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わるいことはしちゃだめ

「この本を盗む者は」
深緑野分

よんだ


うちのおやはおとうとたちをめちゃくちゃかわいがっていた。粗相があっても「おとこのこだからやんちゃ」で済まされていた。ワタシの場合になると一転「おんなのこなのに」「おねえちゃんだから」と叱られる。ワタシをあんまり叱るもんだから、近所のおばちゃんに注意されていたこともある。
これはやったらあかんやろ、とおもうことが何個かあるけれど、オトナになって、ほんとうに危険だったなとおもうおもひでをひとつ。

あるなつのおもひで。
めちゃくちゃあついなつだった。よる、きょうだい三人でのおふろあがりでのこと。
風呂場からあがってはしゃぎながらスッポンポンで居間までいって、おとうとたちと遊んでいた。おかあさんは「パジャマを着て寝なさい」と言ったけれど、いうことを聞かないでじゃれあっていた。(こどものときってオトナには理解できないくらい面白くて夢中なときってなかった?)普段なら叱られるのが面倒で素直にごめんなさいしていうことをきくのに、なぜかワタシたちはいうことをきかなかった。(こどもながらに遊びのゾーンにきてたのかもしれない)
うちのおかあさんは、とくにワタシにめちゃくちゃ厳しかった、そして、しつけに手が出るひとだった。ワタシは持ち上げられて、すっぱだかのまま道路に放り出され、戸口を閉められた。同じくすっぱだかのおとうとたちは家の中。前後におかあさんはナニか言っていたかもしれない。たとえば、いうことをきかないと追い出すとか叩くとか。普段からよく叩かれたけれど、家を閉め出されたのははじめてだった。たぶん、ギャースカと道のど真ん中で叫んでいたかもしれない。しかも場所がわからない幼児ではなかった。漢字が書けるくらいなこどもだったとおもう。
どのくらいそのままであったかはおぼえていない。アスファルトの上では道に絵をかくこともできない。手に届く草木を手折って並べていたら、おとうとの野球チームで知り合ったはらだのおばちゃんにあった。
おばちゃん「え、なにしてんの?」
いえ、かぎしめられた
「そんなかっこで?」
おふろはいっててん
「こらあかんわ」
おばちゃんはうちのピンポン、受話器が上がらないうちにはらだですーはらだですーと叫んでいた。
ようよう玄関があいて、ワタシはお礼も言わずに家に飛び込んだ。そのあとは自分の部屋から出ず、おかあさんからはなにもなく、いつも通りになったとおもう。

オトナになっておもうのは、住宅街のど真ん中で、あの時間に、はらだのおばちゃんに夜道に出会う、なんて偶然はなかったということ。駅やバス、スーパーでも帰宅時間でもない中途半端な時間、あの場所で。
あのあともおばちゃんには会って、お礼も言ったし、いつも通りに接してくれて、今でも会うと短い会話をするくらい。あのときはすごかったね、なんて会話はおくびにもでない。

さて、おかあさんはいうと。あのあと、ぜんぜん変わらない。変わったと言えば、叩くのが手ではなく孫の手(知ってる?いまもあるのかな?)になったということ。どっちにしろ痛いんだけど。たんに手で叩くと痛いから棒になったんだろうと予測はつくけれど、オトナなワタシはそんなことを責めたりしない。

あのとき、おばちゃんがこなかったら。悪いひとにであっていたら。朝まで誰も気づいてもらえなかったら。いや、車が通って轢かれていたかもしれない。
おかあさんはよくあんなことができたなあとおもう。時代だったのかな、犯罪のない地域だったからなのか。

なんにせよ、ワタシにはぜったいできないわー
コレって虐待?


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