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蝶男とルドン...... (本の表紙制作を考える)

6月2日に『蝶男:エストニア短編小説集』という本を出版しました。これは2021年3月から2021年12月まで、葉っぱの坑夫のウェブサイトで連載していた作品をパッケージの本にしたものです。

実は当初タイトルを『夢のつづき:エストニア短編小説集』とするつもりでした。著者との間の契約書でも、working titleとしてこのタイトルで申請していました。英語タイトルは"Continuation of a Dream"、収録されている10の短編小説のうちの一つです。

ところがネットで「夢のつづき」で検索をかけてみたら、玉置浩二さんの歌とか、いろいろなところで同名のタイトルが出てきてしまい、これはどうかな、と。この時点ですでにオディロン・ルドンの絵を表紙に使おうと決めていて、デザイン案もいくつかできていました。

オディロン・ルドン(1840 - 1916)はフランスの象徴主義の画家で、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活動していた人。印象派の画家たちと同時代ながら、ルドンの描く題材やテーマは日常的な風景ではなく、幻想的で、彼独特の特異な世界が主でした。(この記事の画像はすべて拡大表示できます)

ルドンの絵の何を最初に見たのか、よく覚えていないのですが、ネット上の美術館をまわったり、この画家の絵と言葉を集めた画文集を買って検討した結果、現実を超越する彼の特異な世界観が、メヒス・ヘインサーの「リアルと幻想を行き来する」小説世界に合うのではないかと思うようになりました。

ルドンの絵は、初期の銅版画やリトグラフによるモノクロームの作品群と、後期の油絵や水彩、パステルによる色鮮やかな作品群の二つに分かれるようです。わたしはそのどちらにも強く惹かれました。

『夢のつづき』のタイトルでプランを進めていたときに、候補となった作品には以下のようなものがありました。

アムステルダム美術館
メトロポリタン美術館


シカゴ美術館
クリーブランド美術館
アムステルダム美術館

たくさんの絵を、それも高解像度で提供されている世界の美術館の絵を、あれこれ見てまわり表紙案を考えるのは、かなり楽しいことでした。

しかし「夢のつづき」はタイトルとして良くないと判断したので、次の案を考えました。いずれにしても、タイトルには副題として「エストニア短編小説集」は入れるつもりでした。それはエストニアの作家の小説が、日本語ではほとんど紹介されることがないからです。

本のタイトルを、10の収録小説の中から選ぶことは最初に決めていました。タイトルを選ぶ(決める)ことと、表紙ビジュアルを考えることは少し似ている、あるいは共通するところがあります。短編集の場合、中身はいろいろであっても、全体としてどんなテイスト、どんな世界観のものとして外に出していきたいか、表現したいかといったことです。

「夢のつづき」を最初に選んだのは、この小説が一番優れているとか、面白いから、ということではなく、本全体のムードに合うのではと思ったから。どの話も、夢のつづきのような、不思議な雰囲気や味わいをもっていたからです。また目覚めたあとに「いまの夢のつづきが見たい」という経験は、誰しも一度くらいあるのではないかな、ということもあり、人の気を引くという意味合いもありました。(だから検索でたくさん出てくるのでしょう)

で、次にこれはと思ったのが「蝶男」でした。これに決めた理由の一つには、ルドンの絵がありました。すでにそのときにはルドンの絵をかなり見ていて、蝶の絵がいくつかあるのに気づいていました。儚い色合いの花といっしょに描かれた美しい蝶の絵もありましたが、印象的だったのはドギツイ色で蝶のみを描いた水彩画でした。

この記事のトップ画像に使用した絵もその一つです。Paris Muséesに管理されている絵で、タイトルは"Papillons et fleur"(蝶と花)、水彩画です。この絵と、同じ頃に描かれた"Sept études de papillons"(7つの蝶の研究)のいずれかを使おうと思いました。最終的に後者を選びました。これもParis Musées管理の水彩画です。Paris Muséesについては記事末に記します。

オディロン・ルドン「7つの蝶の研究」

絵は縦位置なのですが、時計回りに横にするとちょうど表紙にはまりそうだったので、横位置での使用にしました。横長の絵は裏表紙までいっぱいいっぱい使っています。

「蝶男」の話は、ある特殊な才能(感情が高まると体から無数の蝶が湧き出す)をもつ奇術師が、奇人変人の集まるサーカスに雇われるというもの。世界的な昆虫学者がショーに呼ばれ、男のからだから湧き出た珍しい蝶の種類や名前を特定するのが呼び物です…..「アグリコラ・マシレンタ、フチありゴシック、霜降りコロネット、タカネショウブヨトウ….」 学者の口から出てくる珍妙な蝶の名前の数々…..

