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小説の背景:エストニア探検 by Street View

ヨーロッパには何度か行っていますが、エストニアには行ったことがありません。平均的な旅行者と同じように、中央・西ヨーロッパや南ヨーロッパが中心で、北欧や東ヨーロッパには足を踏み入れたことがないのです。だからこの3月からエストニアの作家の小説を日本語にして、葉っぱの坑夫で出版することになって初めて、どんな地域なのか、その文化や風景を探索することになりました。

第1回目は、『沈黙の16年』という小説で、すでに公開しています。5000字弱のそれほど長くはない短編小説です。ちなみに上のタイトル画像は、エストニア南西部にあるソーマーという地域の写真(triin/CC BY-NC-ND 2.0)で、小説の主人公アートゥが隠遁生活を送ることになった場所です。

人間にも生活にも、自分自身にも失望したアートゥは、エストニア南西部にあるソーマーのトゥフキア農園に移り住んだ。そこは平和で静かな土地で、人の噂もとどかない、新聞も電気もない、何ひとつないところだった。オオカミやクマがうろつく果ての地、森や湿地や牧草地に囲まれた場所だった。

こんな風に描写されているソーマー(Soomaa)とはどんな場所なのか、グーグルマップとストリートビューで見てみることにしました。ストリートビューで周辺を「歩いて」みると、森があり、ブッシュが点在する草原が広がり、川や湖や沼がところどころにある地域のようでした。試みとして、スーマーのストリートビューを埋め込みで、主人公の家の近くを流れるラウナ川近隣をリンクで小説内につけてみました。以前に中国系アメリカ人作家ハ・ジンの小説『自由生活』を読んだとき、主人公の家族がボストンからアトランタに引っ越す際のドライブウェイを、本を読みながら足取りをたどっていった経験があり、それがなかなか面白かったからです。(ストリートビューの埋め込みは面白いので、noteのカイゼンに提案中です)

Soomaa.com「エストニアの自然を探検しよう」というサイトを見ると、スーマーではbog(バグ/ボグ:湿地帯)を歩くのがおすすめの一つのようで、「カヌーやbogshoes」で旅をすると紹介されています。確かにヘインサーの小説でも、bogがよく登場します。でもバグシューズとは? 調べてみると、かんじきのようなフットウェアで、こういうものを履かないとバグは歩けないようです。

スーマー、ボグシュー

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写真・上左:Juozas Šalna(CC BY 2.0)、右、下:Aivar Ruukel(CC BY 2.0)
小説に書かれていることの背景といったとき、文化や歴史も入りますが、その土地の地形や気候、風物や風景も話を理解するための要素の一つになりそうです。

東部にある学園都市タルトゥからヴィリャンディまで西に車を走らせ、更に西にあるクップへと向かった。マーレクは狭い森の中の道を行けるところまで走りつづけた。しかし16年前に走った道は、車で入ることができなくなっていた。イラクサやビショップボーフウ、ゴボウが胸の高さまで生える道を長い距離歩き、古い壊れかけた橋をわたり、シモツケソウやキンバイソウが咲き乱れる湿地の中を足をとられながら歩いていき、モミの木の森を抜けて、やっとのことでオークの木々の下にある、友人の古い家にたどり着いた。

これは大学時代の友人マーレクが、16年ぶりに主人公の家を訪ねたときの描写です。どれだけ都会から離れた、人のあまり住んでいない奥深い土地なのか、文章からも想像はできますが、写真やストリートビューを見ることで、自分のイメージと現実をすり合わせることができます。

不思議なもので、視覚による記憶というのは、言葉による記憶とはまた違う働きをしているように見えます。友人の写真家、大竹英洋さんの写真集『ノースウッズ 生命を与える大地』を見返していたら、どこかで見たような風景と出会いました。それは川辺の風景だったのですが、色合いといい水辺の草や背後の森の感じが、エストニアのものと似ていました。それで思い出しのは、ノースウッズと呼ばれるカナダからアメリカ北部にかけての森と湖の地域は、北欧からの移民の人々が、故郷の風景に似ているということで住みついたというエピソードです。以前にこの写真集を見たときには感じなかった、ある種の懐かしさのようものを、改めて見返したとき、この写真から受けとっている自分に気づきました。

夜になって、二人は川辺で火を焚いた。アートゥは蕎麦の実*の鉢を置き、マーレクは持ってきたポルツァマー・ワイン*のボトルを3本、バッグから取り出した。そして二人はそれぞれフルートと太鼓を出して、音楽を奏ではじめた。クロウタドリのミックもあたりをピョンピョンと跳ねまわり、そこに参加した。真夜中が近づくと、二人の男はやかんを火にかけ、手を枕にして地面に横たわった。そして空高く伸びあがった樫の枝の間から、星を眺めた。考えていることはそれぞれ別のことだった。そしてついにマーレクが勇気を出して、森の中でのアートゥの孤独な日々について、この何年もの間、何をして何を考えていたかを尋ねると、アートゥは眉をひそめ顔をそむけ、川の向こう側の暗い森に(何か面白いものでもあるかのように)目をやった。この隠遁者は森や湿地のただ中で、たくさんのものを見たり、聞いたりしたはずだ。しかしアートゥが沈黙の誓いを解くことはなかった。

主人公のアートゥは大学時代、ある出来事があったことで、誰とも口をきかないという誓いをたてて実行していました。ソーマーのような人里離れた土地に移り住んだのは、それが理由でした。マーレクという友人が訪ねてきたことで、アートゥの誓いは、16年たったいま変化を見せるのでしょうか。物語はここから後半にはいります。

上の引用に出てくるポルツァマー・ワインというのは、ベリー類やリンゴからつくったワインだそうで、この地ではブドウが育たないからとか。ベリー類というのは、ラズベリーだったりブルーベリーだったりするのでしょうか。ちょっと飲んでみたい気がします。

エストニアは国土が日本の九州くらいの面積で、その50%が森に覆われているそうです。1400を超える湖があり、川も多く、さきほど書いたバグ(ボグ)も数え切れないほどあるとか。年間平均温度は18℃くらい。

ところでこの物語の著者メヒス・ヘインサーは、森の中に住んでいて連絡が取りにくい、とエストニア文化センターのKさんから教えられました。自宅にはインターネットがないようで(あるいは電気も?)、ときどき近隣の図書館に出向いて、連絡や情報を受けとっていると聞きました。それで葉っぱの坑夫と作家の連絡は、Kさんを通じて図書館経由で行なわれています。

それを聞いたとき、こうやってゆっくりでも連絡がつくのなら、なにも問題はないと思いました。作家が自分に適した、創作にとってよい環境で作品づくりをすることは大切なことであり、そのようにして生まれた作品が(情報網のまっただ中にある)こちら側の世界の人間に響くのなら、きっとそこには何かしらの意味があるのではないか。環境の違いという構造自体が生みだす、他では得られない価値があるかもしれない、と。

4月末の第2回は、『レイモント・ククマー、愛の物語』です。体重16.5kgで生まれたまるまるとしたククマーが、どのような人生を歩んだのか、授けられた7つの愛をとおして語られます。


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