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自分の五感をうたがってみる

人は何かを判断するとき、聴覚や視覚を通して得た外界の情報と、理性(自分の内にある論理)の両方をふつう使っていると思う。その二つを無意識のうちに作動させ、ある結論を出す。いま聞こえた音は、外でバイクか自転車が何かに衝突した音ではないか。あの鳥の声はヒヨドリではないようだ。トンカツは色よく揚がったように見えるけど中は半生かもしれない。などなど。

人によって、論理を重視するタイプ、感覚を第一に置くタイプと分かれるかもしれない。ただ一般に、自分の感覚器官で受けた情報への信頼度は、それなりに高いはずだ。自分の感覚器官に信用がおけないと、心理的に不安をかかえることになる。

しかし人間の感覚器官というのは、当てにならないことがある、というかある意味、錯覚によって成り立っているというのも本当らしい。

たとえばこの記事のテーマ画像を見て、「ああ、テーブルトップの大きさは同じですね」という人は少ないと思う。明らかに左側のテーブルは細長いし、右側のテーブルは幅がもっとある(ように見える)。

しかしこの二つのテーブルトップの輪郭を紙になぞり、切り取り、重ねてみれば全く同じ大きさだということがわかる。わたし自身やってみて、紙を切っている間も半信半疑だった。どうして違うように見えるのかわからないけれど、サイズが同じであることは確か。

味覚にしても、食べ合わせによって、食べものの味がかなり変わることがある。同じレシピで作った肉料理も、付け合せるものとの相性で、おいしさが変わってしまうことがある。あるいはバナナを甘いと思って食べていて、そのあとで甘いスイカを食べ、またバナナに戻ると全く甘く感じない、ということが起きたりする。バナナが甘い、あるいは甘くない、というのは事実そのものというより、食べた人間のそのときの状態や感覚を表しているにすぎないということ。

聴覚については、作曲家はモーツァルトの昔から、耳の錯覚を利用して曲を書くことがあったようだ。たとえばファゴットとホルンを使った曲で、ホルンの数が実際より多く聞こえるように曲を書くといった。生楽器による演奏では、倍音の使い方など響きをどう扱うかが重要なので、作曲家の人たちは、そういった耳が捉える情報の扱いには工夫をこらすだろうし、音響の知識も豊富だと思われる。

認知心理学者でミュージシャンのダニエル・レヴィティンという人によると、バイオリンの音をフルートの音に重ねると、手回しオルガンと非常に似た音になるそうだ。これも音響効果というか耳の錯覚の一つ。

音について最近知ったことで、ちょっとショックを受けたことがある。考えてみれば当然のことなのだけれど、そのように考えたことがなかったため、驚いた。それは以下のようなことだ。

誰もいない森で、木が倒れたとき、どんな音がするか。

答えは「何も音はしない」。この問いを最初にしたのは、18世紀の哲学者、ジョージ・バークリーだそうだ。音とは、空気の振動(振動分子)が、人や動物の耳(の鼓膜)に当たって初めて感知されるもの。つまり鼓膜を通した脳内のイメージということだ。音というものが「存在」するわけではない。

同様に色もそうだ。ニュートンによって「光には色がない」ことが指摘された。つまり色というのは、波長(振動数=周波数)の違う光波が、網膜を通して生きものの脳内で作用する現象だということ。(参考図書:ダニエル・レヴィティン著『This is Your Brain on Music』)

森で木が倒れても、それを受信するモノがないかぎり音が存在しないのと同様、色も物体自体に「色」は存在しない。同じ光源からの光を受けても、受ける物体の表面の反射率の違いで、視細胞が受ける「色」は変わってくる。いちごとレモンの色が違うのは、物体の光の吸収率や反射率が違うためだ。

こういう例を聞いていると、人間のもっている知覚の受信装置は精度は高いのだろうが、その結果見聞きできる情報は、おおよそ脳内のイメージだということになる。物理現象や物体そのものではなく、脳内で生まれる心理上のイメージなのだ。

モノには色がないし、この世界に音は存在しない。と考えると、足元の地面がグラリと揺れるように感じるかもしれない。

知覚で正確な情報をキャッチした場合も、それを特定する論理(知識)が欠けていれば、有用な情報とならないケースもあるようだ。前述のレヴィティンの著書によると、絶対音感と言われている単体の音のピッチ(高さ)を言える人は、一般人の中にも実は存在するそうだ。その人たちは音名(ド、レ、ミなど)を知らないため、聞いた音と名前を結びつけることができないだけらしい。

