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ムダに熱い女。

1970年。
昭和45年の、夏。

日本は熱かった。
天候も街も、人も、何もかもが。

熱さの源は「万博」にあった。
大阪で開かれた日本初の万国博覧会。
日本中はもちろん、世界からもたくさん人が集まり、リオのカーニバルより熱いフェスティバルを繰り広げていた。少なくとも、田舎の少女にはそう見えた。

万博開催の7年前には東京オリンピック。
その記憶がまだしっかり残ってる間に万博の宣伝がメディアからガンガン流れ、お祭り大好きな日本人の心をグイグイ揺さぶった。これで浮かれない方がどうにかしている。高度成長期の下降期とは言え、日本には強いお金のパワーが流れていたのだろう。あちこちでビルが建ち、新しい店がどんどんオープンし、生活もいっきに変化していった。

私が住んでた田舎町では白黒テレビからカラーへ移行し、我が家でもカラーに変身。今まで白黒で見ていた「ひょっこりひょうたん島」がカラーだったと知った時の衝撃!
白黒の世界がいっきにカラーになったというだけで、世の中の「希望」という扉が開いたようなワクワク感。あのときめきは今でも忘れられない。

とにかく、熱かった。多くの人が希望に燃えていた。そして今まで抑えていた怒りを爆発させる人もいた。当時は学生運動が盛んで、大学生のお兄さんやお姉さんたちはヘルメットをかぶって大声で叫んでいた。小学生にはさっぱりわからない難しい言葉で。そして機動隊や警察と激しく衝突する姿が毎日のようにテレビから流れていた。

何も大人の世界だけではない。
子ども社会も熱かった。
「巨人の星」「アタックNo.1」と言ったスポ根アニメが大人気で、もうドSとしか思えない鬼のようなシゴキを受けても、
「勝つまでは絶対に諦めない!」
と歯を食いしばるヒーローやヒロインに、子どもたちは胸を躍らせた。
「よっしゃ!私もやったるでー!」
影響されて野球やバレーボールを始めた単純な子どもがどれだけいたことだろう。

こんな暑苦しいアニメをえんえん見ていたら性格が熱くなるのも致し方ない。しかも世の中は万博でヒートアップしている。今でもすぐに熱くなってしまう私は「ムダに熱い女」と友人に笑われたことがあるが、私のせいではない。育った時代が悪かったのだ。こんな熱い時代に「クールでいろ」と言う方がどうかしている。周りは熱い。お祭り騒ぎ。新しいカルチャーがどんどん出て来て、どんどん世界を広げていく。そして学生運動のような怒りのパワーがエネルギーとなって、ますます日本を熱くしていく。

そんな熱い1970年の夏。

あれから50年が経ち。
日本はすっかり変わってしまった。
熱い=「ウザい」と嫌がられ、低温でゆる~く生きるのが良しとされている。何度私はこの熱い性格をたしなめられたことだろう。
「世の中の人たちはね、みんなぬるい温度で平穏で生きていたいのよ。ささやかな幸せで満足しながら。そんな中にあなたみたいな熱い人間がいてごらんなさい。みんな危険を察知して逃げるわよ。平和をかき乱されるんだもの。せめて人といる時は温度を下げなさい。もう熱いなんて過去の遺跡よ」
そう助言する人もいた。

確かにそうかもしれない。私は平穏な人々の幸福を邪魔する気はない。
周囲との温度差を抱えるたびに疎外感を感じるが、仕方ないと諦め、そんな人たちの前では適度に温度を下げている。


でも「熱さ」をウザいとは思っていない。
私にとっては「熱さ」はエネルギーだ。
好きなことにとことん夢中になり、果敢に挑戦していく情熱。
振られるなんて気にせずに、好きな人に真正面からぶつかる勇気。
日本を飛び出し、コネもないのに海外に一人で作品を売り込みに行ったこと。

そして日本人初の結果を残したこと。

ぜんぶ、熱いから出来たことだ。

今、私は新しい挑戦を試みている。
はたから見たら無駄な挑戦かもしれない。
「年を考えろ」と世間一般の常識で忠告する人もいるだろう。

でも「熱さ」が道を拓くこともある。
というか、「熱さ」なくしては欲しいものは永遠に得られない。
「熱さ」という気迫に心を動かされ、感動させることもある。私が挑戦しようとしているアートの世界はまさにそうだ。

そう信じて、熱い自分を抱えて生きていこう。
あの時代に生きた子どもたちの代表として。


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