動物と人間と性 : ⓵動物にも同性愛はあるの? ⓶動物をパートナーにする人たち
世の中、知識の広がりや事象確認によって、異常と正常の境界線はどんどん変化しています。
何が正常で何が異常か。自分の偏見や誤った知識によって、ものごとを正しく理解していない可能性は常にあります。
世界保健機関(WHO)の思想の変化を振り返ってみても:
といった履歴があり、社会や一般の人も概ねこの影響下にあったと思われます。
常日頃から心をオープンにして、ニュートラルな状態(新たな認識が生まれた際、それについて一考できる態度)にしておけるか、は生きていく上で大切なことかもしれません。自分はマジョリティに属していると自信のある人ほど、十分な常識を持ち合わせ、社会的な立ち場を確保している人ほど意識的になる必要があるように思います。
さてタイトルにあげた「動物の同性愛」と「動物をパートナーにすること」の可能性と実態です。
この二つは、事実として、事象としてあり得ることなのか。前者はまだしも、後者は人間に関わることなので、「常識家」ほど抵抗感が大きいのでは?と。動物と人間がセックスするなんて! 動物虐待?!などなど。
⓵動物に同性愛はあるのか
Same-sex sexual behaviour(SSB:同性間の性行動)
ネットで動物の同性間性行動について調べていて、最初に出てきたのが2023年7月のNewsWeek日本語版の記事(↓)。これは米国版の翻訳で、原典のタイトルは「Macaque Monkeys Frequently Have Gay Sex(マカクサル/アカゲザルは同性間性行動をしばしばとる)」
ここで書かれてる要点をあげると、まず前提として、これまで「ヒト以外の動物では、同性間性行動はまれな異常行動である」と見られていたことがあげられます。それに対して異議を唱える研究論文が発表された、というニュース記事でした。
論文の著者によると「およそ250頭のオスを調査したところ、そのうちの72%が同性間のマウンティングをおこなっていた。オスのほとんどはバイセクシャルだった」そうで、さらには「メスを相手にしたマウンティングを試みたのは46%だった」とのこと。
ん? 異性であるメスより、同性のオスの方がメインということ?
また、近縁種であるニホンザルを見ると、「(同性間性行動は、)メスでより多く見られる」と書かれています。
このような同性間の交尾は、アホウドリ、イルカ、バイソン、セイウチなどでも観察されていて、ある事例ではキリンの94%がオス同士のマウンティングだった、と報告されている模様。
「同性間性行動は『自然と進化に反する』とする説」があるそうで、子孫繁栄の障害になる、あるいは生産的でないと見られてきたのかもしれません。しかし、この調査・研究では、「性的接触をもったオス同士は、いさかいが起きた際に援護しあう傾向が強く」なり、性行動と同盟的な絆の間に強い相関関係があることがわかったと記されています。
集団的に暮らす野生動物では、たとえばイルカでも、オス同士の同盟関係は重要なようで、2016年に葉っぱの坑夫が翻訳出版した生物行動学の本、『イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年』の中でも、異種のイルカ間で、第3の異種のイルカが現れた際、それに対抗するため一時的に同盟を組むことが記されていました(性行動の範疇に入るかは明記されていなかったが、マウンティングが観察された)。
Newsweekの記事のタイトルが「『非生産的』どころか生殖にも進化にも貢献していた」となっているのは、このようなオス同士の同盟関係が、集団内の関係を円滑に保ち、その結果、生殖にも貢献している、という意味のようでした。
この記事はごく短いものだったので、もう少し詳しい情報はないかと、今度は英語で検索してみました。「哺乳類における同性間性行動の進化」という論文が、Natureのサイトで見つかりました。
Nature(2023年10月3日)
The evolution of same-sex sexual behaviour in mammals
José M. Gómez, A. Gónzalez-Megías & M. Verdú
最初の要約のところには、次のようなことが書かれていました。
3は、Newsweekの記事と共通する理解が見てとれます。
Natureの論文では次のような観察例があげられていました。
以下、さらに論文の中でいくつか目についたところを紹介します。
無差別性行動、つまりバイセクシャルであることは、性別をもつ動物の祖先条件(ancestral condition)である、とのこと。
「祖先条件」とは、「過去の共通祖先が持っていた元々の特徴のこと」(ChatGPT)で、進化の初期段階から存在していた特徴であるという説明です。つまり同性間の性行動は、進化の過程で後から出てきた特性ではなく、元々の基本的な状態(祖先条件)によるものということのようです。
これね、ヒトにも当てはまるとしたら、同性愛を精神疾患としていた過去の判断は、完全に非科学的だったということになりますね。病理ではなく、元々の種としてのヒトのもつ基本的な状態である、ということで。
次いきます。
哺乳類の科、目、それぞれで半分を満たす同性間性行動があると。
ところで同性間の性行動とは、具体的に何を指すのでしょう。この論文であげられていたのは、「求愛、マウンティング、性器接触、交尾、ペア結合など」でした。ペア結合とは、子どもを産み育てるなど永続的な2個体間の関係。
一夫一婦制のカップルのような同性間の関係も、動物において一定数あるということか。
またこの論文では、同性間の性行動は、野生や半野生の条件下で209種(全サンプルの83%)見られたことから、人工的な条件下のみの現象ではないとしていました。
メスとオスでは違いはあるのかという点では、メスで163種、オスで199種の記録があり、ややオスが多いもののオスだけに見られる傾向ではなさそうです。
また霊長類で一般的な行為ではあるものの偶蹄目(ウシ目)、肉食動物、カンガルーとワラビー、げっ歯類などでも同性間性行動は見られるとのこと。
いかがでしょう。ヒト以外の動物における同性愛行動はある、それも進化の過程で生まれたというより、元々の基本的な状態(祖先条件)としてあると。これが最新の研究から導き出されたファクト(の一つ)と見てよさそうです。
⓶動物をパートナーにする人たちとは?
