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去年はお気に入りだったのに

着たい服がない……!

という朝を、週に2回くらい迎える。

毎日違う服を着なくては、という思いから、これは昨日着た、これは一昨日着てる。今日着たい服が……あれ、ない……。ひーーー。遅れるーー! は、よくある光景なんだろう。

一昨日着てた服でも、誰も気づかないと思うんだけど。

毎日変えてるけど、似たような格好している。

時々、いつもとちょっと違う雰囲気になっているつうもりだけど、「いつもとちょっと違う」も、結局自己申告だからね。


衣装道楽ではないけれど、クローゼットには、春夏秋冬、困ることのない量がちゃんとある。

もう買わなくてもいいのに、と思いながら、新しい服を探しに行ったりする。

でも、冒険しないんだよなぁ。
いつも買うお店をのぞいて、今回はないなぁであきらめる。


「着たい服がない」のは、似合う服がないこともだし、会社に着ていくのにちょうどいい服がないってことでもある。

私服OKだから、穴が空いていたりスケスケだったりしなければ、おおむね問題ない。
ティシャツもブーツもデニムも革ジャンもOKだ。

私の所持する服の中で、会社に着ていけない服は1割もないだろう。

なのに、なんで着ていく服がないって言ってるんだろう。


クローゼットの中には、何年か前に買った服も多くて、飽きてる、似合わなくなっていると感じるものもある。
体型の変化も多少あるし、もともと自分のスタイルが嫌いなので、頭に思い描くような自分が現れないことも大きい。
そして、今は、寒いような暑いような気候。

ティシャツやデニムを、「好きだから着ている」と思っていても、ほんとは、ただ楽だから着ているのかもしれない。

去年はお気に入りだった服に、今年は袖を通していない。


着たい服がないといいながら、今の自分に似合うものを探しにいくのを億劫がる。

「私のイメージって」という、他者からこう見えているよねっていう視線が、いつもの私を無視することを邪魔をしているのは、知っている。


着たい服を着ればいいのに。


クローゼットの中とは違うテイストの服に手を出すのは、ドキドキするけれど、着たい思える服がないのなら、それは新しい服との出会えるきっかけを教えてくれているときなのかもしれないね。



ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。