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永遠の今を利他の心で生きる

松下幸之助 一日一話
10月31日 まず与えよう

持ちつ持たれつという言葉もあるが、この世の中は、お互いに与え合い、与えられ合うことによって成り立っている。それはお金とか品物といった物質的な面もあれば、思いやりといったような心の面もある。

聖書の中にも、「与うるは受くるより幸いなり」という言葉があるというが、人間とは他からもらうことも嬉しいが、他に与え、他を喜ばすことにより大きな喜びを感じるというところがあると思う。そういう喜びをみずから味わいつつ、しかも自分を含めた社会全体をより豊かにしていくことができるのである。

「まず与えよう」これをお互いの合言葉にしたいと思うのだが、どうであろうか。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

仏教において、世の中におけるあらゆる事象や存在には「相互依存の関係性」が成り立っているとされます。例えば、私という存在があるのは、あなたが私を認識してくれているからであり、もしあなたが私を認識していなければ私は存在しないことになります。つまりは、あなたの存在がなければ、私も存在していないということになります。これは、お互いがご縁で繋がっている、或いは、お互いの間にご縁が起こっているとなり、「縁起(えんぎ)」と言われています。簡単にいうならば、「おかげさまの心」や、「お互い様の心」のことです。

次に、「先ず与える」とは、他を利することであり、つまりは「利他(りた)」のことであると言えます。この利他について、稲盛和夫さんは著書「生き方」にて以下のように仰っています。

…「利他」の心とは、仏教でいう「他に善かれか」という慈悲の心、キリスト教でいう愛のことです。もっとシンプルに表現するなら「世のため、人のために尽くす」ということ。人生を歩んでいくうえで、また私のような企業人であれば会社を経営していくうえで欠かすことのできないキーワードであると私は思っています。

利他というと何かたいそうな響きがあります。しかし、それは少しもだいそれたものではありません。子どもにおいしいものを食べさせてやりたい、女房の喜ぶ顔が見たい、苦労をかけた親に楽をさせてあげたい。そのように周囲の人たちを思いやる小さな心がけが、すでに利他行なのです。

家族のために働く、友人を助ける、親孝行をする――そうしたつつましく、ささやかな利他行が、やがて社会のため、国のため、世界のためといった大きな規模の利他へと地続きになっていく。…

人間はもともと、世のため人のために何かをしたいという善の気持ちを備えているものです。昨今でも、たとえば手弁当で災害地にかけつけるボランティアの若者が数多くいるという話などを聞くと、利他というのは、人間がもつ自然な心の働きだという思いを強くします。

人間の心がより深い、清らかな至福感に満たされるのは、けっしてエゴを満たしたときでなく、利他を満たしたときであるというのは、多くの人が同意してくれることでしょう。また賢明な人は、そのように他人のために尽くすことが、他人の利だけにとどまらず、めぐりめぐって自分も利することにも気づいているものです。…
(稲盛和夫さん著「生き方」より)

更に、稲盛さんは若い社会人向けに以下のようにやさしく仰っています。

…他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなくてはならない。そのためには人生観、世界観を180度ひっくり返さなければならない…

自分よりも先に他人によかれと考える。ときに自らを犠牲にしても人のために尽くす。…
(稲盛和夫さん著「生き方」より)
…こういうことを私が強調するのは、思いやりとか利他といった美徳が、いまの日本社会からすっかり失われてしまったという気が強くするからです。
思いやりや利他の心が忘れさられてしまえば、残るのはおのれの欲望だけです。そのような利己的欲望を容認し、放任してきた結果が、昨今の世相に表れているのではないでしょうか。…
(稲盛和夫さん著「生き方」より)

加えて、論語には次のような言葉があります。

「仁者は己れ立たんと欲してまず人を立て、己れ達せんと欲してまず人を達す」 (論語)

仁者の持つ本当の思いやりとは、自分より先に相手を立たせ、自分より先に相手を目的地に到達させようという心配りである。という意味です。

つまりは、他人を立たせる気持ちを持っている人は、かなり優れた者で他人に負けない自信を持っている人である。自分のほうが優れていると知っているからこそ、人を立て人を達せさせることができるのだと言えます。

物事が変化する前の3つの「キ」(幾、機、期)を察する能力を養うための書物である易経には次のような言葉があります。

「積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり」 (易経)

善行を積み重ねた家は、その報いとして子孫に必ず幸福がおとずれる。という意味です。

つまりは、善行や利他行を積むことは、自分自身のためだけに留まるものではなく、家族や親族という身の回りにいる人々にも幸福を齎すことになるという機微を理解し、善行や利他行を積む勘所を見極め、そして長いスパンで因果応報というものを考えることが大切になります。


翻って、私は稲盛和夫さん同様に人がこの世で生きる目的や人生の意義とは、生まれてきた時の「魂」や「人間性」或いは「心」を、死ぬ時までには少しでも磨き成長させることにあるのだと考えています。魂を磨き成長させるとは、具体的には身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、優しい思いやりの心が次第に芽生え、僅かなりとも利他の心が生まれるというような状態のことです。生まれ持っての「魂」や「人間性」或いは「心」とは「生物的生命」のことであり、そこに利他の心が生まれた状態となることで「人格的生命」に成長することが可能になる。更には、この「人格的生命」となることで、肉体が死して尚、その生命は永遠に生きることになるのであると私は考えます。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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