「、、、ああー、お願いですから、わたしの不具をからかわないでください」と言って、アンセルムは遮った。「もう充分、耐えてきたんですから。いつもこうなんです、わたしが強い感情をもつと、この生きものがからだから飛び出してくるんです。このせいで学校ではいじめられました。親戚も、わたしの両親でさえ、わたしのことを奇人変人呼ばわりします。でもわたしは正常なんです」
 
「わたしのこの状態に興味をもったのは、変態的な生物学者くらいでした。マニアックな興味をもったんです。彼女は実のところ、わたしの愛人になりました。隅々までわたしのからだを調べたかったからです。わたしのからだから出る蝶の中に、マーシュカーペットとミノムシの蛾を見つけました。彼女が最も好んだのはパープルエンペラーで、それはわたしがエクスタシーに達すると現れる蝶です。彼女は500種を超える蝶を観測しました。どの種もどうもわたしの気分を表しているみたいでした。わたしはついに彼女のやってることに嫌気がさして、家から追い出しました。そういうことです」

メヒス・ヘインサー「蝶男」より

この話に出てくる蝶のイメージは、美しいというよりどちらかと言えばグロテスクな感じでしょうか。それでルドンの蝶の絵にはまるのではないか、と思ったのです。

ところでこの絵のタイトル"Sept études de papillons"(7つの蝶の研究)ですが、フランス語のpapillons(パピヨン)は、も含むことが判明しました! なのでこの絵で描かれている蝶らしきものの中には、日本語でいうところの蛾も混じっている可能性があるのです。

そして実は、「蝶男」に登場する<美しい羽をもつ虫>にも<蛾>がたくさん混じっています。学者が名をあげたアグリコラ・マシレンタ、フチありゴシック、霜降りコロネット、タカネショウブヨトウ、これらもすべて日本語でいうところの<蛾>でした。学名でいうとSideridis reticulata、Hadena confusa、Amphipoeaなどですべて実在の蝶(蛾)です。ルドンの絵に描かれた蝶や蛾が実在のものか、想像の産物なのかは、ちょっとわかりません。蝶と蛾を区別しないのはフランス的に見えますが、ドイツ語も同様と聞きました。あえて区別したいときは、蛾のことを「夜の蝶」のように呼ぶとか。英語は日本語同様、この二つに区別があって、butterflyとmothです。

さて、ルドンの蝶(蛾)の絵をつかった表紙がどうなったかというと、コレです。

『蝶男:エストニア短編小説集』のペーパーバックの表紙(断ち落とし付き)

全102ページなので、ぎりぎり背文字が入りました。赤い線はオブジェクトを入れられる限界線を示しています。POD(プリント・オン・デマンド)の場合、100ページ以下だと背文字なしになります。

Amazonから届いた本(PODの本は版元も定価で買います)

ここで本の表紙について考えてみたいと思います。
本にとって表紙の役割とは何か。本の中身を保護することの他に、表紙の見せ方によって中身のテイストやジャンル(スリラーであるとか、専門書であるとか)を表すことができます。日本の書籍の場合、ハートカバーだとたいてカバーと帯がついていて、本体の表紙は背文字のみということも多いです。ソフトカバーである文庫本でさえ、カバーがついています。

帯というのは本の下三分の一くらいのところに(カバーの上から)巻いてある文字を中心にしたもう一つのカバーで、腰巻!と昔は呼んでいたようです。腰巻というのは着物を着るときに肌着として下半身に巻くもの。帯も腰巻もいまは日常ではあまり聞かない言葉になってしまいましたが、本の世界では生きています。

