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[エストニアの小説] #4 クディシームの話 (全10回)

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  朝方になってやっと、空に明かりが見えはじめると、男は歌うのをやめ、ほんの一瞬、目を閉じた。しかし眠りは短く、浅く、次の瞬間には立ち上がっていた。そして森へ走っていくと、木々の1本1本の前で足を止め、花々を一つ一つ点検し、目にした虫を一つまた一つと手に乗せて、もがくところを笑いながら観察した。それに飽きると、木の下にすわって、耳を澄ませ、陶酔したようにじっと遠くを見つめた。そして太陽が地平線の上に現れると、筏の方に戻っていった。ハバハンネスのフェンスから三重刺網を取り、川の流れの中にそれを投げ込んだ。カワカマスを2、3匹捕まえると、男はクディシームの小屋へと歩いていった。

 男はそっとドアを開け、ロキとクディシームがまだ眠っているのを見て、ストーブの前を静かに歩きまわる。そしてテーブルにとってきた魚を乗せると、声をあげた。

 「朝ごはんの用意ができたよ、みんな! 一日を無駄にしないで!」
 ロキはクサリヘビにでも噛まれたみたいに、飛び起きた。クディシームはびっくりして目を開け、口がきけず、目の前の男を見るばかり。
 「きみんとこは貧乏だな」とトーマス・ニペルナーティは部屋を見まわして言う。
 「貧乏、そうだ」 クディシームが口をきいた。
 「ハバハンネスのところに行った方がよかったな。あいつは金持ちだ。筏乗りはみんなあそこに行く」
 「そうか、で、ハバハンネスはどうやって金持ちになった?」 ニペルナーティは陽気に尋ねた。
 「あいつだっていつも金があったわけじゃない」 クディシームが言う。「腹が減って惨めに見えたことだってある。口から歯が飛び出すくらい、ぶちのめされたこともあった。若いときはよく知られた盗っ人だった。血の気の多いやつに狙われていた。それでそいつらから逃れるため、森にやってきた。そしてここで畑を耕してる。それで食えるわけではなかった。作物は育たないし、あついは苦痛に歪んだ顔をしてた。だがその後、リガの市場で20ルーブルでグラバーを買ったと言われてる。するとすぐに畑で作物が育ちはじめて、吹雪のときの雪溜まりみたいに貯蓄が増えていった。今じゃあいつは文句を言ったりしない。けちで横柄なやつになった。収穫物の上にあぐらをかいて、町に運んでる」

 「そいつのグラバーを見たのかい?」 ニペルナーティが訊く。
 「自分のグラバーを見せるやつがいるか?」 クディシームが苦々しく言う。
 「あたしは見た!」 ロキが突然、大声をあげる。「一度、雷の鳴ってる夜に、ハバハンネスの煙突に、火の玉みたいに飛んできた。マルーは雷が落ちたんだと言ったけど、マルーの作り話だって知ってる」
 「なんであんたはグラバーを手にしなかったんだ? それともそれは罪になるのかい?」 ニペルナーティが訊く。
 「何の罪だ? ただの生き物だ」 クディシームが言う。「おれはグラバーを買っても、何もいいことはなかった。一度、おれもリガまで行ったけど、おれはバカで、途中のラグリクーラで居酒屋に入った。そこは人間のクズの集まりだったが、その中に知り合いのトックロースがいた。仕立て屋だ。で、そいつと何杯か酒を飲んだ。あれやこれや話してな。するとトックロースがこう訊いてきた。どこに行こうとしてるんだ、シルベル。トックロースにおれは長旅をしている、何日もかかるな、こんな貧しい男の暮らしにうんざりしてな、と返した。そしてそいつの耳元で、グラバーを買いに行くと伝えた。『リガではグラバーは高いぞ』とトックロースは答えた。 『それにあまりいいもんじゃない。腐ったほうきと焦げたハンノキでできてるからな。なんでそんな遠くまで行く、ここではもっと質のいいグラバーを作ってるっていうのに』 それを聞いて、誰かに釘で突かれたみたいになった。おれは仕立て屋の袖を離さなかった。栗のいがみたいにひっついてこう言った。『トックロース、トックロース、おれにグラバーを作ってくれ、グラバーを作ってくれ! ここに25ルーブルある。全部もってけ、いいグラバーをそれで作ってくれ!』『おまえの金など欲しくない、バカが』と仕立て屋が言った。『だがな、そこまで欲しいんだったら、他のところで見つけられないと言うなら、2、3週間くらいしたらオレのところに戻ってくればいい。グラバーを取りにな』 おれは仕立て屋に3ルーブルを押し付けて、大喜びした。手付けとしてな。その夜、さらにやつと飲んで過ごした」

 「その2週間後、おれは仕立て屋のところに行った。トックロースはグラバーの話をまるごと忘れてた。で、こう訊いてきた。『なんでまたここへ来た、シルベル』『どういうことだ?』とおれ。『頼んであった生き物のために来たんじゃないか!』 ところがトックロースはうめき声を上げはじめたんだ、頭が痛かった、グラバーを作るには天候が悪かった、必要なものが足りなかった、とな。しかしおれはあきらめなかった。仕立て屋は腹を立てて、わかった、いいだろうと言った。お前はグラバーを手にできるが、これから言う三つのことを忘れるな。家に帰る途中、何があっても振り返るな、悪魔の名を口にするな、それからおならをするな。もしこれを守らなかったら、悪いことが起きるだろう。家に着いてから、荷馬車からグラバーを取り出して見てもいい。しかし今は荷馬車に座って待つんだ」

'The Raftsman' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation ©: Kazue Daikoku

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