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7.迷子 【マジックリアリズム】

古びた手摺をコンコンと叩きながら、海岸沿いの坂道を登る。
ピーマンの収穫のバイトは、慣れた頃には終盤に差し掛かってきていた。先の予定が決まっていないことに違和感がなくなり、さて次はどうしようかなと余裕をもって構えていた。
その余裕が、少し前の記憶を呼び起こさせたのかもしれない。
ここに来るまえ、僕はWEBデザインの会社に勤めていた。
案件ごとで稼ぐスタイルだったということもあって、時間の自由がわりと効きやすくて働きやすかった。取引先の企業は誰もが名前を知っているような会社だったから、組織に起こりがちなことや、人々の立ち居振る舞いや言動から、学ぶことも多かったと思っている。
そして、僕が学んだなかでもいちばん大きな収穫だと思っているのは、できるようになったからといって、しなくてもいいことはたくさんあるということだ。

「今日は渋いね」

アーモンドラテを運んできたマスターに言われて、僕は聞き返す。

「味?どっちかというと甘くない?」

「いや、ラテじゃなくて。トニーくんの面持ち」

「なんかいろいろ思い出してた」

「昔のこと?」

「そんなに昔でもないけど、引っ越す前のこととか」

「嫌になってここに来たんじゃないって言ってたね」

「うん、そう。そうなんだけど、本当のところはどうなんだろうって思って」

「どんな理由でも、この素晴らしい場所を好きになってくれる人がいるのは嬉しいよ・・・って言えるほど、私もここの何の立場でもないけど」

「好きなことを仕事にしてたつもりだったんだ。配色やフォントを自在に操ってクライエントの希望を超えるものを作ってやるって意気込んで、出来上がった作品を提案するのは本当に楽しかった」

いつも通り、キッチンで料理をしながら話を聞く母親みたいな顔で、マスターは聞いている。

「褒められれば嬉しかったし、引き受けた分だけ経験もポートフォリオも増えてやりがいも感じた。でもだんだんに、最初の頃みたいな、こんなこともできるのか!っていう感動みたいなのを忘れていった」

「できなかったことをできるようになるのが嬉しかったのかな」

「それもあるけど、そんなに深い感じでもないかも」

「そのときの楽しさ?」

「そうかもしれない。うわあ!っていうのとか、できた!っていうのとか。だから、技術はもちろんそうなんだけど、取引先の人との交渉がうまくいったときもおもしろかったし、全体にゲームっぽかったのかも」

「ゲームに飽きた?」

「どうだろう。ピーマンの収穫もコツがあって、いかに早く摘むかとか最初はそういうひとり勝負みたいなのが楽しかった。でも、ピーマンはただピーマンっていうだけでもう十分立派だから」

「ちょっとよくわかんないかも」

「自分がどう働きかけても、しなくても、ピーマンが七色になることもまん丸になることもないでしょ」

「研究者や農家になって、新しい品種を作ればできるかもしれないけどね」

「それはしない。手で触って、指を動かして、その場で形が変わるものとか、色がつくのがいい」

「色とか形なんだね」

「それを言葉で言うのも好きだよ」

「音楽聴くと、感想がとめどなく溢れるもんね」

「うん。連想的に芋づる式に、どんどん出てくる帯みたいなイメージを、ここだって思うところでサクッと切ったり、伸ばしたり、並べ替えたりしてるような感じ。こんなふうに説明したことはなかったけど。その活動に身を浸していたいんだけど、前職では気がついたらそういう感じを忘れてた。どうだ、こんなこともできるんだぞって凄みを効かせるようなやり方になってしまっていたような気がする。相手のニーズに合うものだったら、仕事として続けることはできたのかもしれない。でも、僕自身が違和感をごまかしきれなくなってた。自分が納得できるものを作ること、我ながらカッコイイって思える形にすることから遠ざかってた」