数年前に濱野ちひろ著『聖なるズー』(集英社、2019年)を読んで、ショックを受けた経験があります。当時、動物と人間間の性行動について次のように考えていました。
<動物保護の立場から、「動物を支配下に置くことのできる人間が、動物に対してセックスを強要することはレイプにあたる行為。肉体的に、心理的に、当の動物が被害を受けるであろうことは想像できる。>
(happano journal_j 2015年『新たな科学の視野:牛やイルカの「人権」問題』)
当時、牛や馬との性行為を法的に禁止していなかったデンマークに、ドイツやイギリスなど禁止されている国から、その目的でやって来る人が多数いたことから、デンマークはついに全面禁止する法案を可決した、というニュースがありました。
法律で禁止しなくてはいけないほど、それを望む人々がいるのかという驚き。動物と性行為をしたがる人間とは、いったい???と思っていました。
しかし『聖なるズー』を読んで、その考えが間違いである、あるいは理解が足りなかったことに気づきました。少なくともこの本で語られている、著者が出会い調査をした人々の「動物と人間の関係性」においては。
「ズー」とは動物性愛(ズーフィリア)を好む人々の自称。動物性愛とは、「人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方を指す」(『聖なるズー』より)。著者の濱野ちひろさんは、ドイツで犬や馬をパートナーにするズーたちと出会い、寝食を共にし、身近に話を聞くことで、彼らの動物との愛と暮らしを調査して一冊の本にまとめました。(2019年、開高健ノンフィクション賞受賞)
この本が書かれた当時、精神医学では、動物性愛は性にまつわる精神疾患(異常性愛、性的倒錯)とされていたそうです。というか今もおそらくそうではないかと。一方で動物性愛を性的指向の一つ、と捉える研究者も出てきているようです。このあたりは同性愛に対する見方の変遷とそっくりです。
英語版WikipediaのZoophiliaは、日本語版ウィキペディアの「獣姦」にリンクされていて、ズーフィリアと獣姦を一緒にしていいのだろうか、と思いました。ちなみに中国語版ウィキペディアは「動物戀」となっていました。
著者がズーたちに目を向けたのは、自身がパートナーから長年にわたって虐待を受けていたことが元になっています。著者はパートナーとの間にある支配・被支配の関係から抜け出し、自分と正面から向き合うために大学院に行き、「動物との性愛の研究」をテーマに選びます。
支配と被支配、これは人間社会のどこにでも存在するもの。人は意識することなく支配・被支配の関係を生み出したり、陥ったりすることがあります。現実の社会では、支配・被支配のない集団、支配・被支配のない人間関係はある意味想像しにくいものです。
『聖なるズー』で描かれるズーたちは、精神においても肉体においても、関係を築く動物たちとの主従関係を否定し、支配と被支配の関係ではなく、両者が対等であることを生き方の基本にしているようです。
動物と対等であるとはどういうことなのか。ドイツでは飼い犬が日本よりずっと厳しく調教されていることは、ミュンヘンを訪れたときの経験で知っていました。ドイツの犬は、道端でも、レストランでも、従僕のようにおとなしく声を出すこともない。一度、通りに面したカフェで、犬を連れていた人がその犬をひどく叱っているのを見ました。その叱り方は激しいもので、犬は絶対服従に見えました。
もしかしたらこういったドイツにおける犬の飼育の仕方と、ズーたちの存在は相反するという意味で関係があるのかもしれない、そんな風にも思いました。
ズーたちにとって、身近な動物(主として大型犬)と親密な関係を結び、相手が望めば性的な関係に至ることもあるのは自然なこと、とのこと。『聖なるズー』の著者が取材協力を申し出た、ZETA(ゼータ)というコミュニティは、同じ指向や体験をもつ人々のネット上にできた場です。ゼータの多くの人は、幼い頃、あるいは子ども時代に、自分と動物の特別な関係に気づいています。これは同性愛者がそうであるのと類似しているように思います。
つまりその人の基本的な性的指向の現れなのでは?と。
著者はドイツ滞在時に、何人かのズーの家に泊まらせてもらい、一緒に生活しながら話を聞き、彼らの生活ぶりを観察しました。
ズーの人たちがパートナーである動物と、どのような関係にあるのか、いくつか『聖なるズー』から引用してみます。
ミヒャエルというのはゼータのメンバーで、著者がドイツで最初に訪問したズーの人。彼が自分の指向に気づいたのは13歳のときだといいます。
これを読んで、ハワイ島で経験したウミガメとの出会いを思い出しました。わたしは小さい頃から動物とはあまり縁がなく、家で犬や猫を飼ったこともありません。どちらかというと動物を怖いと思う方です。でもこのとき、ハワイ島で海に入っていたとき、ふと気づくと、少し離れたところから大きなウミガメがゆっくりと自分の方に近づいてくるという経験をしました。不思議なことに全く 怖いという感覚がなく、それどころかこれまで感じたことのない「多幸感」が心に体にあふれました。わたしを目指して至近距離までやってきたそのカメは、わたしが手を差し出すとその手をなめました。
そこはホテルのプライベートビーチで、人はパラパラとしかいませんでした。ふとまわりを見ると、わたしとウミガメを取り囲むようにして、海中にいた数人の女性たちが笑顔で、わたしとカメの出会いに感動していました。
「Oh!」「Wow…」
そのビーチにいるウミガメは野生ではありますが、泊まっていたホテルのウミガメの保護プロジェクトの一環にあり、人との信頼関係があったのだと思います。
ただわたしにとっては、一生に一度といっていい、動物との特別な体験でした。
動物と人間の間で心が通じ合う、といったことはあるのでしょうか。そんなもの人間の側の勝手な解釈にすぎない、という人もいるでしょう。
でも、ズーの人々にはその心の通じ合いがはっきりと感じられるようです。
今月初めに出版された作家・木村友祐さんの『猫と考える動物のいのち』(ちくまブックス)にこれに関することが何か書いてあるかもしれない、と思い入手してみました。
木村さんはクロスケとチャシロという2匹の猫を飼っています。対等な関係をもつために、そして猫たちからいろいろ学ぶために、クロスケ先生、チャシロ先生と呼んでいるようです。こんな記述があり目に止まりました。
木村さんはズーではないし、飼っている猫たちに性的な興味をもっているわけではなさそうです。でも、ズーたちも動物との間に、必ずしも性的な関係をもつわけでもないそうで、動物との「非常に近しい関係、信頼関係」「愛情を態度で示し、やりとりする関係」という意味で、ズーの人と木村さんのような動物愛にあふれた人は、隣り合う関係にある、と見ることもできそうです。
『聖なるズー 』の中に、著者がねずみと暮らすズー、ザシャを訪ねたときのことが書かれています。ここには性的な関係はありません。
ザシャにとってねずみは性的欲望の対象ではなく、暮らしを共にする仲間たち。でも飼っているねずみたちに特別な愛情を感じているし、ねずみたちから信頼もされている。このようなズーの人もいるということが、この本でわかりました。愛情をもつ=性的対象とは限らないわけです。
そういえば、昔、ムツゴロウさんという動物王国をつくった作家の人がいて、彼の動物との関係のもち方はザシャに近いものがありそう。
知識がないと、人間の同性愛も動物性愛も「すべて目的はセックス」と思いがちですが、基本は命あるもの同士の愛ある関係性であり、性によるやりとりは選択肢の一つなのかもしれません。
ここまで書いてきて、最初の疑問の答えとして「動物にも同性愛はある」、「動物をパートナーにする人たちは精神疾患や性的倒錯者というわけではない」、という結論に至りました。
これまでの「常識」から見て、異常であるとか倒錯ではないかと思われてきたことも、よくよくそれがどういうことなのかを知れば、命ある者がいかに生きるかというときの、ある意味「あるがまま」の姿なのかもしれません。
いかがでしょうか。
Title photo by NatalieMaynor(CC)
『聖なるズー』の著者の、比較的新しいインタビューを見つけたのでリンクをつけておきます。