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会話を重ねる楽しさとかよろこびを知る

友達ができた 話し合えるやつ
何から話そう 僕のすきなもの
 (パンク・ロック/THE BLUE HEARTS)

私は、会話があまり得意じゃないと思ってる。

興味関心の幅が狭いのもあったし、コミュニケーション力がないのも感じている。

でも一番感じてたのは、「話したいことが話せないもぞもぞ」


例えば趣味のこと。

音楽何が好きなの?と聞かれて「ヒロトとマーシーが好き」と答えても、「そうなんだ〜」で終わったり、「あ〜、ブルーハーツは知ってるよ〜いいよね〜」も多い。

どんな音楽が好きと答えたら、話は盛り上がり続いていくのだろう?


本とか漫画好きだよ〜って人とも、「あれ読んだ?面白いよね」程度で終わっちゃう。

宇宙兄弟面白いよね、で完結しちゃう。
うん、おもしろい。おもしろいんだけどーー!

おもしろいの先の会話は、どうやって始まるのだろう?


「会話がうまい人がやっていること」とか「あの人はなぜ~」みたいな本を読んでみたりしたけれど、ちっとも自分の会話はうまくならなかった。


仕事の話をすると、当たり障りなくおさまっちゃう。
時々仕事の愚痴とか、自慢とかしながら、さぐりさぐりの距離感に楽しさを見つけられなくなる。

なぜ働くの?とか、働き方とか、どんなことをやっていきたいの?とか。そんな会話を始められたことがない。


会話って難しいな…めんどうだなってよく思ってた。


そんな中

コルクラボに入ってから、いたるところで会話が起こっていることに気がついた。

それは、私がずっと繰り返していた会話とは異なる会話だった。

最初は見ているだけだったんだけど、少しずつ会話に混じるようになった。


ラボの中でみかける会話で面白いなって思ったのは、「自分はどう思っているか、どんな考えをもっているか、どんな経験してどんなことを感じたか」というような、自分を軸にした話しが多いこと。

自分の中に生まれた問いを投げかけたりすると、多様な答えが返ってくる。

そして、

まろんはどう?とも問われる。

自分に問われるとき、わたしはとてもとまどう。

自分の中にあるものを、ことばにして外に出す作業は、簡単じゃない。

「考えたことが相手に伝わることば」を探しながら話すのは、もどかしい。

だけどその時感じているのは、「こんなこと言っても大丈夫かなぁ」という不安からのもどかしさではない。

自分の思いや考えを言語化することに慣れてないもどかしさを感じながら、誰かと会話をするのは初めての体験で、なんだかそわそわしてしまう。


一つの問いから、新たな問いへ進んでいって、会話の終わりがない。

好きなものについてでないと、自分は会話ができないと思ってた。

しかしわたしはいま、あれ?こんなこと考えたことあったっけ?ということや、こんなことに興味もったことあったっけ?ということについても、誰かと話している。

新しい働き方について、ケアとセラピーについて、なじむについて、コミュニケーションについて、自分や他者のもつ性質について……

今までの自分は、疑問をひたすら一人で考えて、答えを出そうとしていたのに対して、
問いを持ち、問いを尋ねて、問いについて話し合うことをしていることに、我ながら驚いている。

※疑問が、疑うという点に焦点が合っているのに対し(例えば、実際に誰かに尋ねることはしなくても、自分の中で疑うというような場合でも「疑問をいだく」と表現する)「問い」とは、実際に尋ねたり、質問したりする行動に焦点が合っている。(違いの雑学より抜粋)


会話が得意ではないな、というのは、相手への遠慮や配慮が大きすぎると感じやすいのかもしれない。

あとは、意識してかしないでか、相手との会話はこのくらいのネタで…、と勝手に自分を下げて会話を始めてしまうことも影響しているのだろう。

会話が続かないとか、相手の反応ばかりが気にして、うまくいかなかったなと感じることは全て、自分のコミュニケーション力や会話力のなさにしてしまう。

コルクラボでは、どうして会話が生まれて、会話が苦手な自分でも、会話ができたり会話もっとしたいと思うのだろう?

すごく大雑把に言えば、そこには安全安心という前提を共有している人たちが集まっているからなんだろうな。

わたしが感じたコルクラボの安全安心については、別のテーマにして書いてみようと思う。


まだまだ「コルクラボ」という枠に囲われた中で楽しんでいる会話だけれど、

それでも、「会話をするって楽しい」と思える時間があることは、しあわせだなぁと思う。



ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。