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【Twitterまとめ】毒実母が連発する「可哀想」という単語について

毒実母が、何を見てもやたら「可哀想」という人だった。その様子からは見下している感情しか伝わってこなかった。実際、そうだったし。

可哀想と言う毒実母の気持ち、を更に分解すると『あんな風に可哀想でない私は少し優位』みたいな、そういう物が透けて見える。

毒実家から逃げた私に対して毒実母は『可哀想』という言葉を大量に私に投げつけて、あがいていた時期もあった。私が22歳で社会人になったタイミングで実家を全力で脱出し一人暮らしを始めた直後、毒実母から『貴方は一人で暮らして親の援助も受けられず本当に可哀想な子供です』『本当ならば親が住む場所を用意して生活費も与えるものなのに、それをしないお父さんはケチの極悪人、あなたは可哀想』という超絶意味不明な呪いの文面が書かれたハガキがほぼ毎日ポストに届いた。毎日、『あなたは可哀想』と書かれた呪いのハガキがポストに届いていた。ほとんど毎日だ。毎日。仕事で疲れて帰宅して、ポストを空けると毒実母からの『可哀想』な呪いが毎日届いていた。3か月くらい。逃げるしかないだろこんな実家。

毒実母の使う「可哀想」という言葉の使い方の具体的な話。

毒実母は絵を描く人で、知的障害者の施設で絵のワークショップ的なのを1回やったのだけれど、その時の話を誰かに自慢げに話す時『あの子達は障害がってあんなに可哀想なのに、一生懸命絵を描くんですよ!嬉しそうに!懸命に!』と。差別意識満載の武勇伝にしてて嫌悪感しかなかった。公の場でそれをドヤ顔で話す時間、針のムシロである。毒実母は慈善事業を無償でやった私偉い!というエピソードとしてどこでもこの話をする。空気が凍り付くのだが、毒実母はそれが理解できない。

一度その話をドヤ顔でする毒実母の話に続けて、その場にいた人が「私の勤め先では、知的障害のある方が通ってらっしゃる作業所に仕事を頼んでいるんですよ。商品を袋詰めしてもらう作業なんですけどね。お給料払ってやってもらってますよ。簡単で単純な作業ですけど助かってます。その作業所ではパンの製造販売もやっていて、とても美味しいので皆でそこのパンを買うんです。」ってお話しされてて、この方は毒実母の勘違いを分かった上で釘を刺してるなって、私は更に恥ずかしい思いをしたのだが。毒実母は「まあ、あなたも素晴らしいことをしていますね」と。

毒実母は障がい者を何か神格化してて、その人それぞれの個性を認めない。でもそれは第三者の場合であって、親戚の障がいのある人のことは凄くdisる。とてつもなく容赦なく誹謗中傷し続ける。その精神構造は、私は常々とても怖い。

実は、従兄弟に自閉症の子供が居たのだが、私は一度も会ったことが無かった。毒実母からはその従兄弟とその子の母親である叔父の奥さんを『障がい児なんか産んでなんて恥ずかしい』という台詞ばかり、私は子供の頃から聞かされていた。その毒実母の様子からして叔父の奥さんとお子さんには会わせて貰えないんだろうなと思う。私が学校で教えられることと真逆の、酷い差別的なことばかり言う毒実母のその発言は大嫌いだった。父方の親戚だったので、事あるごとに毒実母は父にその話題を出して『お前の家系は障がい者の家系』と罵っていた。父方の親戚に躁鬱を患っていた人もいたから余計にそういう話題での罵倒が多かった。他にも差別的発言は日常茶飯事だった。前にも書いたが、世の中にはびこる差別用語のほとんどは、毒実母の日常会話と私に浴びせられる罵声の中で殆ど知った。

十代になって毒実母への嫌悪感が爆発して、「それは偽善的」「学校で習ったこととまるで違う、それは言ってはいけない言葉」と直接問題点を指摘しても毒実母は理解出来ないし、理解しようとしないし、『私の崇高な行い、言動を批判してくるお前の心は冷たい!キチガイ!』みたいな論理の飛躍で思い切り罵倒される結果になるので、そのうち疲れて言うのもやめてしまった。

ここには書けない酷い話が山のようにある。山のように。

今もきっと周囲の人に軽い世話話として差別てんこ盛りの話を笑いながらして、ドン引きされて人に避けられているのだろうと思う。母方の親戚からも以前「貴方のお母さまは差別用語が多すぎてお話ししてると疲れます。」とはっきり言われたことがある。親戚中からも毒実母は嫌われ避けられている。娘の私は、縁を切った。

「可哀想」って、一体何なんですかね?

子供の頃から実母の「可哀想」の使い方のねじれ方を見てきたので、一体何が「可哀想」で何が「可哀想」ではないのかが、実は長いこと分からなかった。理不尽な目にあっていて逃げ場がないという状況を見ると、それは「可哀想」ということなのかな。概念がちとあやふや。日常でそんなに積極的に使う単語ではない。

その辺で転んでひざの擦り傷から出血して泣いてる不運な子供に対しては「可哀想に、ついてなかったね、手当てしようおいで」って言うかもしれない。その人起因ではない、理不尽な出来事が降りかかってくるような場面では「可哀想」かなって思うんだけど。その人自身が持って生まれた特性や、立場や、受け入れざる負えなかったものを受け入れて背負っている状態に対しての「可哀想」って侮辱だよね。

「可哀想」なんてそうそう、人様に使う単語じゃない。憐みの感情は毒実母が自分の優越感をまき散らすために使っていたので、その程度しか使い方が分からない。

反響の多かった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしますのでオリジナルを改変しています。)


投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。