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生前整理は自分の心の整理が先だった話。

生前整理と聞いてすぐに
断捨離でしょ?いらないモノを捨てれば良いのよね?ばっさばっさと捨てたるわ!
そんな感覚になってた。
あの勢いある意気込みの時ってなんで関西弁になるんだろか?関西弁って勢いがあって良いよね。
関西の血筋は全くない。関西人が眉を顰める

エセ関西弁だ。使い方合ってるんだろうか?

入院が立て続けに起きた事で
タイミングよく#clubhouseでデジタル終活,生前整理のroomで話を聞き、まさに今だ!!とやる気が湧いてきたのだ

まだその時は危篤だ、山だ。わっしょい状態ではなかったんだけど

しかし、実家に行くも、なんか気が乗らない。取り敢えず納戸でも片付けてみるかと足を踏み入れたけど数分と持たずに手が止まる。この使ってない布団や、書籍、いつの時代の掃除機だよ。そんなあれこれ。

リビングと言うとオシャレだが、気を取り直して居間の整理にと思うけれど埃やヤニまみれエアコンや壁紙、いつ買ったの?と思う鍋とか積み上がってる書類とか見るに付け触るのも躊躇う。

むむむ

親父の部屋はどんな事になってんの?
着た服なのか?洗濯済みなのか?
服が山になってるし、薬の袋があちらこちらに置かれていて、やる気益々急降下

全く進まん。
この実家空気が澱んでる気するんだよな。霊的な物を感じるなどの能力は兼ね備えてはいないけど。

そんなある日なんで私が親父の為に整理しなきゃならないのよ。
腹が立ってきたのだ。
なんか心の奥底から湧き上がる思いがある

二度とお父さんなんて呼ばないって決めた。あの日の自分がいた。
逃げたくせに。
私だって、私の方が辛かったって言ってやりたい。
おっと。あの頃の私が顔を出してきた

実家に来る度に過去の自分と会話する日々が続いた。過去の父親に不満をぶちまけた整理はそれからだ。
まずは私の気持ちを整理する事に徹した

ちょっとキツイ日々だった。

それなりの生活していてくれていたんだけど、掃除は行き届かず、まぁ良い具合に汚れてるその最たるものが床に敷き詰められてる絨毯だ。これが空気を澱ます原因だと思う。

ご存知の通り
365日千鳥足なもんで、そりゃ手もふらつくでしょ。溢すでしょ。汚すでしょ
拭かないでしょ。そのまま月日が経つでしょ。

転んでぶつけて出血した事も数知れず、その血痕の後はまるで事故現場である。

何度か絨毯を買おうと話してみたが
面倒だから良い。と言われてた
住むのは私じゃないし、本人がそれで良いなら。と何年も放って置いたけれど
これはやっぱり気分が良くない。気が滅入る。

二か月の入院を経て退院したその日
妹とたたみかける様に
絨毯代える、ガタついたテーブルを捨てて新しいモノを購入する。破れかかったカーテンも捨てる。この家の整理を遂行しますけどよろしいか?と了承を得た。

その矢先、危篤なんて事になったのだが
縁起でもないとか、不謹慎だとか
そんな事などお構いなしに生前整理はサクサクと進む。

自分の気持ちと整理がついていたからだと思う。

絨毯を引っ剥がし、カーテンを新しく新調し、ダイニングテーブルを買う。

幸い、実家の目の前には
お値段以上の家具屋がある。

救急車と言い、実家は本当に幸いで囲まれてる。しかも、リサイクルショップも並んでいる。金目のモノはせっせと運ぶ
金目の物は出てこない。次回に期待しよう

部屋の空気が変わっていった.

見て見ぬふりをしてきた押し入れや10年以上も開けてない引き出し。
今すぐ捨てるモノ、親父が居なくなってから捨てるモノと分別しつつ
思わず笑ってしまう品を見つけたり
怒りが再発したり、納得したり、忘れていた記憶を思い出したり。

そして

親父の知らなかった一面を次々と目の当たりにする事になる。


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