少年に田舎暮らしをちょびっとお裾分けしたらこっちも何かリセットできた話。
都会で生まれ育った人たちと話していて郷里の話題になり「うち田舎とか故郷とかないねん」と言われたとき未だに戸惑う。田舎から都会に出てきて暮らしている身としては、相手の境遇がどんな感覚なのか、理屈では分かっていても想像が追いつかない。
妻もやはり田舎育ちだ。今暮らしているのと同じ大阪府内とはいえかなり北のほうに実家があり、野山の裾で草木や土や虫に囲まれて育った。雨上がりには苔がむくむくと膨らみ、路側溝にサワガニが這っているような土地だ。
そんなわけでお互いに田舎=本来自分が帰属する空間という認識を心の奥底にいつも持っている。そしてそれは特段他人に誇るような恵まれた身の上でもないと思っているし、むしろ厄介に感じることもままある。
しかし妻がアルバイト先で知り合った友人なんかは生粋の都会っ子であって郷里と言っても単に両親の暮らす住宅街でしかなく、田舎が憧れの対象であるようだ。田舎に帰省できる人が羨ましい、息子にたくさん田舎体験をさせたい、とつね日頃からよく話しているという。
以前、ここ数年のように府県をまたぐ移動が警戒されなかった頃にその友人一家を招いて、我が実家でタケノコ堀りをしたことがある。自分が育った故郷はただただ退屈なだけのきわめて面白みのない集落でしかないと思っていた(今も思っている)のだが、存外喜んでくれて何やら面映くなった。またいつでもいらっしゃい、と言っていたら世の中があれよあれよとこんなことになって、友人を呼ぶどころか自分自身ずっと田舎に顔を出せていない有様だ。
幼稚園児だった友人の息子くんは小学校に上がった。
完全に以前と同じとはいかないにせよ、ようやく世間がいろいろ落ち着きを取り戻し始めてきたのもあって、妻が再び彼らを田舎体験に誘った。妻の実家で餅つきをするけど来るかと訊いたら二つ返事だったそうだ。そんなわけで久しぶりに少年とその母親(つまり妻の友人)と田舎で半日過ごすことにした。
妻の実家から少し坂を下ったところのバス停でふたりを出迎えた。クリーム色の阪急バスから降り立った少年はひとまわり大きくなってずいぶん活発になっていた。口をついて出たナゾのフレーズを何度も大声で歌いながらくるくるぴょんぴょん跳ね回って歩く。タケノコ掘りのときはもう少しおとなしくてか弱い感じだったなあと思い出す。でも基本的には以前会ったときと変わらぬ素直で気のいいやつだったので安心した。
妻の実家は苔むした石垣の上にある。親子を案内したところ、少年はそれを見て悪気もなく「苔屋敷」と言った。いいネーミングだ。
きょうのプログラムは餅つきと焚き火での焼き芋、あとは庭の柚子でももいでもらって、いよいよすることがなくなれば散歩、といったところ。
まずは苔屋敷の庭で焚き火を開始。近所の材木屋さんでもらってきた廃材や、剪定した庭木の枝なんかを盛大に燃やす。焚き火は大人も夢中になれる最も原始的なレジャーだと思う。ここ数日小春日和で暖かいせいもあって、勢いよく炎が上がると頬が熱い。
火が安定して炭が熾ったら焼き芋を放り込む頃合い。少年はその短い人生経験の中ですでに焼き芋をしたことがあるらしく「濡らした新聞紙でくるむねんで、それからアルミホイル」と誇らしげに手順を教えてくれる。「おお、そうなん、よう知ってんなあ、ありがとう」とおじさんは笑って、彼の指示通りにする。
そうこうするうちに首尾よく餅米が蒸し上がり、餅つきの開始。お義母さんが気を利かせて子ども用の小さい杵を彼に持たせてくれた。まずは少年に気が済むまでやらせて、疲れたの飽きたの言い出したら後を引き継ぐという作戦方針で待機。
するとこれが予想外の活躍を見せてくれた。杵の重みも彼自身の体重も頼りないし、ひとつきの力は大人に較べようもないのだが、少しも疲れる様子を見せず、ずっとつき続けてやめようとしない。結局、ひと臼まるまるつききって餅を仕上げてしまった。まあ正直に言うとちょっぴりお米のつぶつぶ感は残ったけれども、小学一年生がついたにしては上出来。
