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101日目だから書けるnoteを書こう

昨日、100日連続note更新を体験した!!!

わーいわーい。

1月1日から開始したので、今年ももう100日を過ごしたのかぁ……。
書き残さなければ忘れていることを、100個残すことができたのかな。


101日目の今日だから書けるnoteを書こう。

☆★101日目に思うこと

なんとなく100日書いてみようと思って始めたので、書く目的は続けることだった。
100日書いた後の目標もなかったから、書いてどうしたいんだろう? と、よく思っていた。

でも、100日書くことで、手にいれたい目的を持ちすぎていたら、毎日更新はできなくて、今日もまた書けないなぁ言っていた気がする。

「いい文章を書こう」「おもしろいことを書こう」「このnoteが仕事につながったらいいな」。そんな風にも思うけれど、それを目的にすることは、私にはまだ早かったんだと気付いた。

自意識、プライド、見栄。書くことに立ち塞がるものを、どれでけ無視できるか。

だから、ただただ書き続けることを目的にした。

おもしろくないかもと思っても、似たようなことばかりだなぁと思っても、書いた。

書く。書く。考える。書く。考える。書く。毎日続ける。



☆100日続ける中で得たこと

①自分と向き合うためだけの時間を確保するようになった

noteを書くには、1時間~2時間くらいかかる。思いついたことのメモはできるけれど、文章を書くにはまとまった時間の確保はやはり必要だった。
ちゃんと時間をとって書くことを続けていくと、書く内容を考えているようで、自分の思考と向き合う時間になっていた。
自分の考えと向き合うためだけの時間を、こんなにちゃんと確保したことは、ほとんどなかったなぁと思う。

瞑想とも似てるのかもしれない。瞑想は全然続けられないけど……。


②考えていることを無駄だと思うことが減った

こんなこと考えていてもしょうがないよな~、と思うことがけっこうあった。仕事の役に立てれるわけでもないし、活かす場所がないことを考えていてもしんどいだけだった。
noteにあれこれと書き始めたら、自分が考えていることって無駄だと思う必要なないんだなぁと思えた。
「これもネタになるかな?」と、思うようになったからだけど、考えていることをもっと考えてみたらどんな考えにいきつくんだろう? と思えるようになったことも大きい。


③継続力が自分にもあるという自信がついた

筋トレも瞑想もなかなか続かない自分が、100日続けられたのは快挙である。「継続筋」をようやく発見できた気分だ……。


④読んでくれる人がいる喜びをたくさん感じた

これが本当にありがたくしあわせなこと。
日々のスキにどれだけ励まされたか!
100日達成したよ! ってつぶやいたら、読んでいるよ~と答えてくれた人もいて、くすぐったかった。本当にうれしかった。

誰も読んでいないから、と思うから他愛もないことを書けるのだけど、読んでくれる人がいることはやっぱり励みになる。


⑤書くことに自分が癒されていることを知った

頭と心が整理されていく感覚。
手が動くままに文章にしていると、あ、そうだ! と、考えたいことの中心を見つけられることがある。
思考法とかはわからないけれど、考えて出す、考えて出すを繰り返していくことで、自然と整っていく。うまく書けないな~と書き始めても、終わりがなんとなくいい感じになると、けっこう爽快な気分なのだ。

書きながら、自分と向き合って、自分で言葉にしていく。
それは、自分を癒す時間でもあった。


★書くって、やっぱり大変なこともある。毎日だし。でも。

①書きたいことを書けない。何が書けるんだろう。

これをどう乗り越えていくかだった。
今日書きたいことっていうのは、自分の中に生まれるんだけど、それをどんな風に書き出していくのかを考えすぎてしまって、全然違うことを書いてしまうこともある。
これだけ継続して書いても、書きたいことを書ける力が足りないと痛感して、挫折しそうにもなった。やっぱり書く才能なんてないんだ!! と嘆いた。
でもたかが数十日で身に付くことだと思うなよ! と天の声を落としながら、耐えた。

そして、そもそも書きたいことって、なんだろう? という自問自答も続く。

普段自分が考えていることを書きたいのか。コンテンツの感想を書きたいのか。
書いて、何を伝えたいのか?
自分の文章のテイストに迷っているだけなのか。

「書きたいこと」にこだわる必要があるのかな?

わたしはどうして表現したいのか、を、改めて突きつけられる日々。これは今もまだ答えはない。


②ネタ、テーマ探し。平凡な日常を金太郎飴にしたくない。

①と通じるけれど、今日はなにを書く? って朝からずっと考えるのが癖になった。
書けると思ったネタで3行しか書けなかったり、2時間で書くにはテーマが大きすぎてまとめきれず、慌てて書くことを変えたこともよくあった。

上がり下がりの少ない日常を切り取って書く日記は、なかなかハードルが高かった。昨日と同じようなことしか見えてこない。でも全く同じ日なんてないんだよ、って、どこかで誰かが言っていたから。金太郎飴じゃないんだぞって思って、毎日の切り取り方を考えた。

しかし、似たようなことばかり書いている不安も大きくて、なかなかTwitterと連携することができなかったな。


③時間の確保。土日もなぜか夜にしか書けない。

平日の日中は仕事をしているので、朝か夜の時間を使う。朝は何度か挑戦したけどあきらめて、夕飯を食べ終わった後の時間を使って書くようにした。でも、飲みに行ったりイベントがあったり、いつも使っている2時間を、ほかの予定に充てる日は、朝昼移動の時間で書きあげられるようなテーマを探して書いた。
だから、引用が必要とか細かく推察していく記事は全然書けなくて、そうした文章はまだ苦手だ。
時間に追われて書いたような、やっつけの文章で意味があるの? という疑問もあった。ただ続けるだけのことに意味があるのかと何度も考えた。
考えたけど、100日途切れさせないことを選んだ。

土日くらいは、ゆっくり考えて書けばいいんだろうけど、休日だ〜と緩んだ気を引き締めるのもなかなかの壁だった。

でも、書く時間をなんとなくでも決めておいたことで、続けられた。



かっこつけたがりで、自意識過剰で、めんどうくさがりで、実行力の弱い私がたどり着いた100日目。

100日目は、世界の大きな変化の中にあった。
そんな中で、今、なにを思っているのかを書き残しておけるのは、100日間の自分のおかげだと思う。すごいぞ、わたし。


これが、始まりの日。

40日目の時も、目的は続けることだと言い聞かせていた。

98日目にも考える、「なぜ毎日書くのか?」



100日前と比べて、自分の書く力に大きな変化は感じていない。
表現力や考察力も、まだまだ文章の型もわからないことだらけだ。

まだまだだからこそ、これからも書くことを続けてみたいと思う。

ここまできたぞ! と思えることがあるのかな。
それは、どんな瞬間なのかな。


さいごに。

今日は、100日達成をいっぱい褒めてもらって、とてもしあわせだったよ。

わーい。


ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。