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黙ってたって過ぎてゆく - 2020.11.10

ブログとECサイトでは、そのパーツの数が全く違う。もうねんどろいどとガンプラくらい違う。だからECを作るのは難しいとかそういう問題でなく、いやまあ当然難しいのだけれども、それ以前にシンプルにめちゃくちゃエグい。ブログなら精々トップページと文章の見てくれを弄るだけで済んだものが、その十倍近い数のページを作り、リリースに際しては全ての挙動をくま無くテストしなければならない。そしてそのテストがデバイス・OS・ブラウザの数だけ掛け算で膨らんでいく。事業の根幹であるが故に誰かに頼む訳にもいかないし、きっとそれだけやっても抜けがあるに違いない。こうして僕は途方に暮れる。

昔「大東京トイボックス」の中でゲームのデバッグ作業を行う描写があったけど、あれって結局集中力との勝負だ。ダンジョンの壁に抜け穴が無いかを全ての壁にぶつかりながらチェックする作業など、どう考えても入眠不可避だし、事実作中では各デバッガーのスコアが計測されていて、精度の低いデバッガーはクビにされていく。抜け漏れなく、集中を切らさず、面倒くさがらず。どうしたって「ちゃんと」という言葉が似合わない僕には、どれもちょっと難しい。

前職は広告代理店でデジタル広告の運用をしていたのだけれども、あれも同じような集中力が求められる作業だった。恐らく今はGAFAの優秀な人工知能によって簡略化されているのだろうけれども、それでも依然として人間の工数は残っている。複数のバナーとテキストとリンク先と配信設定とターゲティングと云々かんぬん。ミスがあろうものなら補填ものだし、クライアントによってはめちゃくちゃに詰められる。それでも断言できるのは、絶対にミスはなくならないということ。配信事故を絶対に起こさない運用者なんて、食べても食べてもなくならないおにぎりみたいなもので、少なくともこの世界線には存在しない。存在したら是非とも採用したい。その当時僕が考えていたのは、いかにこの作業に不向きな自分がこの作業から抜け出すかということ。要は運用担当を僕の配下に従え、僕は営業や上流の戦略設定に終始することを目標とした。苦手なことは克服するのではなく、得意な人に任せた方が絶対に良い。いや逃げている訳ではなく。

着た服を毎回クローゼットに戻す。料理の下ごしらえを正確にこなす。こまめにくま無く掃除をする。僕の「ちゃんと」性の劣等は既に27年の人生が証明してくれている。とは言っても今こうしてちゃんとしなければならないタイミングを迎えてしまった。せめて抜け漏れの無いよう、チェックリストをできる限り埋めてはみたが、全く安心感がない。自分自身のだらしなさへの信頼が揺るぎなさすぎる。

あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです