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僕がマーケにはまった理由について話してみようと思う

今でこそ「マーケ」って言葉を自分事のように使うのだけど(普通に自分ごとなのですが笑)、昔はそんなではなかった。

例えば3年2ヶ月前ならば、僕はフリーランスでカメラマンやりながら、そのほかの派遣などもしてながら食いつないでいた。

でも、今はマーケティングの仕事か楽しい。そのように心から言うことのできる理由について話したいと思う。

僕の場合、2つの出来事があったからだ。

1)カメラマンであった自分とクライアントの出会い

当時僕は、ビジネスプロフィール写真を撮影していた。他にはトークショーや試写会、ライブやウェディング、アーティスト写真と、写真にまつわることは一通りやっていたと思う。

当然、当時の僕は「食べていくこと」が前提としてあったので、自分のテイストなどは基本的に捨て去ってやっていたと思う。

おをいただく。

写真を撮る。

しかし何故だろう。撮れば撮るほど、お金をもらうほどに僕は息苦しくなった。

「これを撮りたいわけではない」という自分がニョキニョキと大きくなったからだ。僕は目の前の人の可能性とか、本人の気づいていない「綺麗」を引き出したくて写真撮っていた。

けどビジネスとして、お金をいただきながら撮る写真は思うように撮るわけではなかった。

売れるように、その人がもっと利益的な価値を受け取れるように。この人のファンになるユーザーはどんな顔のどんな服装の、どんなこの人を好きになるのだろう。そう考えながら写真を撮っているうちに息苦しくなった。

だって、この写真で目の前のこの人はすぐに利益を上げられるわけではない。その確証を示さない僕は中途半端でいけないやつだと思うようになってしまったから。

素直にいうと、「お金をもらうのが怖くなった」

そういうこと。

そんな時にリスティング広告に出会った。

2)Googleでリスティング広告の尊さを知った

最初はマーケティング学べるし、お金も高いし、そんな理由で関わることになった仕事だった。

けど、Googlenessの研修の時にリスティング広告の尊さを知った。正直に言おう。これを知るまでの僕はリスティング広告が「1番ダサい広告」と思っていたことを。

でも、低コストでこんなに原理原則に則った広告が世の中にあったのかを知った。スモールビジネスでも、価値のあるものを世の中に届けられることを知った。

そしてそれは写真でやりたかったことだったと気づいた。

写真では目の前の人の可能性を吐き出したかった。その人の知らない綺麗を引き出して、その人の魅力を引き出して伝えたい。

それは自分のビジネスを綴った広告文と最適なキーワードでユーザーと企業の架け橋になる、リスティング広告と同じじゃないかと。

しかもこれはクライアントに利益を返せる素晴らしい構図だということにも。

その時に悟ったことは「自分はこれからこれで飯を食うのだ」ということだった。

これからもしかしたら広告業界を目指す人がいるかもしれない。けど、忘れてはいけないことは広告の一番の面白さは企業とユーザーを繋いで行って、幸せをマッチング出来ることであると僕は思う。

参考までに。


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