで、記事化していきます。

「自衛隊官であった当時は平和を守る」
「美容に従事している今は平和を創る」

そんな想いでみなさんと一緒にこの状況を乗り越えて頑張っていきたいと思っております。

前回、リクエストQJという美容業界誌のインタビュー記事(前編)を掲載しました。
そして、いよいよ今回はその後編の記事となります。
自衛隊を辞め、美容師の道へ。さらに美容の表現力を磨くために取った行動とは・・・・。
そしてその先には・・・・。


憧れの先には・・・

 原田は修業をつづけながら、視野を少しずつ拡げていった。するとたとえば美容雑誌に掲載された気になる作品が変化していく。よく目に留まる作品。作者の名前が気になって仕方ない。所属はMASA(当時の資生堂クリエイティブチーム)。そこからいろいろと調べていくと、資生堂がプロを対象にしたヘアメイクスクールを開講していることがわかった。そのスクールの卒業生の作品は群を抜いてレベルが高く、圧倒的に魅力的だった。

自分もそうなりたい・・・。

 SABFA(SHISEIDO ACADEMY OF BEAUTY & FASHION)
 メイクスクールはいくつか調べた。実際に通ったこともあった。しかし満足はできなかった。短期間ではなくて、もっと深く、長期にわたって没頭したい。それが原田の願いだった。
「短期で、サロンワークのかたわら通ってもおそらく自己満足で終わってしまう。SABFAの1年間みっちり学ぶクリエーターコース(当時)には入学試験(デッサン、色彩感覚、ヘア技術)がある。そこでふるいにかけられる。自分を試せる。自分の実力が測れるし、もしダメだったら縁がなかった、運もなかったと諦めもつく」
 さらにカリキュラム。ヘアメイク以外にもデッサン、色彩、造形、化粧史、ファッション史、人体解剖学、照明映像学、現場実習、ets‥‥。
 受験。原田は合格した。お世話になった雪が谷大塚の美容室。オーナーは慰留した。まさにこれから店の中心となって活躍する人材なのだ。辞めてもらっては困る。しかし原田は新たな夢を見つけてしまったのだ。その強い想いでSABFAのクリエーターコースに合格したのだ。たまたまその店の店長も、SABFAサロンメイクアップコース(当時)の卒業生だった。店長は自分の経験をふまえ、原田を応援し、その背中をそっと押してくれた。

すべてを捨ててもう一度ゼロからやり直す。サロンを離れ、退路を切った

 SABFAクリエーターコース(当時)。

それは美容の扉を次々と開けてくれる場であった。

「そこから興味を持って、先に進んで道を拡げていくのは自分次第。たとえば色の扉を授業で開けてくれる。そこから本屋さんに行って、いろんな本を買って勉強する人もいれば、扉から覗いただけで終わってしまう人もいる」
 SABFAの生徒たちは誰一人終わらない。みんなそれぞれ勉強を始める。教室には毎日、いろんな本や情報が持ち寄られる。刺激し合う。
「課題がでると、とにかくみんなよりいいものをつくりたいし、あっと驚くようなものをつくりたい、と思って競争が始まる」
 原田は楽しんでいた。楽しみながら、苦しんでもいた。
「自分には感性がないなぁ、とね。何をつくっていいのかわからない、とか。全然浮かばない。その苦しみが一年間ずっとありました。情報だけがたくさんあり過ぎて、敏感になり過ぎて、自分は何をつくりたいのか、わからなくなる。すごく揺れ動く時期でしたね」
 いや、そんなはずはない。彼はそれまで6年間、美容室で働いていたのだ。ヘアスタイリストとしてお客さんを持ち、お金を稼いでいたプロである。「確かにそうです。だけど、それがぐちゃぐちゃになる。自分はいったい何をしたいんだろう、って。一年間でホントに、丸裸にされて揉みくちゃになってぐっちゃぐちゃにされる。自分のダメなところとか、技術不足のところとか。もちろん技術以外の人間的な弱点も、やっぱり二十名揃っているので、出てくるわけですよ。コミュニケーションだとか、協力だとか、協調性だとか。ホント、揉まれますね。情けなくなるくらいに
 いや、彼は美容学校時代、みんなのまとめ役だったはずだ。協調性はある。技術もプロ。メイクが好き。やる気はある。だれにも負けない。なのに何が情けないのか。
「そういう人たちが全国から集まっているんですよ。しかもいろんなものを捨ててきて、死に物狂いでこの一年に賭けている」
 捨ててきている‥‥?
「たとえばオーナーだった人が、友だちに店を譲って来ていたり。そのお店は流行ってたんです。名古屋で、ドレッドが売れるお店でね。稼いでいたんです。だけどあるとき、スタッフから手紙をもらった。もっといろんなことを教えてください。その手紙に、ハッとしたというんです。自分はいろんなことを教えられない。教えるものなんか何も持ってない」
 SABFAとは、そういう場であった。オーナーだった人。店長だった人。トップスタイリストで申し分ない売り上げをたたき出していた人、出産してブランクがある人。また一方で、美容学校を卒業して一年という若者もいた。
「いっぺんすべてを捨て切ってきなさい。今までの人生を捨てて来なさい。生まれ変わるつもりで来なさい。それが基本的な考え方なんです。だから過去の栄光やプライドを引きずっている人ほど、伸びは鈍る。キャリアや自信は、確かに必要なんだけど、あたらしいことを学ぶときには逆に壁になったりする。基礎的なことを学ぶ最初の半年間は、まだ影響少ないんですけど、後半は感性の闘いなんで。闘いの半年間が待っている」
 その「闘い」に、原田は苦しんだ。
「出したいものはあるんです。だけどそれをどう表現したらいいのか。どういう手法や技術を使って、どんな材料を使って。見当もつかない。わからない。浅はかなんですね。経験がない。周りに聞けばオカダヤだったり、ユザワヤだったり。東急ハンズ以外にもいろんな調達手段がある。ぼくが悩んでる間にも周りはどんどん好きなものをつくり始めてる」
 原田は焦った。
「二次元で描くデッサンならばイメージが湧くんです。だけどそれを立体に、三次元に持っていくときに、技術が追いつかない。それをどう埋めるか」
 原田はあるとき解決策を発見した。
「ウイッグを触ること。毛を触ってないと出てこない発想があるんです。イメージで、こんなスタイルかっこいいなと発想する。でもそれをかたちにするには、手を動かすじゃないですか。そのプロセスを逆にする、というのかな。ウイッグを触ってないと、かたちにならないというか、脳が働かないというか。出てこないんですよね」
 つまりは身体感覚。目と頭だけでなく、五感を全開にすること。なかでも指先の触覚が、脳を刺激する。
「それが進むと、デッサン描くときも、頭のなかでウイッグを触りながら絵を描いてる感じになってくる。頭の中で触ってる感触がある。あ、ここは無理だな。つなげられないな。重力もあるしな。こんなのできないな。でもこのデッサンにチャレンジしないと、妥協になっちゃうしな。そういう葛藤が生まれてくるんです」

