ゲームばかりしてると馬鹿になる

何百年か前は小説なんて読むんじゃない、みっともない。と言われていたらしい。
「映画ばっか見てるとバカになる。」「マンガばっか読んでるとバカになる。」「テレビばっか見てるとバカになる。」
大人はいつだってバカにしているが、その子どもが大人になるころにはそれがリテラシーになってたりする。映画やマンガは日本を代表する文化の一つだし、居酒屋での会話を聞いていると、大人たちはテレビの話題で盛り上がり、有名人を知らないと物足りなそうな顔をする。今では、「若者のテレビ離れ」なんて言葉で大人が騒ぐくらいだ。(「テレビばかり見てると馬鹿になる」という山本直樹のエロマンガは最高にかっこいい。)
ゲームをバカにした大人は、今ビットコインやらVRやらに何も着いていけてないだろう。ヴァーチャル世界の盛り上がりは、ゲームをバカにしてきた大人を出し抜いた素晴らしい復讐劇だと思う。バカにされてきたオタクたちが世界を救うハリウッド映画とかここ十年やたら多い気がするけど、その方が実感にそぐうからかも知れない。えらそうでみんなに讃えられているヒーローが世界を救うなんてむかつく。(でもオタクとかナードが世界救うのもいい加減飽きたな。)

ゲームは最後までやり遂げることの気持ちよさと、それからその達成感を覚えさせてくれる。
私はゲームをクリアしたことがない。だから辛抱強く、面を進める気力も持っていない。
達成感を覚えてないからだろう。私はやり遂げたことに感動したことがない。埼玉の実家から京都まで自転車で行ってやっとたどり着いたときも何も思わなかったし、熊野古道の中辺路を踏破した時もさほど感動しなかった。
たぶんゲームをクリアした経験を体に覚えさせていれば、「クリア!」と叫んで、エンディングテーマが脳内に流れていたはずなのだ。
ゼルダの伝説の謎解きなんて解いてられないし、ボスに五回くらい負けたらもうあきらめる。ゲームばっかやってるとすぐリセットできたり、わかんなかったら攻略本めくればいいから、辛抱強くならないなんて嘘だ。寧ろその逆だ。辛抱がないとゲームなんてクリアできるはずがない。
別にゲームを途中でやめたことを後悔なんてしていなかった。だってゲームはずっとやっててはいけないものだったから。ゲームは悪、と大人が喋っていたから。別に大人の言うこと鵜呑みにしていたわけでもないし、どちらかと言えば生意気なガキだったはずだが、都合のいいところは無意識に受け入れていたのかもしれない。僕はゲームが得意ではないから。

今だと何だろう。例えばSNSを大人はバカにするのではないだろうか。でもきっとバカを見るのは大人なのだ。一瞬で情報を処理して判断する能力とか、今見てもすごいし。
ゲームが好きで、毎日少しずつでも進め、クリアを知っていたなら、ドストエフスキーだってトマスピンチョンだってプルーストだって読めただろう。
本を読め。という人を今でも見かける。若い人でも。マンガばっか読んでないで本を読んだらどうだとか、それこそゲームばっかしてないで本を読んだらどうだとか。そこに表現が存在するのなら、本だろうが、マンガだろうが、ゲームだろうが、皆何かを得れるはずだ。いや表現なんてなくたってそうかもしれない。夜更かしとか、鼻歌とか、散歩とか。何からもヒントや感動を見つけることができる。もしゲームから何も得るものがないと言うのなら、それを見出せない君の能力不足だろう。僕はゲームが得意ではない。だからそこまで好きではない。それでも、ゲームから得るものがあることは確信できる。

とは言え世代だから、ポケモンにはハマった。でもポケモン図鑑を集める気なんてさらさらなくて、途中からはバグらせて遊んでいた。初代ポケモンのセレクトバグ(道具の何番目でセレクトボタン押すやつ)は宝の宝庫で、どこにも動けなくなる通称「墓場」にしょっちゅう行ってたし、152匹目のポケモン「けつばん」は誰よりも早くゲットしていたし、ステータス異常のポケモンを持ちすぎている所為で相手のゲームもバグるからと対戦を断られていたし、山賊がくるくると回るのも見た。でかい図体した山賊がくるくるとバレリーナみたいに画面を踊る様は忘れられない。
それから忘れちゃいけないのが「アメリカ村」だ。野生のポケモンはミュウとミュウツーしかおらず、ショップにはマスターボールが置かれているという夢の島。アメリカ村の噂は小学生の間で広く知られていて、いろいろな情報が回ってくるのだけれど、アメリカ村には誰もたどり着けなかった。デマばかりが回ってきて、ネットの海にも確かな情報はない。(まだパソコンのある家庭は少なくて、パソコンの授業中に先生の目を盗んでみんな調べていた。)アメリカ村自体がデマなのだと人は言うが、俺はまだ信じている。
こないだ久しぶりにポケモンの緑をゲームボーイに差してスイッチを入れたのだけれど、起動しなかった。バグらせ過ぎたのだろうか。

はまったことのあるゲームを挙げるとすれば後ふたつある。ひとつは「ポケモンカードGB」だ。これは本当にやりこみ過ぎていて、自分が誰よりも強いという自信がある。しかし周りにやってる友達は一人もおらず、何も証明できない。一人きりで100時間以上やった唯一のゲームだ。そもそもこのゲームは友だちとの通信対戦を売りにしたゲームなのだから、これもまたまともにやったとは言えないだろう。

そして三つ目が「バハムートラグーン」だ。これは唯一と言っていいくらいに真面目に取り組んだゲームだろう。途中までは努力してがんばって進めた覚えもある。でもやっぱりつづかなくって、やめてしまった。

番外編としては電子辞書の中に内臓されていた数学パズルだ。簡単に言うと数独に不等号の要素を足したようなゲームで、慣れるまではやや複雑である。しかし私は異様にはまっていて、夢にまで出てきていた。高校の授業は数学パズルか眠るしかしていなかったから、実質高校で得た知恵は不等号しかしない。
誰にも伝わらないと思うが、電子辞書に残された記録「18秒クリア」は異常としか言えない。これのオリンピックがあるのなら、是非出てみたいと思っていた。しかしこれもまたゴールがあるわけじゃないから、惰性で数字を入れ続けた、いわば作業で、達成感のかけらもない。

何でゲームの話をずっとしているのかと言えば、とってもうれしいことがあったからだ。
私は人生ではじめてゲームをクリアした!
バハムートラグーンをクリアしたのだ!

子どもの頃からやっていて、でもクリアしたことはなかったゲーム。ゲームを点けるととても楽しくて、BGMも口ずさめるスーファミのゲーム。でもクリアまでたどり着けなくて、ほこりを被っていたゲーム。実家からスーファミを持ってきて、その日にちょっとやって、次の日もちょっとやって、それから一年くらい触っていなかったゲーム。こないだ久しぶりに点けてみたら、データが消えていなかったことに安心した。(バハムートラグーンはデータが飛びやすいでお馴染みだ。)それで夜中から朝までやって、面のタイトルが「最終決戦」と出てて、「わあ!」とテンションが上がって、うわもったいないなあ、今日でクリアしちゃうのかなあと、少しの不安と緊張を抱えつつ、その章をクリアしたら、まだ続きがあって、それから日をあけつつもちょっとずつ進めて、やっとクリアしたバハムートラグーン。はじめて聞くエンディングテーマ、はじめて見るエンドクレジット。それからもまだ遊べる要素への喜び。
そう、僕はゲームをクリアしたんだ!

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