帯には大小の文字で、出版社からの宣伝文句が書かれています。「欧米各国で絶大な賞賛と人気を得た長編小説」といった。ときに著名人の推薦の言葉が書かれていることもあります。書店で平台に並べられるときのプラカードのようなものと言ったらいいのか。

ソフトカバーの本の場合、カバーや帯は普通ありません。表紙が薄く柔らかいので付けられないというか。ハードカバーは上にカバーと帯が付くのが普通なので、表紙のデザインは帯を意識した(下三分の一は隠れるのが前提の)デザインになっています。

ところでKindle本など電子書籍が出てきて、本の表紙はどうなったでしょうか。電子書籍はサイトで買うものなので、基本、サムネイルの段階では画像はかなり小さいです。数センチ角くらいでしょうか。タイトル文字や著者名が読めるようにするには、本の大きさに対して比率的に大き目にする必要があります。通常、紙の本の表紙をそのまま電子本に流用することが多いので、紙の本の表紙をデザインする際、電子本になってサムネイルとして表示されるときのことも頭に入れておく必要があります。

紙の本のことだけ考えて作られた表紙というのもあるにはあります。その場合、表紙ビジュアルからの情報量は減ります。日本では最近まで電子書籍が低く見られていたので、電子書籍に適した表紙というアプローチは少ないかなと思います。ただ紙の本にしても、リアル書店ではなく、アマゾンなどネット書店で買う機会が増えていることを考えると、根本的なところで本の表紙はどうあるべきか、カバーや帯は必要なのか、など一考してもいいように思います。

そう言えば、去年芥川賞を受賞した李琴峰さんがNFT小説を出版したと聞きました。NFTとは仮想通貨で取り引きされるデジタル作品の1点ものを指します。写真も含めたビジュアル作品ではよくありますが、小説でNFTとは?李琴峰さんの場合は、数量限定+特典付きの未発表作品とのことで、日本語の他、繁体字中国語版、簡体字中国語版の3種類で全10点の限定販売となったようです。

NFTはデジタル作品なので、李琴峰さんの『流光』という小説も、本体はデジタル本です。表紙は5種類あって、複数の画家やデザイナーに依頼して制作したようです。NFTにおいては、電子本の場合も、表紙デザインは重要な要素となるのかもしれません。限定ものですから。NFT小説は、ある意味、本の表紙、あるいはデジタル本の新たな側面を示しているような気もします。

最後に、前述のParis Muséesについて
パリ市内の14のミュージアムを管理する公共団体で、2020年1月に、各館の所蔵品画像10万点以上をオープンコンテンツとして公開したことを発表しました。訪問者は、クリエイティブ・コモンズのライセンスによって、絵画の画像をダウンロードして様々な用途につかうことができます。

クリエイティブ・コモンズ(CC0)のライセンスによる絵の公開をしている美術館は、他にシカゴ美術館、クリーブランド美術館、メトロポリタン美術館、アムステルダム美術館など多数あります。

こういった美術館所蔵のデジタルデータは、印刷用の表紙をつくる場合にも耐えられるだけの解像度があり、プロの人と同じプロセスで、無料で誰もが使用できるという意味で画期的です。

クリエイティブ・コモンズの仕組みによる画像の公開、ダウンロードは、美術館に限りません。葉っぱの坑夫ではウェブ作品や紙の本を制作するとき、ビジュアルが必要になるとflickr.comによく行きます。葉っぱの坑夫の場合は、非営利活動なので、より多くの作品が「attribution(著者の表示)」の条件のみで使用できることもあります。クリエイティブ・コモンズでは、attributionの他に、改変不可、商用不可など細かく条件が提示されています。これはCCのルールに従っって、著作者が作品を登録する際に条件付けしたもです。

2015年に葉っぱの坑夫が出版した「南米新世代作家コンピレーション」シリーズの表紙制作のときは、flickrで南米各国のストリート・グラフィティを見てまわりました。そしてその豊富さ、迫力にびっくりしました。これについてはまた機会を改めて書きたいと思います。

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