昭和天皇、戦争「反省」の表明望む 宮内庁初代長官が会話記録 52年式典お言葉、首相反対で削除


#NIKKEI

(一部転載)
宮内庁の田島道治・初代長官(宮内府長官時代を含め1948~53年在任)が昭和天皇との詳細な会話記録を残していたことが明らかになった。天皇は52年の独立回復式典の「お言葉」で戦争への悔恨と反省の表明を希望していたが、当時の吉田茂首相の反対で削除された。従来の研究で明らかになっていた事実だが、その経緯がより詳しく記載されている。…

拝謁記にはサンフランシスコ平和条約発効後の52年5月3日の式典で昭和天皇が述べたお言葉の作成過程が記録されていた。昭和天皇は「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(52年1月11日)などと語り、「反省」という文言を盛り込みたいとの意向を繰り返し示していた。

だがその後の宮内庁の検討で「反省」の文字が草稿から削除された上、吉田首相が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と反対。昭和天皇が希望した戦争への深い悔恨の念を表現した一節がすべて削除された…

日本経済新聞では、上記のような記事を掲載しています。
他方で、同様の内容に対して琉球新報では、以下のような記事を掲載しています。

#Yahoo !ニュース

(一部転載)
【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。

専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の「天皇メッセージと同じ路線だ」と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について「反省していたかは疑問だ」と述べた。…

琉球新報のミクロ側からの視点。昭和天皇のマクロ側からの視点。どちらも間違っていないと私は判断します。両者にはそれぞれ異なる立場からの視点や判断があり、そこには合成の誤謬が存在します。

更には、琉球新報と日経新聞にみるメディアによる見解の相違。

全ての物事に対して、「事実・解釈・実行」のプロセスが必要になりますが、事実が異なっていれば、それ以降の解釈や実行も異なったものになってきます。先ずは、自分自身の目と頭で何がファクトであるかを見極める必要があると私は考えます。


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