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ていねいな朝食を目指してたどり着いたのが、味噌汁納豆ごはんだった。

朝、一人前のお味噌汁をつくる。窓を開け放つと爽やかな風が、開店を待っていた客のようにいそいそと入ってくる。街はまだ本格的に動き出しておらず、雀たちのさえずりのはるか向こうで旅客機のエンジン音が大きな風船のようにふくらんで響いている。

余裕のある朝にはこうしてお味噌汁を作ることが、最近流行りの言葉でいうモーニング・ルーティンになっている。冷蔵庫や乾物の棚からありあわせの具材を選んでそれぞれちょこっとだけ刻み、順番を考えて煮込んでゆく。今朝は、玉ねぎ、エノキ、お揚げさん、ワカメ。薬味に散らした万能ネギは火を通さず、ピリッとした辛味を楽しむことにする。

毎晩自分は晩酌をしたあと酔っ払って床に転がり込むが、妻は遅くまで近畿ローカルの深夜放送なんかを観て、お笑いを心ゆくまで満喫してから床につく。自然と妻が目を覚ますより前に起き出して、一人分の朝食をつくる流れになる。

奥さんの分の朝食を作らないなんて冷たいようだけど、彼女は朝、ごはん派でなくパン派なのだ(ずいぶん前にも書いた)。朝ごはんは完全に自分のためだけに、自分がその日を気持ちよく迎えられるためにつくる。いわば自分をセッティングするための作業だ。

そう思っていろいろ朝食を試すうちにたどり着いたのが、平々凡々とした味噌汁だった。ちょっと自分でも意外。

きっかけは夏の冷汁生活。

夏の間、これは名案、と思って、冷たい水に味噌を溶いてトマトやきゅうりや大葉などの夏野菜を刻み入れ、レンチンして水で洗って冷ましたごはんにぶっかけ、さらに納豆を乗っけてかき込んでいた。

自画自賛になるけどこのメニューは本当によくできていて、いろんな野菜が一度に摂れるし、眠っている間に失われた水分と塩分も補給できる。つくるという作業そのものについてもある種の儀式のような側面があって、ひとつひとつ具材を刻む間に少しずつ目が覚めてきて、気持ちがその日なすべきことに対してフォーカスしてゆく感じがした。

でも季節が過ぎ去って夏野菜はいなくなり、冷たい味噌汁にも食欲が湧かなくなった。そこで安易な考えでお味噌汁をもともとの温かいものに変え、レンチンごはんも水洗いして冷ますのをやめた。

冷汁生活を経てお味噌汁の具に対する垣根が取っ払われたので、まあ大体のものは具にできると思うようになった。最終的には味噌がなんとかしてくれる。今朝は凡庸な味噌汁だけど、バリエーションは無限だ。偉大なる料理界のジェダイ・マスター、土井善晴先生の教えはさすがだとあらためて確認、唸らざるを得ない。

結局、ぶっかけ納豆ごはんにしてしまう。

味噌汁ごはん02

ごはんを一膳分温めた。あとはお椀にお味噌汁をよそって、目玉焼きでもさっと焼いて食べれば、ごく当たり前の朝ごはんのたたずまいになる。そうすればいいんだけど、己の欲求に抗えず、こうしてしまう。

味噌汁ごはん03

じゃーん。味噌汁納豆ごはん。我ながらはしたないですね。他所様に胸を張ってお見せできるものでは決してない。朝からトントン包丁を動かし、コトコト煮込んで、味噌を溶いたら沸き立たせないように気をつけてお味噌汁を仕上げる。そんなていねいな仕事の結果がこれである。

でもこれで誰かをもてなそうというのでもないし、ただただ自分が朝イチにきちんと目覚めるために、肩肘張らない等身大の朝ごはんを作ろうとしてきたら自然こうなっちゃったのである。お里が知れる、と笑われるかもしれないけど、ひとり静かにこれをかっこんでニヒヒと笑うところから、この憂鬱な世界に立ち向かうための準備が始まるのである。

自分という壁に、今日という日めくり暦を留める。

味噌汁ごはん04]

子どもの頃、親にはあまりいい顔をされなかった味噌汁ごはん。でも思えば当時、毎朝食卓には当然のようにお味噌汁があった。

今大人になって思うのは、お味噌汁を毎日作って食べる習慣があるだけでも相当ていねいな食生活だったんじゃないかということ。それはもしかしたら親の世代でもすでにそうだったのかもしれないし、あるいは現代があまりに目まぐるしくて事情が変わってきた結果かもしれないけど、お味噌汁がある、というだけでそれは立派な方なんじゃないだろうか。

それに、はしたない食べ方をしちゃってはいるけど、その過程では朝から集中して自分のペースでひとつ仕事をこなせている。小鍋の中で煮えていく食材、という事象を自分のコントロール下に置いてちゃんと制御できているという実感がある。今日という日めくりの暦を、自分という壁にきちんと画鋲で留められているという感覚。

深呼吸をひとつして、手を合わせる。

ごちそうさまでした。


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