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部下に先生として使われる

松下幸之助 一日一話
11月13日 部下に使われる

一般に、形の上では指導者が人を使って仕事をしているようにみえるが、見方によっては指導者の方が使われているのだとも言える。だから、口では「ああせいこうせい」と命令しても心の奥底では、「頼みます」「お願いします」さらには「祈ります」といった気持を持つことが大事だと思う。そういうものを持たずして、ただ命令しさえすれば人は動くと思ったら大変なまちがいである。指導者は一面部下に使われるという心持を持たねばならないのである。こうした心境があって、はじめて部下に信頼される大将になり得るのである。

特に大きな組織、集団の指導者ほど、この心がまえに徹することが必要だと言えよう。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

部下に信頼される大将として、思い浮かぶのは戦前ハーバード大学に留学経験を持ち、太平洋戦争の開戦には反対の姿勢を取りながらも、いざ開戦となると自らが先陣を切り戦艦武蔵にて連合艦隊司令長官として戦地ヘ出陣し、最前線で戦死した山本五十六元帥海軍大将でしょうか。山本元帥は以下のような言葉を残しています。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」(山本五十六元帥)

元海軍士官として戦艦長門に搭乗していた祖父から私が聞いた話によると、当時の山本五十六元帥は英雄ではなく、スーパーヒーローだったそうです。残念ながら、「ああしろこうしろ」と偉そうに、もっともらしく、それらしく、口だけの人間は多くいますが、山本元帥のように言行一致の率先垂範で示せる人間は僅かしかいません。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」を耳にしたことのある人は多いのではないでしょうか。「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」とは、正に松下翁の仰る「頼みます」「お願いします」さらには「祈ります」といった気持を持つことと同じであると言えるでしょう。

更に、曹洞宗大本山永平寺にて第78世貫主として108歳の生涯を只管打坐で全うされた坐禅の人、宮崎奕保禅師は次のような言葉を残されています。

「ああせよと 口で言うより こうせよと してみせるこそ 教えなり」(宮崎奕保禅師)

先ず口で言う前に、自らが行動で見せる。行動で見せることで、相手に気づく機会を与えることになります。気づくことから考え、実行し、そして変わっていく。この過程には、実行する側の主体性があります。

「ああせよこうせよ」と口で言われた人間が起こした行動は、あくまでも受動的、或いは、従属的なものでしかなく、「やらされている」だけで終わってしまいます。「気づき、考え、実行する」ためには、相手への「敬」や「信」というものが必要になります。尊敬の念があるからこそ自らの至らなさという「恥」を知ることとなり、信頼、信用があってこそ、「自分は変わろう、敬する相手に近づこう」という行動を起こすことになります。

孔子の教えを受け継ぎ発展させた孟子には人間関係における徳目のひとつとして、以下のような言葉があります。

「君臣、義あり」(孟子)

君主と臣下の間には、人としての正しい行いが必要である。という意味です。

更に、貞観政要には理想的な君臣の姿として次のようにあります。

「惟(はなは)だ君臣(くんしん)相遇(あいあ)うこと魚水(ぎょすい)に同じきあれば、則ち海内(かいだい)安かるべし。」(貞観政要)

君臣水魚と言われる言葉です。君主と臣下、或いは指導者や上司と部下の関係は、水と魚のような関係性が望ましいという意味です。

「義」をベースに「こうせよとしてみせる」ことで生まれてくる「敬」、水と魚のような関係性であってこそ生まれる「信」。「敬」や「信」がベースにあってこそ、例え「ああせいこうせい」と言われたとしても、素直にこの人の言うことなら聞こうという気持ちになるのだと私は考えます。

逆に考えるのであれば、部下から「敬」や「信」を得られない人間が、いくら偉そうに、それらしく、「ああせいこうせい」と言ったところで、誰もついてくるはずもありません。仕事だからと仕方なく嫌々ながら従う人間もいるかもしれませんが、そのままではむしろ嫌われ、煙たがられる存在となり指導者としての統率力を失うことになります。統率力を失った指導者の多くは、部下よりも有利な立場や権力を使用し、無理やりにでも部下を動かそうとし始めます。それが更なる悪循環を生み、益々誰も従わなくなっていきます。

松下翁の仰る「部下に使われている」という心構えは、換言すると「部下の先生として使われている」という心構えであると言えるのではないでしょうか。同時に「部下の反面教師として使われている」という状態には陥らないように心掛けたいものであると私は考えます。


※記事:MBAデザイナーnakayanさんのアメブロ 2016年11月18日付 を読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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