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お金を使いたい時と使いたくない時。

この前コンビニ支払いでお釣りに足跡付きで折り目が破れたボロボロの千円札を渡され、すぐに手放したいと思い、でも店で自分がその札を出すのも抵抗があり、ICカードのチャージに使用(よく機械を通った)。傷んだお札は消費活性化につながり、ピン札は却って消費には向かないんだなと実感した。

と、先日ツイートしました。

思えば同じお金なのに、中学生くらいの頃、お年玉でもらった三つ折りのお札を正月明けにレジで出すのが妙に恥ずかしかったり、大人になってからは新札が必要な時に限って週末や祝日で銀行に頼れずコンビニや郵貯などATMでかたっぱしから新札が出るまで出し続けたり、それでも用意できず手元のマシなお札にアイロンをかけて妙にテカリが出て狼狽したこともあれば、スーパーやコンビニでシワくちゃの汚れたお札をお釣りで渡されると切ない気分になったりと、額面とは違う部分で手にした時、使う時には結構感情が動くものですね。

この半年、宝塚歌劇団の男役スターさんのファンクラブに入ったことでチケットをファンクラブに取り次いでもらって当日精算することが増え、事前に劇場の3種類の座席(実際にはSS席もあるが基本はS席以下の3種)分それぞれの金額分の新札入り封筒を用意するようになった私。

千円、五千円、一万円の各種新札が常に手元にあるという習慣が出来、他にもお祝い事や友人にチケットを頼んでライブや演劇に行く場合にも同様に新札(場合によりピン札でも)が必要なので、たまたま生活費を引き出したり買い物のお釣りなどで新札を手にしてしまった場合、どうも「いずれ使うから取っておかねば」と反射的に思い、〈綺麗なお札を買い物ごときでは使えない病〉になってしまいました...

たまたま新札運があり、生活費や国保料の支払いに使うだけなのに、手元にほぼ新札しかない場合には、角が微妙に折れたものとか、どこかに難癖を見つけて仕方なく使ったりして..汚いお札も嫌なんだけど、新札の発する「お高くとまった」オーラも場合によってはストレスになるなんて。

新札とボロボロの札の間で翻弄される自分が悲しい。三つ折りのお札で恥ずかしがっていた頃が懐かしい。

しかし傷んだお札は、手にした人をがっかりさせる負のオーラで「すぐに手放したい」と思わせ結果的に消費を促進して世の中にお金を回すことに役立っているはず。次回ボロボロ札が巡ってきたら「無駄遣いの天使が来た」と思うことにします。新札との付き合い方はまだ勉強中ってことで...

最後にお金マンガ(実話)を。