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運命という名の未成年的欲求

【運命という名の未成年的欲求】

さっき、スーパーでインゲンを買った時に急にハッ!と降ってきたのでnoteを書きます。

【運命】についての考察です。

運命ってなんでしょう、運命って一見すごく素晴らしいもののように捉えられていますが、これって「待機していたら自分にぴったりのものが降ってくる」という一昔前のラノベの主人公みたいな欲求じゃないですか?(※なんの変哲もないどこにでもいる高校生の俺の前に、空からいきなり美少女が!「キャー!どいてくださーい!」)

「人生は選択の連続なんだぜ、多くの偶然の中から俺は必然の関係を選択するぜ!」といったサルトル的な自由意志的思考ではなく

なんかよくわからないけど待機していたら偶然自分にぴったりのものがやってきた。という「運命の」流れは、「選択の放棄」つまりカントが言っていた「未成年状態での欲求」なのではないかという考えにいきついたのです!

※未成年状態……とは、自分の考えを持てず、他人の考えに従う状態のこと。人に決めてもらいたい!という欲求がある。


だって自分で選んだわけではなくて「あえて選ばずとも、ピッタリだ!と思いこめるような感情が沸き起こる出会い」が運命であり、自分でいろんなリスクや「いやーちょっと違うなぁ」と踏みとどまる理性をかき消すほど、燃え上がる情熱や感情を与えてくれる機会が「運命」との出会いってことでしょう?

それって自分が自分ではないようなトランス状態への期待であり、冷静な判断じゃないじゃん。と思いました。

そう考えると運命ってちゃちいな……と思えてきてしまいました。

運命、という言葉の意味を分解していくとその根底にあるのは「快楽と情熱を喚起させる都合のよい出会い」なのかもしれませんね。


なぜいきなりこの考えに至ったのかというとスーパーで西野カナの「もしも運命の人がいるのなら」が聞こえてきたからです。ひらめきをありがとう。

夏スタート予定と書きましたが、秋になりました。もう少しお待ちを。

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