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完成の次へ進む

「居心地の1丁目1番地」は、「居場所」についてひとつの形を取り上げた本だ。でも「居場所」についての答えは、出してはいない。
「居場所」については、この先もずっと、考えていくテーマだと思っている。

制作真っ最中の時は、完成させることがひとつのゴールだったのだけど、いざ完成してみると、全然終わった気がしなかった。


完成したら終わりではなかったんだなぁと、最近強く思う。

この本をもっと届けていくということも考えていきたいと思うし、
私自身がこの本を作ることで得たものを次へ繋げていきたい。

この本を作ったことをきっかけに、できるようになったことがたくさんある。
考えるようになったこともたくさんある。

本作りに関して全くの素人な私だったけれど、この1冊でたくさんのことを経験した。

プロジェクトのこと、ライティングのこと、編集・校正のこと。
チームビルディングやコミュニケーションのこと、これからのこと。

私も、「居心地の1丁目1番地」に関するnoteを書こうとしているのだけど、考えれば考えるほど、下書きが増えていくばかりで凹むなぁと頭を抱えていた。


そんなとき、一緒に校正などの作業をしながら、いつもコルクラボ本制作チームを見守っていてくれたやっさんが、一足先に、「コルクラボの本のその先だ!」と思うnoteを書いてた!

私たちが作業をする時に借りていたコルクのオフィスには、いつもやっさんがいた。
作業に煮詰まりそうな時間になると、じゃがりこ片手にふらっと現れるやっさんに感じた安心感。
やっさんだけでなく、自分たちの作業を見守って、思っていてくれて、応援してくれる人たちがいたことは、本当に心強かったなぁと、改めて思う。

人が集まると集団が生まれる。でも、人が集まるだけではコミュニティにはならない。集団とコミュニティの違いとはなんだろうか?その疑問を考え続けるために「界(さかい)」という個人事業を始めることにした。

やっさんのnoteを読んで、コルクラボで本を作るという作業の中に、「本を完成させる」というだけではない行き先があったことを知った。

どう表現したらいいのかわからないけれど、私たちは、ただ本を作っていただけではないのだなぁと思った。
なんとなくの感覚でしかなかったものの正体が見えてきそうだ。

書けそうで書けない「私の居心地の1丁目1番地の記録」をふんばって書こうと思う。


じっとりと汗のにおいが立ち込める季節から始まって、
少しずつ空気が乾いて、金木犀が香りはじめる季節になって。

気がついたら、身につける衣服の袖も伸び、1枚2枚と重なっていく季節と共に、夜の原宿を一緒に歩く回数も増えていった。

もう忘れてしまったくらいの、他愛もない会話の中に、誰かの「次の種」はあったのかもしれない。

私たちは、いつも気がつかないうちに、お互いに種のやりとりをして、種を育てあっているのかもしれないね。






ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。