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やりたいことをやりたいようにやってきた。自分で決めたことならやり抜くことができる。

誰にでも、「これからどうしよう?」と迷うことがあるのではないでしょうか。そんなとき、「他の人はどうしているのかな?」と思いませんか?【L100】自分たちラボでは、「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューからヒントを探してみることにしました。

今回のお話は、「自分の進む道は、自分で選んで決めてきたからやり残したことはない」と振り返るあゆみさん(仮名)のお話です。

あゆみさん(50代後半)
経歴: 大学卒業後、企業で10余年勤務。管理職に昇進するも、配偶者の海外転勤を追いかけることを決めて辞職。アメリカの大学院でソーシャルワークの勉強をし、帰国後、カウンセラーに転身。現在はカウンセリングの他、キャリアデザインなどの講義も行っている。夫と2人家族。

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現在、フリーのカウンセラーとして活動しているあゆみさんの大きな転機は、ご主人の海外転勤を機に、10年余り勤務してきた会社を辞職して、異文化(海外)で生活したことと、そこでカウンセリングに出会ったこと。帰国後、いくつかの資格を取得し、活動の場を広げていくことに。やりたいことをひとつひとつ自分で選択して、仕事も遊びも必死にやってきたから、今人生が終わってもやり残したことはないと語るあゆみさんの骨のある生き方とは?

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
30代後半から40代初めは、楽しいこととすごくしんどいことが同時にあった時期で、曲線はギザギザに表現しました。この3~4年はアメリカにいた時期で、人生の夏休みみたいに非日常の体験ができて楽しかった一方で、大学院に行ったので、言葉や文化の壁にぶつかってしんどかったです。そして、ニューヨークでは、あの9.11に遭遇!いろいろな面で考えることや気づきがあり、この時期が人生の転機になりました。

あゆみさんが書いた人生曲線

最初の会社での経験が基礎力になっている

20代:泣きながらも根性で踏ん張った

―――最初に就職されたのは?
総合職として支社配属になりました。仕事は泣くこともあるほどきつかったんですが、一緒に働く人たちに恵まれて、やりがいもあり、必死で働きました。5年を過ぎた頃に本社に異動になったのですが、そこでの仕事は想像以上に大変で。苦しそうな私に、友人があるセミナーを紹介してくれて、そこで出会ったのが夫です。

―――わぁ、そうなんですね! で、そのまま結婚された?
いえ、実はその後、私の転勤が決まり、準備をしていた時に阪神大震災が起こったんです。関西にいた彼に連絡をとろうとしたのですが、つながらなくて。こんなに心配なんだと気づきました。このまま離れていったら後悔すると思って、会社に「関西に異動させてください」とお願いしたんです。転勤時期が迫っていたので驚かれましたが、その年に彼のいる関西に異動でき、翌年結婚しました。震災が大切なものを確認する機会になりました。仕事は、経験を積んでいくにしたがって視野が広がり、昇格して管理職になりました。

その後、夫の海外赴任を機に仕事を辞めることにしました。その時、それを伝えた友人から、大学院で学ぶことを勧められました。無理じゃないかなと迷っていたのですが、既に留学していた元後輩からは、「あの会社で踏ん張れたあゆみさんなら大丈夫」と、背中を押してもらいました。実際、大学院の授業や現場実習は大変でしたが、途中で投げ出さずにやり遂げられたのは、この会社で働いたおかげです。根性をはじめとしていろいろな力を身につけていたんだということに、会社を辞めてから気がつきました。

海外生活は、人生の中の特別な時間

30代:夫を追ってアメリカへ行くことを決断

―――ご主人の転勤先のアメリカへは、仕事を辞めて行かれたのですね?
実は、夫の海外赴任時には、私自身は資格をとるために大学入学を決めたばかりで。どうしようかと迷っていたら、「ついてきてくれたら嬉しいけど、君の人生に責任は持てないから、自分で決めて」と夫に言われました。「確かに」と思って、その時は日本に残ることにしました。
その後に妊娠がわかったのですが、夫の赴任直前に切迫流産で入院することになってしまって、退院して独りになった家に戻ったら、すごく寂しかったんです。このまま離れて暮らしていくと、将来はこんな寂しい感じになるかもと思い、ならば、追いかけていこうと決めました。ただ、やりかけていた勉強と仕事は区切りをつけたかったので、結局2年遅れで仕事を辞めて行きました。仕事を辞めて夫に合流することも、その時期も、自分で選ばせてもらいました。
私は大学進学先や就職先を決める時も、家族の反対を振り切って、自分のやりたい道に進んできていました。夫もそのことに気づいていたのだろうと思います。それと本当に、「ひとの人生に責任は持てない」と考えていたのだと思います。

―――アメリカでは大学院に行かれたのですね?
 はい。現場実習の初日があの9.11の出来事の日だったんです。現場が大学のすぐ近くだったので煙も見えました。アメリカ社会が大きく揺れるのをみながら、自分が日本人であることや大切にすることを確認するきっかけになりました。
アメリカでは遊びも勉強も全力でやっていました。会社員時代も必死でしたが、どちらかというと求められるものに応える感じ。でも、アメリカでは、遊びも勉強も自分で選んでやっている感じでした。アメリカ人に「あゆみはどう思う?」「どうしてそう思うのか聞かせて」とよく尋ねられました。ひとと同じでなくていい、違う(異質)ことに興味をもって聞いてもらえるという体験は新鮮でした。帰国してからは、自分の考えを表現することが怖くなくなりました。たとえ賛同を得られなくても、自分を表現できることが幸せと思えたのです。

