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子どもの暴言に隠された真実

およそ憂鬱とため息で覆い尽くされている3児の子育てだが、時に気づかされることがある。

先日、長男の友達2人が家に遊びに来た。娘2人は保育園に行っていたので、家には子供が3人いたことになる。

(ここまで書いてみて思ったのだが「3児の子育て、マジで無理ゲー!」とか言っているくせに、なぜ長男の友達を家に招き入れるのだろうか? 結局、デフォルトで3人くらい、いつも家に子どもがいることになる。昨日も気が付くと彼らの分も夜ご飯も作り、みんなで食べていた。私はひょっとして、とんでもなく頭が悪いのかもしれない。自ら苦境に立たされるような境遇を、自分で選んでいるだけなのだから)

話が脱線した。彼らの小学校では、近日中に転校する子がいる。「●●ちゃん、転校するらしいね」と私が言うと、3人は歓声を上げた。

「やった!あいついなくなって、せいぜいするよな!」
「うん!俺、あいつのこと嫌いだった!」
「私も!この前、意地悪されたもん!」

私は愕然とした。「さみしいね」というような反応が来るかと思ったからだ。●●ちゃんの名誉のために断っておくと、彼女はとてもいい子で、お母さんもとても素敵な人だ。

大人なら嘘でも「さみしくなるね」みたいな表情を貼り付ける。クソみたいな上司が異動になって嬉しい時も、嫌な目で見てくる女の先輩が風邪で休んだと知って喜んでいる時も、残念そうな顔を取り繕うように。

彼らの会話は、驚くほど正直だ。大人が正直さを出す時は、どこがユーモアを交えて言うことが多い。笑いに変えることで、その残酷な真実を隠すように。しかし、彼らの会話といえば「新しい担任、××先生でよかったね」といえば「やだよ!口臭いもん!」「デブだし!」と、身も蓋もない。

長男に「▲▲君のママが、クラスみんなでディズニーに行こうって言ってるよ。行く?」と聞くと「メンバーは?」と確認してきて、名前をあげると「げ。あいつがいるなら行かない」と返されたこともあった。大人はそうはいかない。「クラスのみんなが行くなら顔出した方がいいかな」と参加してしまう。

本当なら大人だって知ってる。あれは嫌だ、これは嫌だ、私はこうしたい。でもそれを口にすることで、打ちのめされ、叩きのめされてきた。いつかそれが言えなくなってしまった。

ピュアな部分が失われていくうちに、よく分からないものに操られることに慣れていき、他人の人生を生きることになっていく。本当は何がしたいか、どこで暮らしたいか、心の中では知っているくせに。ごまかすことばかりが上手くなって、どこにも行けなくなってしまう。まるで今の私のように

長男は驚くほど口が悪い。おそらく私に似ている。9割はろくでもない暴言だが、中には真実をつくようなものもある。そして長男の周りには、割とピュアな子たちが集まっている。私も彼らの会話を聞きながら、ちょっとずつピュアな自分に戻っていきたい。さすがに「やだよ、あいつ口臭いもん」とは言えないけど……。

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