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かきあらわすこと

10年ぶりに絵を描いた。線だけで遠近感も立体感も死んでいるけど、何故か心は生き返った気がする。

最近、仕事が上手くいかない日々が続き、自身の習熟にも行き詰まりを感じている。xx思想やらxxフレームワークやらを目にした端から検索したり本を漁ったりするも、学びはするが力として吸収できた気がしない。仕事も責任も全部嫌になって、逃げてしまいたい。

楽しかった時代に戻りたくなって、パソコンのファイルを漁っていると、学生時代に公開していたブログ用の記事メモを見つけた。中身は分野など定まらない、その時の感情や空模様、楽しかったこと嫌なことなどさまざま。その時の気分を文章にしていたのだろう。

我ながら感心したのが、ほぼ毎回、絵も投稿していたことだ。当たり線だけの落書きが多いが、その時にハマっていたゲームのファンアートから実際の出来事を描いた絵日記、何日もかけて描き上げた力作、…。充分に時間はあったとはいえ、己自身の気持ちや思考を絵と文章で見事に表現していたのだ。記事の内容とはリンクしないものであっても、今もその時の出来事や感情を思い出すことが出来るほどに。

仕舞いっぱなしだったiPadを再起動した。10年ぶりに絵を描いた。とりあえず自分の空間を描いた。30分ほど指で線をひきまくって、力尽きた。

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ナンダこれ。辛うじて右側中央の机っぽいものは判別できるだろうが、それ以外がのものが分かる人はいるのか。でも多分、何年か後の私なら、この絵のきっかけも一緒に思い出せる。

思えば、ここ数年は何かに没頭するということがなかった気がする。指というのも新鮮だったが、やっぱりペンでもう一度描き直したらどうだろうか。色も塗ってみようか。絵についてあれこれ考えていると、ちょっと元気が出てきた。

大元の問題は何一つ解決していないけれど、この悩みすらも材料にして、書いたり描いたりしてみようと思う。未来の自分が感心できる程度には。

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