キャリアは転がっているうちに作られた

40代:学びと人の縁で広がった世界

―――日本に帰って来て、さまざまな資格をとっていますね。
社会福祉士は、会社員のとき、新規事業を担当するために必要になってとりました。その頃、介護事業で一緒に働いていた専門職の人の仕事がとても魅力的に見えたんです。ひとりひとりに寄り添う仕事っていいなあと。それで、アメリカでソーシャルワーカーという仕事について学び、帰国してからは専門職の道を来ています。
支援の仕事を専門職としてしながらも力不足を感じ、それが勉強するエネルギーにつながりました。カウンセリングの勉強を始めたら、メンタル面の不調の支援は精神保健福祉士だな、働く人の支援なら産業カウンセラーやキャリアコンサルタントだなと。資格をもつと担当できる仕事が広がり、世界が広がっていった感じです。
講師やキャリア関連の仕事は、元々は考えていませんでしたが、勉強仲間や先輩から声をかけてもらって挑戦してきました。それが育って、今は私の仕事のひとつの柱になっています。自分で進む道を計画したというより、様々なご縁があって、ころころ転がっていったら今があるという感じです。

「家」に対する思い

50代:ご先祖様に守られて

―――今後については何か考えていますか?
最近の懸念は、母親がぐっと弱って、離れた実家で一人で暮らしているのが危ういことです。親の安全確保や、どう見送るかが気になります。
 「長女は家を継ぐ者」と幼い頃から祖母に言われて育ちました。祖母は家の存続のために親戚の家に養女に入り、夫を早くに亡くした後も家を守ることを使命として生きてきた人で、娘(母)や孫(私)にもそれを求めていたのですが、私は10代後半になるとそれに息苦しさを感じるようになりました。家を離れて大学に行きたいと言った時、祖母は大反対でしたが、母は自分が好きなことができなかった分、祖母と私の間に入って行かせてくれました。進みたい道に進ませてもらって、親には感謝しかないです。人生にやり残したことはないと言いましたが、その陰で家族の夢や生きがいを壊してしまったことは一生消えない傷です。
この先母が亡くなった後、家や先祖代々の墓や田畑をどうするかなど、先延ばしにしているけれど考えないといけないことです。

―――そこにご主人はどう関わっているんでしょう?
私は実家のお墓、夫は夫の実家のお墓に入るのかなと今は思っています。義母(夫の母)に「あゆみさんはご実家のお墓に入るんでしょ」と言われた時は驚きました。悪意がある感じはなくごく自然に言われて、義母がそう思ってくれるなら、私は生まれ育った故郷のお墓に入りたいと思いました。私にとってお墓は、自分を守ってくれる祖先がいる所とも感じています。すごく困ったときに手を合わせて「ご先祖様、力をお貸しください」と言うような。夫婦別々のお墓に入ったとしても、地下でつながっているので再会できますから。

―――なるほどー!

仕事の引きどき

今後について

―――フリーのお仕事ですが、引退について考えますか?
仕事先によっては定年があって、70歳のところが多いです。でもその前であっても、十分な仕事ができなくなったら、自分で引きどきを考えないといけないと思っています。仕事仲間と「お互いに、できてないと気づいたら言おうね」と話しています。

自分で決めたことなら、苦しくてもやり抜ける。無駄な経験はない。

女性たちへのメッセージ

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
今苦労していることは必ず身になって将来を生き抜く力になる、と伝えたいです。負荷がかかると筋肉になるみたいに、苦労したことが力になる。無駄な経験はないなと思います。そして、自分で決めたことなら苦しくてもやり抜ける。そして自分で決断できたことが自信になります。

―――今日、こうして振り返って話してみていかがでしたか?
改めて、しんどかったときにも得るものがあって、いろいろな経験が今に生きていると思います。そして、人生ずっと自分のやりたいようにやってきてるなーと思いました。我慢して諦めたことはない、だから今人生が終わっても悔いはない、と感じています。そして、私の意思を通させてくれた周りの人々に感謝、感謝です。

(*文中の写真はイメージです)

インタビュアーコメント

お話される口調は穏やかながら、その生き方には、ぶれることのない力強さを感じさせてくれたあゆみさん。背景には、自分でやりたいことは自分で選択したからこそ、歯を食いしばっても乗り越えてきたという確かな実績があるのだと思いました。「苦労は後の筋力になる!」は名言です。そして、カウンセラーとしての人との関わりの源に、いにしえのご先祖様への思いがある。ご先祖様に守られ、ご主人とは地下で永遠につながっている。力強い行動力は、心の豊かさに支えられているのではないかと感じさせてもらいました。「今人生が終わっても悔いはない」。わたしも、いつか言える日が来るのでしょうか。

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。

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