見出し画像

多動症の疲れやすさについて個人的結論が出ました【メモリの無駄遣い】

一般的に、発達障害者は健常者よりも疲れやすいという定説がある。
しかし、一概に疲れやすいといっても
具体的に、私たちの身体に何が起こって疲れやすいのか
いまいち分からなかった。

理由も分からないのに不便を強いられることに対して
納得がいかなかったので、私は考え続けた。
そして一つの結論に辿り着いた。
要は「メモリの無駄遣い」だと思う。

多動症が強いられていること


私は軽度ではあるが多動症を抱えている。
屋外、人目につくところではできるだけ症状を抑えて生活している。

つまるところ本当の自分を抑えて、健常者のふりをして常に行動せざるを得ないのである。私はこの状態こそが、疲れやすい原因の多くを占めているのではないかと考えている。

具体的に何が起こっているのかというと、脳をコンピュータに例えると分かりやすい。多動症抑制プログラムが常にバックグラウンドで起動していて、脳のメモリに常駐、結果として圧迫しているのである。

屋外にいるときは休憩しているときでさえ、人目の可能性を排除できなければ、この状態になってしまう。

要は、「外にいるだけで何もしなくてもじわじわ気力が削られていく」のだ。これは私にとって恐ろしい事実だった。

そりゃ何しても効率悪いよね


更に絶望的なのは、これにより二次被害まで引き起こされるということだ。
脳のメモリを圧迫しているということは、そのぶん
他のことに割くメモリが少なくなってしまうということである。

マルチタスクが必要な作業等はなおさらできないし、体調など調子の悪い時はメモリの容量エラー(ミス)が平気で起こりかねない。
人目のある屋外では、本来の能力をいかんなく発揮することは困難だ。

爪を小さく弾いたり、人から見えないところで変顔をしたり、貧乏ゆすりをしたり多動を発散する努力もしているが、それにもやはり限界がある。

これは多動症だけでなく、他の症状を抱えている人にも適用できる理屈なのではないだろうか。
なんにせよ私たちは、健常者のふりをして行動せざるを得ない環境では、本来の能力を発揮できないのである。

認識できただけでも進歩だよね


それに気が付いた私は、自分を恕してあげることにした。
人と同じ事ができないのを恥じても仕方がない。
できないものはできない。
そんなことより、何か自分にしかできないことを頑張ろうと。

そうして自信をつけたい。裏を返せば、人目さえ気にならなければ
本来の実力を発揮できるという事なのだから。

自信と実力があれば、人目など大した問題ではなくなる。
さらには、人目のない環境を選び取ることだってできる。
道のりは長いが、諦めずに闘い続けよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?