母親が嬉しそうに動画と写真を撮っていた。きょうは仕事で来れない父親に見せてやるのだという。少年はもう出来上がっているお餅を動画用にもうちょっとだけサービスでついてくれた。
杵をかざして振り下ろすたびに小さな脚がぴょこぴょこ動いて、まるで昭和の頃のゲームウォッチか何かのキャラクターが液晶の明滅で同じパターンの動きを繰り返しているみたいで、妻とふたりで「レッキングクルーぐらいの頃のマリオみたい」と笑った。
みんなで笑いながら穏やかな陽射しのもとで食べるつきたてのお餅は、平和とか安心とか、あらゆる優しさそのものの味がして、お腹の中心がふんわり暖かくなった。
気がつくと焚き火もずいぶん鎮火して、焼き芋のいい匂いが鼻腔をくすぐる。そろそろかと灰の中のロケット型のアルミホイルを発掘する。お義母さんが手慣れた様子でさっと握ってやわらかさを確かめ「もう焼けてるわ」とゴーを出す。いそいそとアルミホイルと新聞紙を剥がす。
果たして焼き上がりはこのうえなくベストのタイミング。ホクホクねっとりとして甘みもじゅうぶん。大成功。
お腹いっぱいになったところで、妻が幼い頃遊んでいたという山の中の神社を探検。鬱蒼とした木立の中にその神社はあって、いきなり連れてこられたらちょっと怖いような気配もある。みんなで、幼い妻がそうしていたように椎の実を拾う。少年は苔屋敷で座っていたアウトドア用のディレクターズチェアが気に入ったらしく、神社まで抱いて持っていき、大人たちがかがみ込んで木の実を探すのをそばで監督してくれていた。
いや、ほとんどはなんかひとりでふざけてた。
木漏れ日が清々しい。
妻の実家は山裾にあって神社へ往復する道のりはかなりの傾斜になっている。少年は帰り道のあちこちで折り畳み椅子を広げてはふざけていたが、案の定途中でバランスを崩して転けてしまい、泣きそうになった。
いいぞいいぞ。子どもらしい愚かさだ。
次には途中でおしっこがしたくなったらしく、内股で落ち着きなく走り回りだした。またしてもいいぞ。どこまでも子どもっぽい。少年の母親(妻の友人)も面白がって「漏らせ、漏らせ」と囃し立てる。なんて素敵な教育方針なんだ。
結局彼はなんとか苔屋敷に戻り、無事お手洗いを借りることができた。
あっという間に陽光は傾き、帰る時間が来て、親子は大量のお餅や食料を持たされ、再び阪急バスに乗って去っていった。
妻と自分はもう一回焚き火を囲んでコーヒーを飲んだ後「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」などと言いながら庭の梅の木を剪定して帰途に着いた。
何だろう、主にボーッとそこにいただけなのに、とても楽しかった。
短かったし大したこともしていないけれど、なぜか不思議に充実した時間だった。
友人とその息子に、どうということのない田舎暮らしをちょっとだけシェアしたら、かえってこっちが気持ちをほぐしてもらえた。何かをリセットできた気がする。
大事な時間をシェアしてもらったのはこっちの方だったのかもしれない。
まず無邪気な子どもとのんびり一緒にいるだけで、大人たちのいろいろねじ曲がって入り組んだあれやこれやの思惑の錯綜から束の間無縁でいられた。
でもそれができたのは、都会の暮らしのようにあくせくと何かに追われたりということもなく気ままに過ごすことが許される、田舎のゆるさのおかげだったのかもしれない。それはつまり自分自身、それほど値打ちを感じずあまり顧みもしてこなかった田舎の効用、ありがたみについて今さらながら気づいた、ということなのかもなあ。
たとえ風光明媚でもなく、古きよき日本の原風景でも何でもなく、退屈で地味な場所でしかないとしても、いっとき心をぽかんと広げてひと呼吸できるというだけで、田舎はやっぱりいいものなのかも。
よし、そろそろ一度故郷に帰ろう。
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