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【Twitterまとめ】瀧波和賀さんのnoteを読んで感じた事いろいろ

瀧波さんの、最近話題なったnoteを読んで書いたものです。Twitterでは毒親クラスタとの繋がりが多く、その中でも皆様が感想を呟いていらっしゃいました。過去が刺激される、心が揺さぶられる、そんなテキストでした。

私の毒実母は、こんな風に兄弟姉妹を天秤にかけるのではなく「子供」と「自分」を天秤にかけて自己愛に浸かっていた。気分で『私は貴方たちを愛している』と言う割に、気分によって対応が滅茶苦茶で、四六時中、心を潰された。心を潰されるから矛先がこちらに来ないように細心の注意を払って生活していた。私が居る同じ場所で毒実母が親戚の誰かに電話をしていて、電話口で私の悪口をいいまくるなんて毎日のようにされてた。聞こえるように言うんだよね。罪悪感で私をコントロールしたいから。お前が何かしたら言いふらすから覚悟しろと。その他にもいろんな方法で色んな潰され方をした。

私の実母は実体のない「愛情」というらしきものを、自分自身にドバドバ注いだ。私は4~5歳の保育園児だった自分の記憶の中で、毒実母から毎日のように自分自身が子供時代に虐待されていた話を聞かされ、毒実母は私の前でメソメソ泣き、私はそれを慰める役割をさせられていたというか、するしかなかった。「貴方は虐められなくていいわね!幸せね!」とか言われながら。自分の結婚は間違いだった、お父さんと見合いで結婚したけれど間違いだった、別に好きな人がいた。お前らが居るから私は離婚できない、不幸だ。こんなに不幸な人間は私の一族にはいない。みんな私を可哀想だという。という毒実母の話を、ただ聞かされていた。私が。話をちゃんと聞いて止めないと捨てられると思ったので子供の私は必死だった。毒実母が父親に「早く死ね、遺産を私によこせ、さっさと死ね」と怒鳴り散らすのを布団の中で聞いていた。

毒親の「毒」っていうのはさ、程度や種類は色々なんだけれども、私の場合は『存在を、感情を、ひとりの子供、そしてひとりの人間として扱ってもらえない』みたいなものなんですよ。

冒頭に記した瀧波さんのnote読んでて、小学生の自分が最後の母の日に渡したプレゼントの話を思い出した。私はあの時に子供でいる事を終えた。

小学生の頃、母の日のために友達とプレゼント買いに行って、花柄のハンカチ選んで毒実母に渡して、開封もせずに「ありがとう」と言われ目の前でタンスに仕舞われた。その半年後くらいに、毒実母がタンスごそごそしてたら「あら、こんなものがあった。」とその包みを出してきて「誰に貰ったか分からないけど、これあげる。私こんなの使わないわ。」と私が母の日に渡したプレゼントをそのままよこした。何も言えなかった。そのままもらって部屋で一人の時に泣いた。ちょっとしたことでも、もし私が「傷付いた」と泣いて訴えても

『しつこい、そういう風に考えるお前の頭はおかしい、精神病だ』

と、つものように毒実母から怒鳴られるのが分かってたので、目の前の不愉快なものが通り過ぎるまで、少し泣いて耐えていた。その日以来、毒実母に物を選ぶのも贈るのも辞めた。「ついウッカリなんだから許してあげなよ」を何度も他人から言われた話だけど。

こんな、人からは「許してあげたらいいウッカリ」は沢山あって、それにプラスして以前書いた「毒実母自身が飼ってもいいと私に買い与えたミドリガメを生きたまま生ごみに捨てられる」とか、人として駄目なこともいっぱいあって、家庭の中ではあらゆる差別用語を使って罵られたり、馬鹿にされて笑われた上に失敗を蒸し返して責められ続けたり、なんかもう書ききれないので今はあきらめる。

