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愛するということを、読むということ1

 児童虐待の報道が後を絶ちません。それもそのはず、2019年3月14日に警察庁から発表された「2018年の児童虐待被害者数」は過去最多の1394人であったとのこと。また、厚生労働省が2018年8月30日に発表した資料によると「2017年度中に全国の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数」は133,778件とこちらも過去最多で、統計を取り始めた1990年度から27年連続で増加しています。

 もちろん子どもが被害者です。子どもを被害者にしないためには社会全体で早期に気づき、気づいたら具体的に介入する必要があります。私も児童虐待のニュースを見る度に、正直「この親めコンニャロー!」と腹立たしい気持ちがわいてきます。しかし、親を加害者であると責め立てても児童虐待問題が根本的に解決することはなく(それどころか問題がより見えづらく潜伏してしまうおそれがあり)、親への心理社会的なサポートが重要であることもよく知られています。「ちゃんと手助けするから、なるべく早くSOSを出してね」という社会的なメッセージを送り続けることが必要だと思われます。

 「親なのになぜ我が子にあんなひどいことを平気でするのか?」「自分のお腹を痛めて生んだ子を愛せないなんて、意味がわからない」と考える方も大勢いるでしょう。ごもっともです。ただ、このような言葉は親を追い詰めて、繰り返しになりますが問題の根本的な解決を遠ざけることになると思います。自分を責めてくる相手、理解を示さない社会に素直にSOSを出せる人はいません。虐待をする親には「愛すべき相手をうまく愛せない」ことに苦悩する人が少なくなく、「愛」というよくわからないけれど大切で、人に自然と備わっているべきものが自分には欠落しているのではないかと自尊感情を低下させ、その自信のなさは自分よりも力弱い者への虐待となり、さらに自尊感情を低下させ、そしてまた・・・という負のスパイラルを引き起こします。

 その点、エーリッヒ・フロムの著書『愛するということ』(鈴木晶訳、紀伊國屋書店)では「愛は技術である」と断言されています。フロムの主張によれば、愛とは人に自然と備わっているものではなく、後天的に習得する技術なのです。習得できなければ愛することはできません。これは「愛」に人間性やある種の神秘性を感じている人には受け入れ難いドライな主張かもしれません。しかし、一度は自分の子を愛することに失敗してしまった親たちにとってはどうでしょう。むしろ希望となり得るのではないでしょうか。愛するという技術を習得することは、容易くはないかもしれません。しかし、愛するということに最大の関心を寄せれば、習得できる可能性があるものだ、フロムはそう記してくれています。

 神奈川大学心理相談センター所長の杉山崇氏は「『母親には母性が備わっているから、子を守るはず』という考えは間違っていますし、そもそも“母性本能”の存在自体が幻想です」と断言しています。実はフロムも「人間の本能は(完全に失われたわけではないが)壊れている」と述べています。

 愛するという技術について、その技術を習得するためにはどうすればいいのか、このシリーズではそのことを考えていこうと思います。

『愛するということを、読むということ2』


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