埋もれることに必死だった (10)




10歳の頃、軽自動車の助手席で

当時どハマりしてた嵐を

イヤホンで聴きながら歌いまくる。



鮮明に覚えてることは、このとき感じた

「なんで私の声と松潤の声、

同じ音程なのにちょっとズレるんだろう」。


9年後の私がそれが ”ピッチ” だと知ったとき、

迷宮入りして忘れてたことが解明したようで

心から感動しました。





(こういう冒頭、やってみたかった。)






こんにちは、こんばんは、初めまして。

シ オ リ といいます。

99年の6月6日生まれ、覚えやすい。

2種類しか数字使わないし、

ひっくり返したら「9」も「6」も合同。



1年で一番好きな日が誕生日なので、

ぜひ覚えてくれたら嬉しいです。



noteを書き始めたのは、

自分のこれまでを独り占めすることに

寂しさを感じたから。

何かを発明したとか、名誉のある功績が、

とかではなく、

自信のなかった人生から

やっっっとの思いで抜け出せてきてる記念に、


誰かが、どこかで読んで、

何かを感じてくれたら嬉しいな、

といった感じです。



卒業と就職がほぼ同時に決まったいま、

4年間を振り返りながら、

複数日にわたって少しずつ書いていきます。


喜び。 挫折。 逃げ。 楽しさ。

割と、いろいろあったなあと思います。


これからも、書きたいことは細々と書きます。





まずは、少し私のこと。


人のも自分のも、プロフィールだいすき。



もう一度。  

シ オ リ  といいます。22歳8ヶ月です。


食べることが大好きで、
食べ放題に超向いてると自負しています。


好きなYouTuberは、

「QuizKnock」
圧倒される発想力、柔軟性。飽きない。
推しは、河村さん。


「Jinkoon Family」という
日韓かっぷるのチャンネル。ほのぼの。

「積分サークル」
自らをおもちゃにし遊び尽くす、
秀逸な無邪気感。




料理も好きで、お料理教室に通い始めました。

パンの発酵後のまんまるが
無償の愛を注ぎたくなるほど
愛らしくてだいすきです。


デジタルより手書き派。
人に頻繁に手紙書いてる気がする。


漢字の勉強も好きで、
準1級は社会人2年目までにはとりたい。


好きなこと多いから、
社会人になっても困らなそう。趣味多め。



一人っ子がゆえ、
たぶん責任感や先導力などを常に意識してます。

真面目な時ほどよく言われるからきっとそう。




こっから、小さい頃の話。(突然)



誰もが一度は考えるであろう、「唯一無二」。


それを初めて大切にしたいと思ったのは、

6歳の頃でした。きっと早すぎる結論です。


保育園の卒業アルバムの、

「大人になったら何になりたい?」。



周りが「けいさつ」「ケーキやさん」

「おいしゃさん」「かしゅ」とか

ありきたりな夢を書いてかぶるのが

嫌だったという感覚があった私は

たぶん悩まずに書いたんだと思うけど、


「コンビニエンスストアの店長」。


おばあちゃんとお母さんが笑ってくれたのが

なんかすごく嬉しかったんです。


早くも6歳の時で、

略称の「コンビニ」と書くことすら嫌でした。


創り出してたわけじゃなく、

自分の素を理解出来た純粋な喜びや

「特別感」の感覚を胸に

どことなく楽しく過ごそう、

と思ったんだと思います。



小2でハマっていた事は、

「大人の脳トレ」「DSお料理ナビ」のDS。

「ラブベリ」以外の流行ゲームには疎かった。

難読漢字を知っては

専用のノートに書き足したりしていました。


人と違っていることや夢中になれるものは

ずっと大切にしたかったんだけど、

唯一、ストレスになったのが「地黒」。

いまだに、ちゃんと日焼け止めを塗らないと

人の30倍は焼けます。


特に夏は当然、クラスメイトから揶揄され、

ラッシュガードを着てプールの授業に参加。


小4くらいからANESSAの日焼け止めを使って、

服装も基本は黒。

それでも容赦なく日焼けして、からかわれる。


周囲の大人からは

「遊んでるんだね〜」「楽しんでるじゃん!」、

周囲の友達へは

「肌白いから可愛くてモテそうだな〜」。



その時に初めて感じた、


「なんで人と違うんだろう」「黒いんだろう」。




それ以降、

自分をさらけ出すことに恥ずかしさを感じ、

人と違うことに劣等感を抱くようになります。



このあたりから、

一緒になれるところから周りに近づきたくて。


あらゆるテストでは凡ミスを装い、

音読はわざとつっかえ、

「勉強を教える人」という特別感を嫌って、

羨ましがられたくなくて、

「できないフリ」で自分を騙してしまった。



正直、いま見たら当時の私は

わりと勉強ができていました。


だけど、それは優越感ではなく、

疎外感から劣等感になってしまいました。



「いつか揶揄されなくなるだろう」と、

なにかを信じたくなって、

「平均」を意図的に目指すことで自分を守り、


資質を嫌われるのではなく、

創り出した自分を嫌われれば

「傷付かずに済む」と思って。




こう葛藤していくうちに、

どんどん自分にも素直になれず、

自己を押さえつける癖がつきました。




そこから抜け出せない負のループが

私の居場所で、

「どうせ私は」「私以外にも」と

自らの尊厳を削ぎ落とすことで

どんな攻撃をされても

”失望に慣れた” 盾を構え、

深く傷を負う必要がない。


非常に、居心地がよかったんです。


その結果。


私は、自分に自信を持てなくなり、

(今思えば、言い換えは

「持つために働きかけなくなり」が正しいかも)

小学生の時から大学4年の冬まで、

「私にできることは、みんなのできること」

と思って過ごしてきたので、

「歌が趣味です」といえるまでも、

本当に、まーー時間がかかりました。



趣味だと心から言えるようになったのは、

大学4年生になってから。


この4年間の出会いや悩みが大きく、

「自分だからできた経験がある」と

受け入れられたから。



その少しずつを書き留めていけたら、

と思っています。


(ここまで読んだあなたは将来有望、ただ偉い)
(本当に本当にありがとうございます。)



今となっては、

地黒は自分にしかない取り柄だと思えてます。



幸いにも、高2〜3のクラスのおかげで

初めて克服できました。


善悪を丁寧に分けれて、物事の理解も長けて、

なんだかんだあっても根底には

温かさのある人ばかりだったから、

「ー を + に変換する」ということに

私自身が信頼をおけて、

その上で背中を押してくれたように感じられる、

そんなメンバーでした。



なので、

アカペラをやって何度も壁はあったけど、

抱えていた悩みや苦しみは、

「個性」や「私らしさ」と

心底感じることができたので、


うまく受容ができていると思っています。


そうやって自信をつけた経緯とか、

不安だらけで寝込んでいてた日々とか、

学校行けなくなったこととか、

自分が脱退したグループがテレビに出ていて

泣きながら見ていた話とか。

色々綴れたらなって思います。




noteってこんなに時間かかるんだね、

チキンが食べたいな〜〜、けど痩せたい、

どうしようなあ


残り30日、学割たくさん使わなきゃね




おわり。


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