あのハンカチは、選んで買った時の自分が可哀想で、そのまま20年近く使い続けてしまったけど、絶縁前にやっと捨てることが出来た。

子供の頃、心の成長の時期に一番守られて大切にされたいと思って頼りにしている実の母親から「お前はいらない人間だ」「お前のことなどどうでもいい」という認識を言葉や態度で示させることで、子供は子供ではいられなくなる。これを書いてもきっとまた、いわゆる健全な場所で育った『善良』な方々から「お母さんを許してあげて」っていうポジティブで殴られるんだろうなぁ。嫌だなぁ。

私は今、親の立場なんだけれど、子供から貰ったプレゼントは丁寧に扱うしその場で開けるし、喜ぶし、子供が飼ってるペットを生きたまま生ごみに捨てないし、子供の失敗はフォローするけど馬鹿にしないし蒸し返したりなんかしないよ。

許すか、許さないか。それは私自身が決めることで、私の人生をろくに知らないテキストをサラっと読んだだけの第三者から指南されることは、正直耐え難い。「えっ?お前誰??何様?」とか、性悪だから素でレスしてしまうけど。

あのハンカチは、二子玉川の東急ハンズで買ったんだよ。毒実母に渡した直後から、タンスに埋蔵されていた期間が半年なのか1年なのか、もう正直覚えていない。私は花柄が大嫌いだったが、毒実母は子供にやたら花柄を着せたがったから、きっと花柄が好きなんだと思って選んだ、淡いピンク色の一面コスモスの柄だった。まだあれを選んだ時、私はちゃんと子供だったと思う。東急ハンズの店員にラッピング頼んで、包みながら「母の日のシール貼るね?喜んでくれるだろうね」って言われながら買ったんだけどね。

それを毒実母が投げてよこして「お前にやる」と言われて、何かが壊れた感覚は今も覚えてる。

『貴方のお母さんは精神疾患を抱えていたんですよ、限界だったんですよ、許してあげましょうよ』みたいな言葉でもよく私は殴られてきた。善意で殴られてきた。暴力的ポジティブはもうたくさんだ。私の毒実母は多分、境界性パーソナリティー障害とか持ってる。他にも鬱や、自律神経失調症や、パニック障害や、神経症もあって、それでも私はおかしくない狂っているのはお前だ!と私を目の前で大声で罵る。私に向かって「お前は精神病だ!」と罵る。子供の頃からずっと。

どうやって、許せって言うんだよ。許さねぇよ。許すとかのレベルじゃなくて自分の実の母親が残念なことに人間じゃなかったんだよ。生物学的な母親は存在してるけど、社会的な母親は存在してないんだよ私には元々。

生殖能力があっても、親になれない人種というものがこの世界に存在することを知らずに生きてこられた人は、実に幸福で恵まれていると思うよ。羨ましいよ。ごめんねほんとに。ちょっとシャレにならない家庭で育ったからさ。でも言葉の暴力を家庭内で浴びる形の毒は、外の世界からはほとんど理解されない。衣食住は満たされていると、誰にも気付いて貰えないし、その苦しさを人に話しても理解されることは殆ど無かった。

親との日常会話が常に

・マウントされる
・否定・批判ばかりされる
・馬鹿にされる
・他人の評判がいい時だけ機嫌がいい
・問題が起きると子供を責める以外の対応をしない
・子供に絶対に謝らない

という親子関係は、子供が壊れていく。

あと私は小学生の頃に「お前はたまたま生きてる、生んでやった」という内容の話をされて、少しずつ少しずつ、毒が回っておかしくなっていった。長いこと自分がなぜ生きているのか分からなかった。色んなことがあって、信頼できる人に支えられて、実家とは絶縁して、今は死ねない理由があるから生きている、進歩である。

一応現在の状況は

・うん十年前に実家を出て逃げた
・しっかり自立して一人で生きた
・その後、結婚して子持ち
・色々あってカウンセリングにも通った
・今は幸せ
・色々あって実家としっかり絶縁状態

なので、アテクシは元気でござる。ここに書くのは回顧録と負の感情の精算。

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