悔いと思考とお天気と ①

 朝、起きるのが辛い。
 元々夜型だが、だからというわけでも、低血圧だからという理由からでもない。明日という近い将来にも、一年先の少し未来にも、勿論もっと先のことにさえ、まるで希望が見出せないからである。
 先のことを考えすぎてはいけないのは、過去の経験から充分学習した。それによって自分は随分変わったはずだった。確かに変わったのだ。
 しかし今回はダメージが大きすぎて、未だに復活出来ていない。復活するきっかけが掴めないばかりか、兆しさえ見当たらない。方向転換のチャンスがあったのも事実。しかし逃したのは、想定外の混乱に、身も心も追いつかなかったせいだ。
 何があっても後悔することは殆ど無かった。皆無で無かったのは、それなりに後悔した経験があったからだが、それらの多くは〝終わってから損をしていたことを知ったせいで気付いた〟というパターンで、知らないままなら恐らく、同じ道を辿ったであろう…と考えることばかり。知ってしまったから後悔したのであって、自身の決断としては何の迷いも悔いも残していないのである。
 ところが今回ばかりは後悔している。迷わず飛び込んでいれば、目先の問題はひとまず解決したかも知れないのだから…。
 しかし一方で、新たな問題が浮上することは大いに考えられた。先ず、飛び込むことによって、現状を放棄することになる。それを誰かが責めたとしたら、お門違いだと突っぱねても良いくらい、のっぴきならない事情のものであったが、私自身が放棄出来なかった。放棄すればやはり、必ず後悔したからだ。
 選んだのは私だが、恐らく代わりはいくらでもいた。しかし私のように出来た人はいないと信じている。代わりが私以上に出来た可能性もあるが、現状では放棄出来る状況になかったと感じている。自分が感じているだけで、放棄したらしたで、何とかなったかも知れない。良心に付け込まれたとか、逃げられない状況に追い込まれたとか、周りのせいにしているだけだと見る人もいるかも知れない。しかしいずれにせよ、後悔したのである。飛び込んでも放棄しても、結局〝後悔〟がついてくる。唯、飛び込めば一番目先の問題だけは解決した。そこに注目せざるを得ないから、いつまでも後悔が後を絶たないのだ。
 飛び込むことによって想定出来たものが、必ずしも明るく希望に満ちた未来だけだったかと言えばそうではない。だからこそ、私は飛び込むことを躊躇した。どちらを選択しても何らかの悔いに囚われる。
 では他の道はなかったのだろうか?それが判らないから、私は後悔の輪の中を未だ回り続けているのだし、他の道が見つかっていれば、とうにそこから飛び出しているだろう。

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