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秋の夜長の、じっくりコトコト手羽元鍋。

そろそろ、半袖のシャツを全部たたんで押入れの奥にしまっちゃおっかなっていう時季がやってきましたね。日が落ちると、部屋にいてもちょっと靴下が恋しかったり、カーディガンを羽織りたくなったり。ずっとデスクワークのお供に飲んでいたアイスコーヒーをホットに切り替えたり。

それはすなわち、待望のお鍋の季節の到来でもある。待ちかねたように我々夫婦は毎夜のようにお鍋を煮込んではつつき、ニヤニヤしている。

この日も妻はせっせと午後3時から鶏の手羽元を煮込みはじめた。

おいしさをお金で買えないなら、手間ヒマをかけるまで。

手羽鍋06

白ネギの青いとこ、干し椎茸、お酒とともに弱火でクツクツ。

妻にとって手羽元とは、ほろっほろに煮込まれて、お箸で骨から外れるくらいにやわらかくないとダメなのである。豚の角煮と鶏の手羽元、それは高級なお肉を買えない庶民が、せいぜい手間ヒマをかけることでクオリティを上げることができる、いわば下克上食材なのである。だから我々は今日もひたむきに手羽元を煮込む。

この時季、鍋だけに限らず煮込み料理全般に言えることだけど、長時間火にかけて調理していても、その輻射熱が生命活動を脅かさないということ自体が素晴らしすぎる。簡単にいうとコンロのそばが暑くない。夏の間ずっと敬遠しがちだった、時間をかけて料理をおいしくするという作業がへいちゃらでできるようになったのだ。そんな贅沢が許される季節がようやく巡ってきたのだ。嬉しい。

もちろん一方で、料理は全てただ時間をかければいいというものでもなく、鮮度や火の通り具合、熟成度合いなどで「今! 今がいちばんおいしいからすぐさま食べて! 他のことしないで!」という絶妙のタイミングを厳格に逃さず楽しむべきものもあると思う。

でも今回ご紹介するのはそういうおいしさのピーク期間が短い料理じゃなくって、もう何もかもじっくり気が済むまで煮て、ただもうゆっくり味わえばいいんだよーという、ゆるーい鍋である。

なんか前置きが長くなっちゃいましたね。でも秋の夜は長いから、まあそんなにせっつかないで。

クタクタがおいしい手羽元鍋。

手羽鍋07

鶏の手羽元を煮込むこと数時間、いい感じにお出汁が輝きはじめた。

手羽鍋05

ネギは取り出して、おつかれさまとネギらって別れを告げる(食べてもいいけど)。干し椎茸のほうはいったん取り出して刻み、戻し入れたら、白菜を加えてクタクタになるまで煮込む。あとは頃合いを見て豆腐を入れるだけ。

長時間煮込む鍋というものはお出汁を楽しむものでもあるので、あまりごちゃごちゃ多数の具を入れないぐらいがかえってシンプルに素材の味を引き出すのじゃないかと思っている。一方でせっかくの鍋なんだからあれもこれも入れよーヨ! とマナジリ吊り上げてしまう気持ちもあり、つねに葛藤している。今回はそのギリギリのラインを攻めた。攻めて勝ったかどうかはわからない。だが善戦したとは思う。

手羽鍋02

長時間の煮込みに耐える木綿豆腐を入れて、さらにしばらく煮込む。お好みで緑豆春雨を加えてもよし(ていうか入れ忘れた)。

仕上げにごま油をひと回しかければ、ただただもうやさしく奥深い出汁が決め手の手羽元鍋のできあがり。

出汁を味わいたいから、味付けはめいめいで。

手羽鍋03

妹尾河童さんの著書から知った「ピエンロー(扁炉)」なる中国北東部の鍋料理に倣い、味付けは塩、一味唐辛子のみ。お好みで柚子コショウなんかを使っても当然うまい。素朴でありながら滋味がしみわたり、お腹の芯からあったまる。しみじみ〜。ほっこり〜。

鶏の手羽元は、めいめいのお椀に移すのも危ういほどにほろっほろ。最高。白菜は長いことごぶさたしていたけど、クタクタにやわらかくなってお出汁を吸って、堅実にしたたかに、主張こそ控えめながらきっちりいい仕事をしてくれる。おかえり、白菜。待っていたよ。

季節の変わり目にぴったりの、素朴でゆるーい鍋でした。

ごちそうさまでした。



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