評/2024年1月13日

ユリイカ      あなただった      浴槽で目覚めたときにすべてわかった

石井遼一「死ぬほど好きだから死なねーよ」



俺が「ほとんど完璧に近い」と思う歌のひとつがこれで、急に思い出してなんかテンションが上がったのでこの歌の何が(少なくとも俺にとって)最高か書き残しておく。
まず57577を大胆に崩す46577の破調。上の句で崩したリズムを577で回収することで定型の心地よさに回帰するという技巧は一般的だが、この歌は4 6の「ユリイカ  あなただった」という一音足らずを二度連続させることによって下の句の「目覚めたときに」を際立たせる効果がある。
「浴槽で目覚めた」直後に、直観として"わかった"ことを呆然と口にしている風景がこの一音足らず二連続とその後の577での回収によって想像できる。根拠のない読みをするならおそらく詠者は服を着たまま空っぽの乾いた浴槽で膝を抱いて眠っていたのではないか?そこまで"見える"と思わせる巧みさ。
そしてこれは口にしたときの音、つまりリズムによるものだけでなく、文字列としてこの歌を読んだときの小さな違和感によっても増幅されている。初句と二句、二句と三句の間がそれぞれ一般的な一字空けではなく二字空けになっている。これはつまり4 6 の一字足らずの効果を視覚的にも高めるためだろう。
つまりこの歌は休符も数えて4 1 6 1 5 7 7 と捉えるべきものだと思う。このリズムの妙。リズムの破綻と定型への回帰が歌の情景を浮かび上がらせる演出として完璧に働いている。見事としか言えない。パクりたい。マジでパクりたい。
一音足らず二連の二字空け二連とか真似したくてもできねえ。それがバチっとハマる必然性のある歌なんて狙って詠めんわ。羨ましい〜!こんな歌が詠みてえ〜!パクりてえ〜!
歌の内容自体もとんでもなく美しい。「あなただった」ということがわかって思わず口に出たのが「ユリイカ」であるという事実とも虚構とも思える境目のリアリティ、それが「浴槽で目覚めた」ときに起こるということについての不思議な納得。詩的な飛躍が美しさと説得力の二つをバチバチに高めている妙。
完璧で完敗です。生涯に一首でもこんな歌が詠めればそれだけでその人生は上等だろうと断じてもいいほどの歌だと思う。
「浴槽で目覚めたときに」に死の香り(湯に浸かりながら寝てしまって溺れかけた等)を読みとるか否かは受け手によってかなり変わるところだと思うけれど、俺は前述の通り「着衣で空の浴槽に居る」という読みを推したい。
浴槽で眠るという行為には「人間の内側の空虚」の暗喩を感じる。そして"あなた"がそれにひびを入れる存在として思考を飛び越えて唐突に眼前に現れる。その読みの方が空虚さと希望の混ざり具合が美しいと思う。まあこれは俺の読みの話なので余談蛇足の類。

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