美容師の引き算

 一年間、来る日も来る日も、休みなく、原田は揉まれた。自分以外のクラスメイト十九人の剥きだしの個性と、圧倒的なプロ意識を持つ講師たちに徹底的に揉まれた。1999年。世紀末の日本は未曾有の美容師ブーム。原宿、青山は美容のメッカとなっていた。その騒動を、原田はSABFAの本拠・五反田から見ていた。
「全然、意識はそっちに行かなかったですね。なんででしょう。周囲の十九名も全員、違う世界の出来事だと思ってました。SABFAのほうがおもしろかったし、考える余裕もなかった。教室のなかで誰よりもクオリティーを高めて目立たなきゃいけないし、認めてもらわなきゃいけないし、もう毎日がいっぱいいっぱいで。美容以外でも建築の本だ、色彩だ、イラストだ、映画だ。なんかおもしろい素材はないか、かたちはないか。とにかく何かを探し、何かを求め続けてましたから、カリスマ美容師ブームとは無縁な世界観でした。」         
 当時、原田は卒業後の進路について次のように考えていた。
「映画の世界へ行きたい、と。スペシャル・エフェクト。つまり特殊メイクですね。HRギーガや、シド・ミードが大好きだった」
 HRギーガ。『エイリアン』のデザイナー。
 シド・ミード。『ブレードランナー』のスピナーと呼ばれるクルマをデザイン。最近ではガンダムのデザインも。
「だけどだんだん、ビューティーやファッション、クリエイションすることに興味が湧いてきた。クリエイティブなヘアメイクの仕事をするのもいいな、と」
 色彩造形の修了制作。テーマは「枯葉」。
「紙で枯葉をつくってください、と。与えられたのはそれだけ。ある人は紙の枯葉を蓑虫状にして、木をつくって吊してた。ぼくは枯葉を組み上げて、そこにライトが当たると男と女のシルエットが映る仕掛けをつくった」
 アートである。彼はSABFAでアートを学んだ。いや、自らの内奥にあるアートを、引きずり出す日々を過ごした。その貴重な日々は、しかし果たして美容の現場に役立つのだろうか。生身の人と、わがままな髪と向き合うサロンの現場で‥‥。
「必ず役に立ちます。ぼくはSABFAで初めて髪とメイク、ファッションのバランスを見られるようになったんですよ。卒業生はメイクも洋服も全体を見渡せる。トータルバランスを表現できる」
 いや、それは卒業生だけでなく、多くの美容師がすでに現場でチャレンジしている。逆に一般の女性に対して、奇抜なものは提案できない。だけどSABFAはそこに注力する。クリエーションやショーと、サロンワークは違うのに‥‥。
「引き算なんですよ。自分の表現をいったんやりすぎというところまでやってみて、そのうえで引き算していく。つまり要らない要素を削っていくんです。一度、つくり過ぎたものを客観視していないと、逆にサロンの現場でやり過ぎちゃう。しかも日々SABFAで引きずり出したものは、表現の手法として身体のなかに残ってる。それがお客さまへの提案力の幅や表現力やイメージ演出のバリエーションになる。だから必要なんです。やりすぎるくらいやってみる経験と時間が、結果的に美容師の武器になるんです
 彼の確信は、卒業後すぐに証明される。JHA最優秀新人賞の獲得。その翌年で、JHAグランプリ。編集者はその作品を「麗しの堕天使」と呼んだ。

