「ほほえむ魚」が本棚にいた
職場で文献をあさっているときに、小難しい本と分厚い辞典の間に美しい色の背表紙を見つけた。
「ほほえむ魚」という絵本であった。
いきおいよく読破して、思わず涙ぐんでしまった。
大人向け、と言い切ってしまうことを好まないが、社会生活をしている人におすすめしたい。
ひとりで暮らす人に。
静かでやさしいものに触れたい人に。
なんとなく侘しさを抱えているような気がしている人に。
喧騒からすこし距離を置きたい人に。
絵柄は穏やか。
「僕」がほほえむ魚をとても気に入る様子が愛くるしく、
魚がほほえむ様子がこれまた愛くるしい。
それだけに、哀しい。
愛しさと哀しさはよく似ているようだ。
そういう哀しさは、なぜだかあたたかい。
気に入って、手に入れて、囲って、やがて手放すというストーリーはなぜこんなにも哀しいのだろう。
「僕」だけにほほえむ魚との出会い、放流、そして融合。
実際のところ、
自然界のいきものはDNAのレベルで用心深い。気をつけなければ生命を落としかねない。
彼らがその警戒を解き、主人公に心を許すとき、異種間の友情が生まれる。
相手は哺乳類ともかぎらない。
いきものが本来の場所に還るとき、主人公には気づきや成長の体験が与えられているのがセオリー。
行動し、体感し、発見し、また行動し、変化するその過程の描かれ方は実にセラピューティックであった。
この物語のメッセージについての説明は横に置いておくこととする。それは、読み手が自由に感じて決めることだ。決めなくたってかまわない。
すくなくとも、大切な気づきがありました、というふうにきれいに収めていないような印象がとてもよかった。
どう受け取るか、託されているようなところが。
説明しすぎないでめいっぱいに表現するありようは、写真と似ている気がした。
どかんと入って、がつんと効く。
そして、じんわりと染み入る。
ひと一人と出会うとき、その向こうに広い広い世界が展開していることを知る。
一冊の本と出会うとき、ファンタジーの奥に現実を垣間見ることができる。
はじめのページよりも、やさしく、自由になった「僕」。
連休最終日。
ひとときの、深く濃く心地よい旅だった。
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