これを証明する実験として、音楽の知識のない一般の人に、音叉を渡して毎日数回、それを膝で打って音を聞くことをしてもらう。半分の人たちにはドの音に合わせた音叉をわたし、もう半分の人たちにはソの音の音叉をわたし、それぞれにフレッドとかエセルといった人の名前を当てる。1週間音を聞き続けたあとに、1週間の間隔をとり、被験者を再度実験室に集める。そこで半分の人たちには、フレッドの音を歌ってもらい、残りの半分の人たちには、キーボードで弾いた3つの音からエセルの音を選んでもらう。結果は目覚ましいもので、音の高さと名前が結びついていれば、きちんと記憶されることが証明されたようだ。

そもそも音というのは、振動分子が耳に届いたときに初めて「音」として認知されるものであり、ピッチ(音の高さ)というのも、実体ではなく、心理物理学現象によるフィクション、脳内イメージであるということ。

こういったこと、知覚の錯覚や、知覚と論理の関係性、そして記憶について知ったとして、どういうことに役立てることができるのだろう。

目でも耳でも舌でも皮膚でも、錯覚というのは面白い現象であり、体験でもある。ただ普段は自分の知覚をそれほど疑う機会はないかもしれない。自分の目で「確かに」見たこと、耳で聞いたことは、高い確率で信頼する傾向があると思う。

ここでふと思ったのは、自宅の鏡など見慣れた鏡に映る自分の顔や姿は、だいたい同じような見え方をするもの。ところが美容院とかショップのミラーに映る自分は、なんか違う。光の具合なのか鏡の精度なのか、と思うが、もしかしたら自宅の鏡で見ているときは、脳内で補正をかけているのかもしれない。予測の中で見ている固定的なイメージというか。

同じようなことが自分の声についても言える。録音した自分の声は、自分の知っている声と少し違う。またピアノなどの演奏でも、演奏しながら直に聴いている音と、録音された音は違って聞こえる。テンポが違って聞こえることすらある。録音で聴くとやけにスローだ、など。これもしゃべっているとき、演奏しているときに耳にしているものは、音を出す本体の気持ちによって脳内でイメージが醸成され、補正されて耳に届いているのかもしれない。

こういった知覚で得たものの多くは、実体というより、脳内で生成されるイメージ、ある種のフィクションだと知っていれば、ものごとの認識の仕方が変わり(あるいは注意深くなり)、自分の行動や思考において、何かを決めつけることが減るかもしれない。事実かどうかの認識の周辺に、不確定要素としてのグレーゾーンができ得る。

不確定要素を心理的にもつことは、ものを考えるとき「拡散的思考」(音楽の神経科学の研究者・大黒達也氏の言葉)につながりやすいという意味で、利益があるかもしれない。拡散的思考とは、一つの概念にこだわらずに広い視点から問題を捉え、様々な可能性をつくりだす創造的思考とのこと。

不確定要素が多いものに対しても、すぐに捨てたり諦めたりしないで、あれこれ思考を伸長させたり拡散させたりして、ものごとの可能性を広げていく。

それに対して「収束的思考」(by 大黒達也氏)というのは、視点を広げるのではなく、最適と思われる論理を一つ見つけ、それが具体的な結論に素早く行き着くよう思考すること。具体的で素早い問題解決には、こちらの方が有効に見える。

まわりを見まわすと、収束的思考が勝っている人、拡散的思考が得意な人、この二つの両方をバランスよく持っている人、などいるように思う。たいていはどちらかの割合が高くて、それがその人のものごとに対する考え方や対処の仕方の特徴として現れている。

自分の感覚をうたがってみる、というテーマからは少し外れてしまった感もあるけれど、思考方法を二つに分けるこの考え方は面白い。これに関連して、「内発的意欲」「外発的意欲」という言葉も大黒達也氏の著書にはあった。

内発的意欲というのは、自分の興味から発生するモチベーションで、他者の評価や金銭的な利益とは別のところに根拠がある。不確定要素の多いことであっても、気にせず「拡散的思考」によって視点を広げ、様々な可能性を探り、その結果、面白い結論に達することができれば大きな満足感を得る。それを大黒達也氏は「報酬」と言っている。

それに対して「外発的意欲」というのは、外から評価を得ることや金銭的な利益がモチベーションとなり、それを得られることが満足感(報酬)につながる。ここでは不確定要素の探索は効率が悪いので、収束的思考が取られる。といったようなことだと思う。

興味のある方は大黒達也氏の『芸術的思考は脳のどこから生まれれるか?』を読むといいと思います。たまたまこの著者と筆者は同じ姓だけれど、親戚でもなんでもありません(と思う)。*大黒達也:ケンブリッジ大学研究員(音楽の神経科学)、作曲家

自分の五感をうたがってみることから始まって、自分がどのような思考方法を普段とっているかを自覚することで、今までとは違った世界の見方ができるかもしれない、新しい発見があるかもしれない、そうなればいいなと思ってこのテーマで記事を書いてみた。



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