精神疾患支援所感1452文字

型をしっかり覚えた後に、型破りになれる。 中村 勘九郎(歌舞伎役者)

医療は、データや事実の積み重ねであって、例えばあなたは境界性パーソナリティ障害ですと言われたからと言って、その物差しで《あなたは人を振り回す。それは事実検討識と自他境界がぼやけているから》じゃあ人を振り回さないために
言われたことをやっても結局ストレスとフラストレーションが貯まる一方。ついに自分を見失い、HSPだから自分は、とか生まれ付き発達障害があるから、とか望まぬ弁明を始めてしまう。これは本人も周囲も嫌な気持ちになり、誰得でもない。
僕が思うに、人にとって何が正しいか?取り組むべき型は何をやるべきか?は人によって違うので、本来こういう病気の人は成功するための行動習慣を学んだほうがいいんだよね。こういうことって、地域社会適応を目的とした支援とは食い違うことも多いから、精神疾患の支援が功を奏さない要因となると僕は思う。気質はやっぱりデカイよ。支援者と目指すゴールというか、目的が違うと、どんなに熱心に指導してくださって、これってなかなかないし、ありがたく享受すべきだし、もっと言うとありがたく感謝すべきことだけど、ある地点まで行くと、具体的には、多分大体の患者さんって生活の立て直しからそれ以降は行ったり来たりになってしまう。薬も一進一退といった感じの現状維持に。・・・と僕は思った。支援を10数年色々な方や機関、事業所でして頂いての所感 色々なことは、やっぱり自分で決めるべきだし、どんな疾患を抱えていようとその目指すべきゴールは誰もが持つ資格があり、誰にも侵せない権利だと思う。成功したいならやればいい。あなたはチャレンジには年齢が行き過ぎていると言うなら、人隠れて努力すればいい。その隠れた目標をADHDの特性で人に口外してやる気を削がれるなら、そこは堪えて黙ればいい。本当に必要な我慢ってそういうことじゃないかなあ。自分の目的を達成する為に、人の意見は取捨選択する。その取捨選択の方法も人それぞれ。僕はただ、自分がチームを良くしたいから、人があなたの仕事じゃない、とか立場を弁えろ、と言われても耳で聞いて頭で受け流し、心で完全に聞かなかったことにする。諦めたら、最後に自分を見失って嫌な思いを味わって、敗北感にまみれてストレス過多で入院騒ぎになるのは他ならぬ自分自身だから。それなら、願望成就のための無理をしたほうがよほど笑ってられるし、無理して倒れても悔いはないよ。

と今の職場で立場を失いかけた今、以下の先人達の名文句に出会い、やはり救われた。これでまた、少し頑張れる、ありがとう。

人生における大きな喜びは、「君にはできない」と世間が言うことをやってのけることである。

ウォルター・バジョット(経済学者)

目標は他人から与えられても駄目。

目標はいつも自分の中から生まれてくるべきなんだ。

タイガー・ウッズ(プロゴルファー)



自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。


不可能とは、

現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。


不可能とは、

事実ですらなく、単なる先入観だ。


不可能とは、

誰かに決めつけられることではない。


不可能とは、

通過点だ。


不可能とは、

可能性だ。


不可能なんてありえない。

モハメド・アリ(プロボクサー)

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。

井上 靖(小説家)

途中であきらめちゃいけない。

途中であきらめてしまったら、得るものより失うものの方が、ずっと多くなってしまう。

ルイ・アームストロング(ミュージシャン)

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