「音楽やってる人もたまにそういうこと言うよね。このあいだのライブの彼女も言ってた。売れると、スポンサーや会社がついてくれることがあるけど、お金を出す側には、それをするだけの思惑もあるから、って。商売だからね、売れるように策を練るのは当たり前なんだけど、内側から突き動かされるみたいに歌うのとは違ってきてしまうこともあるんだよね、きっと。会社と歌い手の望む方向性がたまたまでも合えばいいけど、そうとも限らない」

「どこどこのHPみたいな感じで、とか言われると居心地悪く感じてしまう自分も嫌になってきてた。それなら、そのHP作った人に頼めばいいんじゃないですかって思ったりして、なんだか傲慢で。よくある感じのデザインを求められると、おもしろくなかった。やたらとインパクトのあるふうにしたいわけでもないんだけど。正直なところ、普通にって言われてもうまく応えられなかったんだ。奇をてらい過ぎてるのも違うし、自分を矯正するみたいな作り方も違うし」

「ほかの誰とも違う自分、って意識があるからかな。実のところ、誰でもそうだけどね。アピールしないと気が済まないか、ここぞってところで個別性を打ち出すか、あえてそうはしないか、それに気づかないままでいるか、いろいろだよね」

「マスターはどうしてお店を始めたの?」

「朝起きられないからかな。どうしても夜型を変えられなかったし、お酒を出す店が好きだしね。でも、もしかしたら無意識で自分は他の人とは違うんだって思いたいのかもしれないね」

「大きく考えすぎなのかな」

「大事なことだと思うよ。それに、そういうトニーくんを私は好きだよ」

「10代みたいなこと言ってるかも」

あまりにも直接な「好き」を不意打ちで投げられて、少し戸惑った僕はわずかに話を逸らした。

「10代でも20代でも30代でも、考えたらいい。いくらでも。真剣に生きてる感じがするよ。今が日銭稼ぎでも、先のことが決まっていなくても、生真面目すぎるくらい、本気で人生を考えてるんだもの。いいことだと思うよ。そういうのを、文章で書くのはどうなの?」

「文章はからっきし。喋る分にはいいんだけどね、文字にしようとすると何も出てこなくなってしまう。曲の感想とかならいいんだけど」

「動画は?今、流行ってるんじゃない?」

「そういえば、前に作った動画があるよ。僕が喋るとかじゃなくて、写真と言葉で作った動画。試しに作ってみたら楽しくて、いっとき夢中になったんだけど、引っ越しで忙しくなってすっかり忘れてた。これなんだけど」

https://youtu.be/cVcK8QQHy7A

「後で見てみるよ、仕事が終わるのが楽しみだな」

帰り道、すっきりとしない気分で潮風を浴びて坂道を下る。
技術的には、難しくないことはたくさんある。たいていのことは検索できる。でも、薄れていたのは単なる新鮮さや、新しいことへの興奮なんかじゃない。

言葉にしてしまうと一気に薄っぺらく、かえって軽い印象になってしまうけれど、「感動」に限りなく近くて、よく似ているもの。「心の琴線に触れる」も使い古されているし、「魂が震える」も、もはや定型文。「」のなかにお行儀よく収まるわけもないくらいにパワフルで、ダイナミックで、それでいて、ときにささやかで、奥ゆかしい、心を動かす人、もの、出来事。
旅はそんな出会いを促進するし、日々の生活も機会に満ちている。
「悠久」を感じさせるシロナガスクジラ、「宇宙」を思わせる微生物のデザイン、「輪廻」を彷彿とさせる樹齢数百年の木々繁る山々。
その特大のスケールを超える、縁。

どうしても、こうしても、深く大きくなりがちな今晩の思考。そんな僕の身体ごと、大きく広げた布のような夜に包まれる。群青色から紫色の、わかりにくいグラデーションの夜。新月の闇夜、主役をなくした星々が、ここぞとばかりに煌めいている。

To be continue...

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