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段ボール、スイカ、ドン・ペリニヨン

昨年11月、おずおずと生ビールで乾杯した男女は
今年8月、うひゃーとか言いながらドンペリを開栓した。

超絶気乗りしない飲み会で向かいに座ったのが出会いだった。炙りしめ鯖にサッサ手際よくレモンを絞っていた彼、「また飲みましょう」の誘い口も実に手際が良かった。

翌週にはおでんからのコーヒー焼酎、
その2週後には蕎麦と日本酒を味わう日帰り旅、
客室露天風呂でお猪口徳利をお盆に乗せてちょっと一杯、までそれほど時間はかからなかった。

かくして私たちは呑んべえカップルになったのである。

どんぶらこっこ、あれよあれよと両親への挨拶、私の退職、引越しと手はずは進み、8月10日には区役所の時間外窓口へ大事な書類を手に向かった。

ほの暗くなった役所の片隅で警備員のおじさんが
「おめでとうございます。末長くお幸せに」
とまっすぐに声をかけてくれた時、
とりたてて大安吉日でもなかったこの日が、強く強く照らされたような気がした。

かくして私たちは呑んべえ夫婦になったのである。


帰宅後、彼の冷蔵庫になぜかずっと眠っていたドンペリを酌み交わした。

「普通のシャンパン、いやスパークリングワインとの違いがよくわからない」
と残念な感想を放つ私を優しくいなす彼。

部屋はまだ引越しの段ボールだらけだし(さながら家宅捜索のニュースで見るような積み上げっぷり)、
ペアリングのフードはいたって普通の夜ご飯(ピーマンの肉詰め)。
あまりにもドンペリ開栓の場に相応しくなかったとは思う。

だけれども目を細めながら大好物のスイカをシャリシャリ頬張り、ドンペリで流し込む彼の姿ったらこの上なくいい表情で、なんて贅沢なんだろうと思った。

きっと人生最良の日。
しかし、ここを最良にしてたまるかと、
「ここで死んでたまるか」と同じニュアンスで思った。

ドカンと大きくご褒美的に大きな幸せをもらうより、
こんな風にいい表情が見られる日常を細々とたくさんいただきたい。


結婚して早くもわかったことが3つある。

大切な人と暮らすというのは心配ごとが増えるということでもあるらしい。例えば仕事先で事故に巻き込まれていないか。
このご時世、変なウイルスに罹っていないか。
朝、うっかり星占いなんて見ちゃった際には自分のだけでなく、彼の運勢をチェックするのが日課となってしまった。

2つめ。誰かを思いやる気持ちは自分自身にも跳ね返ってくるようだ。
朝は早起き、お味噌汁に炊き立てごはん。夜は彼のお腹の空き具合に応じたメニューを組み立てたり、出すビールの量を調整したりするうちに、私までいい体調になっている。

心配したり思いやったり。そんな時間を繰り返して1日はあっという間に終わる。3つめ。晩酌時に乾杯する相手が居るという嬉しさ。

「無事で良かったよ」「今日もありがと」「私もよく頑張った」
という気持ちと共に、毎晩、小さくグラスを鳴らす。

結婚ベテラン勢からしたら「最初だけだよ」と言われちゃうだろうか。
でも8月10日、あの段ボールだらけの部屋で交わしたグラスのテンションを少しでも忘れないためのおまじないのような行為、大事にしていきたいんだな。

1年、10年、50年先と一日の締めくくりにいい乾杯ができるよう、私は毎日、心配と思いやりを繰り返していこう。

そんな決意表明を呑んべえ夫婦誕生の挨拶に代えて。

(めぐる8月10日にはちょっといい一本を飲ませてもらえたらきっとこの気持ちは鮮明に長続きするでしょう)




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