見出し画像

噂の怪作はシン・近代文学⁈ ~零余子『夏目漱石ファンタジア』を読んで~

 長いようで短いライトノベル新人賞史の中でも受賞作発表時点でここまで話題になった作品は後にも先にも『夏目漱石ファンタジア』ぐらいな気がしてならない。なにせ大作映画を彷彿とさせる『シン・夏目漱石』に意識が向き、更にはもう色々とぶっとんでいるあらすじ。史実の人物に加えて時代も合わせた作品というのがラノベ自体ではメジャーなものではないのに加えて史実ベースでもエンタメ方面に舵を切った作風も近年稀に見ないような気がする。最近は史実に歩みを寄せる作品が多いというイメージが強かったから余計にそう感じるのかもしれない。この辺りの好みは個人差があるだろう。

 まあそんな騒動(?)から幾月が経過しついに発売日となった。本作については普段新人賞受賞作に興味を持たない方の中でも手に取った方も多いのではないのだろうか。かくいう私も無理をして発売日当日に書店へ駆け込んだ。果たして趣味で近代文学史をざっくりと齧っている私がこの作品をどのくらい受け入れられるのだろうか?


あらすじ

 20世紀初頭、日本は政府と社会主義者の戦いが勃発。作家たちはそこに巻き込まれ、どちらからも道具のような扱いを受ける。そんな現状に立ち向かう1人の男がいた。その名も夏目漱石なつめそうせき

 しかし、武装組織を立ち上げ抵抗する最中かれは政府の物に暗殺されてしまう。彼は死んだ。だが人生はそこで終わらなかったのだ。

 目を覚ました漱石。そう、漱石は森鴎外もりおうがいの計らいにより脳移植手術で蘇ったのだ! そしてその体はかつて死んだ作家樋口一葉ひぐちいちようのものだったのだ。

 全てを捨て新しい生活を送る漱石、もとい夏子なつこ。ときおりかつての文豪らしさを見せる中様々な真実が明かされる────それはかつて親友の命を奪った殺人鬼も例外ではない。

詳細と注目ポイント

読むならばひとまずは突っ切れ!

 本紹介及びレビュー記事のあらすじはいつも自分で書いているものなのだが、1度読んでいるはずなのに書きながら頭が「?」で満たされたのは多分今回が初めてだ。

 脳移植をはじめとした進み過ぎている技術をはじめとした突っ込みどころが多彩だがひとまずは無心で読むことを推奨する。この作品はギャグではなくシリアスなのだ。「この世界ではそうなのか」と納得していかないと1章で思考回路がショートしかねない。

 本当に必要な知識は史実のものも含め捕捉するページが複数用意されている為、事前知識は無くても問題ない。だから脇に逸れずに1ページずつ順に読んでいった方が良いのかもしれない。これはあくまで私の体験談だが。

文豪バトルファンタジー(文豪しか出ないとは言ってない)

 それでは本題に入っていきましょうか。この辺りはネタバレをしない範囲で言うと誰が出てきたまでは具体的には触れないようにはするけれども、漱石を中心として実にいろんな方が出てきたのではないだろうか。1巻だから実際の半分ぐらいだと踏んでいた。名前だけ出てきた方も数に含めると10人は優に超えていたのではないのだろうか。「まあこの人は外せないよね」ということもあれば「あ、その人出しちゃうんだ~ふーん」とちょっと意外な人選もあったりした。

 しかしながら登場人物に関してはそれだけではない。文豪以外の史実人物も複数人登場するのだ! まあこれについては事前情報の時点で野口英世がいたからその時点で察している方も少なくはないだろう。改めて近代って凄い人が沢山いたのだなと振り返る事が出来た。歴史ものの創作を齧ってる方ならピンとくる人物も多数いたので、そっち方面ももっと知られても良いのではないかと感じた。余談だが、私は鴎外経由の監視役の苗字が明かされた瞬間、心の中で悲鳴を上げていた。

近代文学=エンタメとは限らないという話

 ここまで書いてきてちゃぶ台を返すような話題になるのだが、この本を読んでいて脳裏に浮かんだのはかつて私が独学で習得した文学史の知識よりもいつの日かの現代文の授業の内容だった。特に最初のカラーイラスト。史実の写真を彷彿とさせるようなポーズに添えられた文章。これはそのうちの1つだ。本編では2章の序盤と早いうちに出てくる。

「世間は俺たち作家を勘違いしている。俺たちは楽しんで小説を書いていたんじゃない。表現しないと己が壊れていくという強迫観念に駆られ、血を吐きつつ筆を手にしたんだ」

零余子『夏目漱石ファンタジア』p63

 文学に明るくない読者からすると晴天の霹靂にも等しかったかもしれない。勿論現代でも全く同じではないし、全ての近代文学作家がそのように考えていたという確証もない。だが、日本の近代文学黎明期においてはストーリー展開よりも心情に重きを置くことが大切だとされ、「自我とは何か」等様々な哲学のような思考を巡らせていた作家が多くいたことや、史実における漱石が精神状況が良くない中で処女作『吾輩は猫である』を執筆したことはれっきとした事実だ。

 私の文学知識を辿っていくと、どうしても授業で習った「近代の文学は『自分とは何か』が中心となる」に行き着いてしまう。そういうこともあってか『夏目漱石ファンタジア』に於いて近代文学の本質を隠すことなく取り上げていたのことが、私はとても嬉しかった。

さいごに

 史実ネタは勿論の事近代文学の本質をエンタメらしい発想と突飛な設定に上手いこと織り交ぜたような作品だった。こうして文章で書いてみると公募時の『シン』という言葉がただのインパクト重視で書かれたものではないようにも感じられる。そういった読んだからこそ二転三転と考えが変わっていくことも含めて怪作と評されたのかもしれない。今後どのように転がっていくのか気になるところだ。

参考文献

  • 石井 千潮『文豪たちの友情』新潮社(2021年9月)

  • 伊藤 整『近代日本の文学史』夏葉者(2012年5月)

  • 平田 オリザ『名著入門 日本近代文学50選』朝日新聞出版(2022年12月)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?