心の声、肉声が聞きたい

 原田忠。三十三歳。まったく若い。今後も彼の人生は無限の可能性に満ちている。

「欲がないといったらウソになります。JHAだって、グランプリを獲れるのであればまた獲りたい。素晴らしい環境にいることに感謝し、それに甘えずに、自分に厳しく、一歩一歩踏みしめながらのぼっていきたい」

 優等生である。背筋がぴんと伸びている。話す言葉もそつがない。だけど私たちはきれいな言葉、美しい言葉を聞きたいのではない。資生堂のクリエイターであり、JHAのグランプリを穫った若き美容師の肉声が聞きたいのだ。あなたに導いてほしいのだ。あらたな道を示してほしいのだ。
 美容師は「技術者」とも呼ばれる。技術を身に付ければ、食べていける。そう教わった人もたくさんいる。だけど美容はそんなに甘い世界ではない。技術を身に付けるのもたいへんなことだし、お客さんが簡単につかまえられる時代でもない。なのにSABFAはクリエイションを教える。日本の美容界に、果たしてクリエイションは必要なのだろうか‥‥。

 少し時間を置いて、彼は語り始めた。彼にしか語れない言葉を、紡ぎ始めた。

「クリエイションって、人のこころを豊かにするものかな、と思うんですよね。ヘアスタイルってやっぱり機能的であって、扱いが良くって、それなりに見てくれが良ければ、もう十分機能すると思うんですよ。で、特にぼくは自衛隊にいたのですごく感じるんですけど、日本はすごく平和だ、と。戦争も起きてない。日本から遠い国では紛争や戦争は起きてますけど・・・。でも、実際に自衛隊の中にいた自分は、試験のない試験に向かって必死に頑張ってたわけですよね」
 試験のない試験‥‥。
「つまり戦争がないのに、訓練してる。そういう感覚なんですよ」
 確かに、日本国憲法は戦争を起こすことを禁じているし、起こることも想定していない。つまり日本には戦争はないことが前提なのだ。
「そう思ったときに、プラスアルファのクリエイションというのは、いま豊かだからこそできることであって、そうすることで人の感覚もセンスも、生活もさらに豊かになるんですよね。でもこれが戦争になったときにはクリエイションなんか言ってるヒマはない」

「平和であればこそ、みんなのこころをもっと豊かにしようという気持ちが出てくる。それがクリエイションにつながってると思うんです。いろんなものを見たときに感動したりとか、私もこうしてみたいとかこうなりたいと思うこと。それが豊かさであるといこと。単に機能的であればいいということになれば、別に服だって色のことを考えなくていい。決まった制服を着ていればいいだけの話。だけどそこにクリエイションが生じることによって、個々の個性が出てきたり、いろんな人の、生活文化の幅が拡がると思うんですよ。だから美容業界も、美容師の技術というのも、見た目ももちろんですが、究極は心の豊かさを求めるため、心を満たすものだ、と。技術に感動させたり、説得させたり、共感させたりするのは、クリエイションという手段、その要素が必要不可欠だと。ぼくはすごく思います」

 頭が下がった。原田忠はここにいた。

「ぼくが自衛隊にいたころは、平和を守るという気持ちで仕事をしていました。だけどいま、ぼくは美容師として平和をつくるんだ、と。平和を守るのも重要だけど、美容師は平和をつくる。そんな仕事だと思ってるんです」

 平和の象徴は、女性たちがにこにこと笑顔でいられること。おしゃれに気を配ることができること。きれいでいたいと、毎日思っていられること。こんなに大事なことを、私は原田忠に会うまで忘れてしまっていた。


 美容師は、平和をつくる。すてきな言葉である。

text by Takashi Oka(岡高志)


最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございました。

当時の自分は、その後、大震災とコロナ禍が襲ってくるなどと考えもしなかったでしょう・・・。どんな時でも美容の文化や美の力は最後の最後に有事を平時にもどし、心を満たせる力があると信じています。

次回はちょっと最近のお話で、変化球を投げたいと思います!

ではでは! 皆さんお体ご自愛ください!
こちら原田のHPになります!ご興味のある方は是非‼️ https://www.haradatadashizenbu.com


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クリエイティブ道場!
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